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『全国の山・天狗ばなし』(01)
【とよだ 時】

 CD本目次
(イラスト本ではありません)

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南アルプス前衛・静岡県秋葉山三尺坊(2021121)

【略文】
秋葉山といえば、天狗の山、火伏せ(※火防・かぼう)の神として
全国的に知られている山です。いまは秋葉神社上社があり、火之迦
具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)をまつっています。しかし、
明治の神仏分離令が出るまでは、天狗の秋葉寺が、神社を取り仕切
っていました。
・静岡県浜松市。

南アルプス前衛・静岡県秋葉山三尺坊

【説明本文】

 秋葉山といえば、天狗の山、火伏せの神として全国的に知られて
いる山。南アルプスの最南端にあり、「天竜奥三河国定公園」の一
角をなしています。なるほど地図をみると、南アルプス最南端の光
岳、黒法師岳、蕎麦粒山のさらに南西方向に秋葉山があり、れっき
とした南アルプスの前衛なのであります。頂上からの展望は素晴ら
しく、三河地方の山々・天竜川・浜名湖・太平洋まで望め、東海一
とまでいわれています。

 いまは山頂近くには、秋葉山本宮としての秋葉神社上社があり、
火之迦具土大神をまつっています。社務所わきには、キンキラキン
の大鳥居が突っ立ち威圧しています。そこから800mほど下った杉
平というところに、曹洞宗の秋葉山秋葉寺(しゅうようじ)があり
ます。


 秋葉神社から、杉の枝をかいくぐるように秋葉寺へ下る細い
道はなんと薄暗いことか。そしていまにも倒れそうな古い建物(私
の訪れた当時)。しかしもとは神仏混淆で、秋葉寺が秋葉神社を取
り仕切っていました。毎年12月15、16日には、有名な「秋葉の火祭
り」が行われ、火防天狗秋葉三尺坊大権現にお供えする儀式が執行
されていたという。

 この三尺坊は、日本の天狗48狗をあげた『天狗経』にも出てきま
す。それには「南無大天狗小天狗十二天狗有摩那(うまな)天狗数
万騎天狗先ず大天狗には、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊とつづき、
秋葉山三尺坊、高尾内供奉、……御嶽山六尺坊、浅間岳金平坊。総
じて十二万五千五百、所々の天狗来臨影向、悪魔退散所願成就悉地
円満随念擁護、怨敵降伏一切成就の加持、をんあろまや、てんぐす
まんきそわか、……」とあり、秋葉山三尺坊は36番目に出てきます。
この天狗は鼻の高くない荼吉尼天で、白狐に乗った姿です。つまり
長野県飯縄山の飯縄系の天狗です。


 そもそも天狗のお寺秋葉寺の山号は大登山。本尊は聖観音。秋葉
権現の祭神が大己貴命で、その守護神が三尺坊権現だという。その
三尺坊権現が近世中期以降に秋葉信仰の主役になっていきます。い
まある秋葉神社はその後身だという。山腹の杉平にある秋葉寺は、
明治14年(1881)に再興されたもの。

 ここに享保2年(1717)成立の「秋葉山略縁起」(山岳宗教史研
究叢書17)という文書があります。それには「それ諸仏菩薩の度生
化益の善巧方便ハ、きわまりなし。爰に東海道遠江国周知□(欠落
:郡)犬居村大登山秋葉寺のゑんき尋(ね)る□(に、)人王四十
四主元正天王の御宇養老二(戌午)□□(歳に)行基大師諸国遊化
の時此山に登りた□□(まい)山頂の杉の木をもって聖観音、十一
□□□(面観音)、勝軍地蔵、三菩薩の尊像をきさ□□□(み給ひ)
山頂永く衆生現世安穏、後生善所□□□(の仏院)たらしめんとお
ぼしめして、安□□□□□(民豊饒の為)此山草創し開基となり□
□□□(たまふ。)…」とあります。欠落の所があって分かりづら
いですが、いろいろな参考書を総合すると以下のようになるようで
す。


