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CD本『全国の山・天狗ばなし』から(03)
【とよだ 時】

 CD本(イラスト本ではありません)

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▼茨城県筑波山・弁慶と天狗

【略文】
筑波山の有名な弁慶の七戻り岩。弁慶はこの地にきたの
でしょうか。またここを開山した徳一上人は、やはり自
身で開山した磐梯山恵日寺で亡くなりましたが、全身が
いつまでも生身で、天狗になって筑波山に帰ってきてい
るという。
・茨城県つくば市と桜川市との境。

▼茨城県筑波山・弁慶と天狗

【説明本文】
  茨城県筑波山は標高は低いですが、昔から「西の富
士、東の筑波」と賞賛されてきました。山の姿が美しく、
朝夕にその色を変えるため、「紫の山」・「紫峰」とも呼
ばれています。頂上からは、東に太平洋、西に富士山、
南に霞ヶ浦、北に日光、那須の連山が一望。ホシザキユ
キノシタや、ツクバウグイスカグラなど珍しい植物も見
られます。


 「ツクバ」の名は、古代の人たちが関東平野の尽き果
てるところにある、そびえるこの山を「尽端」と呼んだ
ことがはじまりだといいます。また昔、天地できるはじ
め、アマテラスオオミカミが、筑波山に降りてきて琴を
つま弾くと、その音に感じて、海の波が山のふもとまで
押し寄せてきたそうです。その時、海水が地面の凹んだ
ところに残り霞ヶ浦が出来た。波のつく山というので、
筑波山という名ができたという説もあります。


 山腹には筑波山神社があり、また双耳峰の山頂部には
その奥宮が鎮座し、男体山にはイザナギノミコト(筑波
男大神)、女体峰にはイザナミノミコト(筑波女大神)
をまつり、山岳信仰の聖地として、人々の登拝が盛んに
行われてきました。文学の世界にも多く登場する山で、
筑波山を詠った歌があの『万葉集』に、25首もあると
いうから驚きます。


 一方、筑波山は、歌垣(うたがき)の場でもあります。
奈良時代初期の『常陸国風土記』に、「坂より東の諸国
の男女…相携え、つらなり、飲食をもたらし、騎にも歩
にも登り、たのしみあそぶ」とあります。歌垣とは?歌
(かがい)ともいい、春と秋の2回、男女が山に集まっ
て、ご馳走を食べ歌を歌い、だれとでも一夜をともにで
きる自由恋愛の行事。


 『万葉集』にも「あどもひて、おとめをのこのゆきつ
どひ、かがふ?歌(かがい)に、人妻に、われも交(ま
ぐ)はん、わが妻に、人もこと問へ」と出てきます。こ
の日だけは、筑波の神の子として許された神聖な神事。
この風習は日本各地で行われただけでなく、中国南部か
らベトナム、インドシナ半島、フィリピンやインドネシ
アではいまも行われているとか。


 それはともかく、この山には奇岩が多く、それぞれに
伝説がともなっています。ガマ石は、筑波山につき物の
ガマの油売りの口上の発祥地。江戸時代の香具師がこの
石の前で口上を考え出したという。また江戸後期の北方
探検家間宮林蔵が出世を祈願した立身石など。なかでも
とくに、「弁慶の七戻り岩」は、頭上の岩が落ちそうで
弁慶も七戻りしたところとして有名です。


 ところで、この筑波山に弁慶がいつごろ来たか気にな
るところです。弁慶の父は、紀州熊野の別当湛増(弁し
ょうとも)。母は大納言の姫君。生まれた時から髪の毛
がフサフサで、歯も大きく生えていたという。父は「鬼
子」だとして殺そうとしましたが、母からの哀願で助け
られ、仏門に預けられますが、性格が乱暴すぎてどこへ
行っても追放される始末。


 仕方なく京に出て千本の太刀を奪う悲願を立てた弁
慶、牛若丸に出会っておなじみの橋弁慶伝説に。牛若丸
の家来になった弁慶、牛若丸16歳の時、いっしょに奥
州へ下ります。途中鏡の宿で元服(滋賀県竜王町鏡)、
いままで牛若丸とか遮那王といっていたのを源九郎義経
と名乗ります。こうして奥州平泉(岩手県平泉町)の藤
原秀衡の元へ。


 こんどは逆のコースです。治承4年(1180)、源頼朝
が兵をあげたこととを聞いた義経弁慶はいざ鎌倉へ向か
います。途中、阿津賀志山(福島県国見町の厚樫山)、
安達ケ原から鬼怒川を越えて宇都宮、武蔵国足立郡小川
口(埼玉県川口市)、武蔵国国府(東京都府中市)、相
模の平塚(神奈川県平塚)、伊豆の国府(静岡県三島市)
…と目指し、駿河浮島ケ原での頼朝との涙の対面となり
ます。このような記述からみると、弁慶が筑波山周辺に
立ち寄った形跡はないようです。


 ところが、茨城県桜川市のお寺に、義経たちがこの寺
に立ち寄り、その時写した「弁慶の写経」があるという
のですからどうしましょう。茨城県桜川市の雨引観音と
親しまれている雨引山楽法寺の貫主さまがこんなことを
書いています。義経は、源頼朝が平氏打倒の旗をあげた
のを伝え聞き、「奥州平泉を発足した源義経一行は、一
路南下。治承4年(1180)10月、茨城県筑波山の北の
雨引山楽法寺に入りました。その時、弁慶がお経を書き
写し…。いまも弁慶の写経は大切に保存」してあるそう
です。弁慶が筑波山に登ったのはまさにこの時かも知れ
ません。


 お話変わって、筑波山を開いたのは、奈良東大寺の徳
一上人というお坊さん。奈良時代の延暦元年(782)の
ことだという。いまこの山にある筑波神社の前身、知足
院中禅寺はこの上人が開いたもの。筑波山と号します。
中禅寺は神仏習合の寺であり、本地垂迹(ほんぢすいじ
ゃく)説に基づいてイザナギノミコト・イザナミノミコ
トの2神もまつられました。


 徳一上人は公家の子。徳一上人が開いたとされる会津
磐梯山の「恵日寺縁起」には、鎌倉時代の『元亨釈書』
(げんこうしゃくしょ)曰く、として次のように書かれ
ています(『山岳宗教史叢書17』所収から)。「徳一学(二)
相宗于修圓(一)、甞依(二)本宗(一)作(二)新疏
(一)、難(二)破伝教大師(一)、相徒称(レ)之一
闢(二)常州筑波山(一)、…うんぬんかんぬん」。


 …つまりこんなことが書いてあるようです。「徳一上
人は、法相宗を奈良興福寺の修円上人に学び、…常州築
波山寺(筑波山寺)開き、寺一門が栄えました。ところ
が徳一は、僧らのおごった暮らしを嫌い、恵日寺へ行き、
亡くなったという。ところが死んでも全身が壊死せず、
…徳一はいま筑波山に葬られているという…」。この「全
身が壊死せず」の記述から、上人は筑波山に天狗になっ
て帰ってきているという伝説があります。


 江戸後期、下谷の長屋から寅吉という少年が天狗にさ
らわれ、茨城県の岩間山(いまの愛宕山)に連れて行か
れ、しばらく天狗と一緒に生活、帰ってきたという事件
がありました。国学者、平田篤胤が、その寅吉から天狗
の世界の様子を聞き、『仙境異聞』という本にまとめま
した。


 その中に「…岩間山に十三天狗、筑波山に三十六天狗、
加波山に四十八天狗、日光には数万の天狗といふなり」
の一文があります。この筑波山には筑波法印という大天
狗が、三十六天狗を従えてすんでいるというのです。筑
波法印といえば、『天狗経』に出てくる四十八狗の中で
も代表的な天狗です。また役行者の天狗揃えや、諦忍の
『天狗名義考』、林羅山の『本朝神社考』など名著に名
を連ねる有名な天狗です。


 しかしどんなことをした天狗かというと、その伝説が
ほとんどなく、おとなしく地味な存在です。それもその
はず、筑波山の女人禁制はいつのまにか立ち消えになり、
天狗が最もまもるべき五戒のひとつ自由恋愛?歌(かが
い)の行事、登拝に先達もいらない登山道中…、全く天
狗の出場所がありません。これでは天狗の意気もあがら
ないのも分かります。