 秋葉山は、奈良時代前半の養老2年(718)に、行基菩薩によっ
て開かれ、山頂に行基が彫った聖観音と、十一面観音、勝軍地蔵を
安置したという。のちに、信州(長野県穂高村・いまの下高井郡木
島平村大字穂高)の生まれで、戸隠の西の窟に籠もり修行した修験
者がいたといいます。彼はさらに越後に行き、守門岳のふもと栃尾
の楡原熊野神社蔵王堂(いまの楡原の岩野蔵王堂)の修験道場の「三
尺坊」で荒行をしました。

 修験者はここで、神通力を得て両肩に羽が生え、生きながらに天
狗三尺坊になったというのです。そして天狗は、白狐に乗った荼吉
尼天の姿になり秋葉山に飛来、行基が開いたこの山を安住の峰と定
めました。さらに天からの声に従い、この天狗は諸国をめぐったの
ちふたたび秋葉山に帰り、山の守護神三尺坊権現という神になった
としています。永仁2年(1294・鎌倉時代)のことでした。


 当時付近に水がないため、住職が観音と守護神三尺坊に祈ったと
ころ、山頂の隅に清水がわき出しました(いまの機織井)。見ると
雲竜の頬骨の下の玉がふたつと、ガマが一匹うずくまっていました。
ガマの背中には「秋葉」の文字が浮かんでいます。秋葉山の名はそ
こからきたという。江戸時代になり秋葉寺は、袋井市にある曹洞宗
の可睡斉の住職の弟子が秋葉山に住んだことから、可睡斉に属すよ
うになり、法相宗から曹洞宗に変わりました。

 ところが明治の神仏分離令が発布され、秋葉寺を廃寺にしてしま
ったのです。秋葉寺の本尊や三尺坊大権現は可睡斉に移されました。
そのあと地にいまの秋葉神社が成立。明治13年(1880)になり、復
興が許され秋葉寺はいまの下杉平に新築されました。しかし「神社
側と寺側は全くの商売仇となり、神社側は三尺坊を迷神と退けたま
ま。もともとひとつであった火防神の霊威も、相手を否定しあって
いるありさま。明治新政府の暴政は甚大な被害をもたらしている」
(天狗研究家知切光歳氏)。結局いまも、三尺坊大権現は可睡斉の
中の新殿に移ったままになっています。


▼秋葉山【データ】
【所在地】
・静岡県浜松市(旧佐久間町と春野町との境)。天竜浜名湖鉄道天
竜二俣駅の北北東15キロ。標高点885m。山頂南に秋葉神社上社
がある。遠州鉄道西鹿島駅からバス、秋葉神社停留所下車、さらに
歩いて2時間で30分で秋葉山秋葉寺(あきはさんしゅうようじ)。さ
らに15分で秋葉神社上社。
【ご利益】
・秋葉山秋葉寺(しゅうようじ):火伏
【位置】
・秋葉寺:北緯34度58分38.42秒、東経137度52分14.19秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:秋葉山


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典22・静岡県』小和田哲男ほか編(角川書店)
1982年(昭和57)
・『山岳宗教史研究叢書17』「修験道史料集1・東日本編」五来重
編(名著出版)1983年(昭和58)
・『神社辞典』白井永治ほか編(東京堂出版)1986年(昭和61)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『図聚天狗列伝・東日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『修験道辞典』宮家準(東京堂出版)1991年(平成3)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『遠山奇談』:『日本庶民生活史料集成・第16巻』(奇談・記聞)
(三一書房)1989年(昭和64・平成1)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系22・静岡県の地名』若林淳之ほか(平凡社)
2000年(平成12)
・『耳嚢・耳袋』(根岸鎮衛)1814(文化11年)

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・名のある人の恥知らず、名も無きわれら恥を知る。
・人と群れること、付き合うことが苦手で、フリーになって半世紀。
いまごろになってそれが一番必要な職業だと気がついた。どうりで
生きにくかったわけだ。