 さらに明治維新の神仏分離令で、廃仏棄釈の暴挙に発
展、山の寺院は、軒なみ手ひどい打撃を受け、お寺や仏
像、仏器、経巻の類を焼かれるという追い打ち……この
ようにして中禅寺も破壊され廃されて、いまの筑波山神
社が主になってしまいました。こんなありさまの筑波山
に大天狗筑波法印のいるところがあるのでしょうか。


 わずかに筑波神社老禰宜の話としてこんな話が残って
います。「徳一上人は磐梯の恵日寺で亡くなったことに
なっていますが、実際は棺の中に亡きがらはなく、衣類
だけが残っていた、天狗になって筑波へ戻ってきている
と祖父から聞いたことがある……」。


 ある時、天狗研究者の知切光歳氏が筑波神社に話を聞
きにいったという。若い神職は「当山にはそんな迷信的
なバケモノはすんでおりません。筑波法印なんて名は聞
いたことがありません」とにべもなかったという。筑波
法印も「迷信」のひとことでかたづけられたというので
す。


 それでも光歳氏はあきらめず老禰宜に面会をもとめ、
上記のような話を聞きだしたのです。「今どきこんな話
をしても人に笑われるばかりですが…」と筑波神社の禰
宜が遠慮がちにいったといいます。いま筑波山といえば
「ガマの油売り」……。完全に観光地化されてしまった
この筑波山に大天狗・筑波法印が住む場所はすでにない
のでしょうか……。



▼筑波山【データ】
【所在地】
・茨城県つくば市と桜川市(旧真壁郡真壁町)との境。
つくばエクスプレスでつくば駅からバス、筑波山神社入
口、ケーブルカーで筑波山頂駅、男体山(西峰871m)
まで15分、女体山(東峰最高点877m・1等三角点の
ある所876m)まで15分。

【位置】
・女体山:北緯36度13分31.36秒、東経140度6分24.95


【地図】
・2万5千分の1地形図「筑波(水戸)」


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典8・茨城県』竹内理三(角川書
店)1991年(平成3)
・『義経記』(日本古典文学大系37)岡見政雄校注(岩
波書店)1959年(昭和34)
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・
西宮一民(新潮社版)2005年(平成17)
・『山岳宗教史研究叢書8・日光山と関東の修験道』宮
田登・宮本袈裟雄(みやもとけさお)編(名著出版)1979
年(昭和54)
・『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史料集1・東日本
編」五来重編(名著出版)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005
年(平成17)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977
年(昭和52)
・『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平田篤胤著・子安宣邦
校注(岩波書店)2018年(平成30)
・『全国神社仏閣御利益小事典』現代神仏研究会編(燃
焼社)1993年(平成5)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年
(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年
(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平
成16)
・岩波文庫『日本書紀(二)』校注・坂本太郎ほか(岩
波書店)1996年(平成8)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992
年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』乾克己ほか編(角川書店)1990
年(平成2)
・『日本伝説集』高木敏雄(ちくま学芸文庫・筑摩書房)
2010年(平成22)
・『日本歴史地名大系8・茨城県の地名』(平凡社)1988
年(昭和63)
・『常陸国風土記』:(『風土記』(東洋文庫145)吉野裕
訳(平凡社)1988年(昭和63)
・『平治物語』(日本文学全集7平家物語他)井伏鱒二
訳(河出書房新社)1960年(昭和35)
・『名山の日本史』高橋千劔破(ちはや)(河出書房新
社)2004年(平成16)
・『柳田國男全集25』柳田國男(ちくま文庫)1990年(平
成2)


▼CDブック全国の山・天狗ばなし から引用しました。
ご希望の方にお分けしています。

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・02
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03全国の山・天狗ばなし山の妖怪天狗とはなんだ?
04『山の神々いらすと紀行旧「岳人」刊
05『続・山の神々いらすと紀行上記に加筆
06『ふるさとの神々何でも事典いなかの神さまたち
07『続・ふるさとの神々何でも事典旧富民協会の続編。
08『家庭行事なんでも事典大切にしたい家庭の行事
09『健康(クスリになる)野菜と果物主婦と生活社刊を改題
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・立って半畳、寝て一畳、酒は呑んでも二合半。