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山の与太ばなし【奥多摩のはなし】(01)
【とよだ 時】

 (イラスト本ではありません)

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▼山旅通信【ひとり画展】995号「奥多摩・棒ノ折山の折れた棒」

【前文】

奥多摩の棒ノ折山は、棒ノ嶺、坊ノ尾根などいろいろな名前で呼ばれ
ていましたが、いまは棒ノ折山に統一されているようです。しかしいまも
地形図には棒ノ嶺とし、棒ノ折山はカッコの中に記されています。山名
は、畠山重忠愛用の石棒の杖がこの山で折れたからという。折れた棒
はいまもあります。
・東京都奥多摩町と埼玉県飯能市との境。

▼山旅通信【ひとり画展】995号「奥多摩・棒ノ折山の折れた棒」


【本文】

 奥多摩の棒ノ折山は、東京都奥多摩町と埼玉県飯能市との境にある

山です。棒ノ嶺、坊ノ尾根、棒ノ峰、坊ノ尾根などとも呼ばれていました

が、いまは棒ノ折山に統一されているようです。



 しかし、いまでも国土地理院の地形図には「棒ノ嶺」と書かれ、「棒ノ折

山」はその下のカッコの中に記されています。山名は、畠山重忠が愛用

していた石棒の杖がこの山で折れたからとか、金精さまの石棒に由来す

るともいわれています。



 奥多摩の昔話にこんなのがあります。鎌倉時代、源頼朝公の重臣だ

った畠山重忠は、秩父、畠山の地を治める武将でした。頼朝の命で

鎌倉に出向く時、重忠はいつも鎌倉道と呼ばれた街道を通っていま

した。



 いまの埼玉県の秩父からは山伏峠(伊豆ヶ岳の西北、武川岳との


間)を越えて名栗集落を通り、小沢峠(東京都青梅市との境)、松

の木峠、榎峠を越えて軍畑(いくさばた)に出て柚木(ゆぎ)から

馬引沢に向かうという道だったという。



 畠山重忠は美男であったため、一行が通ると街道筋の若い女性た

ちが、重忠をひと目見ようと、ワイのワイのと集まってきたという。

重忠はそれがうっとうしくてしょうがありません。

 ある日、街道を通らずに、名栗集落から尾根づたいに道をたどり

ました。四方を見渡せる山の頂上に着いた時、重忠はついていた石

の杖をへし折ってしまったのです。そして半分を東京都奥多摩側大

丹波の谷へ、もう半分を埼玉県秩父側名栗の有馬の谷へ投げました。



 そんなことから、この山を棒ノ折(ぼうのおれ)といい、頂上を

棒ノ嶺(ぼうのみね)というようになったということです。大丹波

の谷へ投げられた石棒はいまでも、川井駅方面からの登山道途中の

ゴンジリ沢の小さな祠の中にまつられています。



 ザックを下ろし、巻き尺で祠の中の石の棒を計ります。長さ30センチ、

太さが16センチでした。昔、ふつう杖として使った棒の長さはは1メート

ル50センチくらいはありますよね。



 と、すると奥多摩側に投げた石棒はずいぶんと短い方だったようです。

一方、秩父名栗側に投げられた石棒は行方不明になっているということ

です。こっちの長い方も見たいものです。



 畠山重忠が美男であったことは有名だったらしく、室町初期から

中期の成立といわれる軍記物語『義経記』(ぎけいき)巻第六に、静御前

の舞の舞台に身支度をして現れた重忠は「…名を得たる美男なりけれ

ば、あはれやとぞ見えける。其(その)年(とし)廿三にぞなりける。鎌倉殿

(かまくらどの・頼朝)是(これ)を御覧じて、御簾(みす)の内より「あはれ

楽黨(音楽一党)や」ととぞ讃(ほ)めさせ給ひける」と載っています。



 棒ノ折山の由来や伝説はこれだけなのですが、山名の考証となるとな

かなか一筋縄ではいきません。奥多摩の研究者、宮内敏雄はその著書

『奥多摩』の中で、明治から昭和にかけての登山家で,植物学者の武田

久吉博士の文章を引用しています。



 棒ノ折山が、地図には棒ノ嶺と名(なづ)けてあるので、棒ノ嶺(ぼう

のみね)または棒ノ嶺山(ぼうのみねやま)と呼んでいる旅行家もいる。し

かしこれは『武蔵通志』という地誌に棒折山とあるとおり、棒の折(ぼうの

おれ)である。



 それを耳の良いお役人が棒ノ嶺と訳(?)した御手際には敬服せざる

を得ない。山名は山腹にある石の棒の折れから導かれたもので、伝説に

よると畠山重忠が杖についた棒の折れ端というのである。ただ、石棒は人

工の円柱ではあるが杖とは受け取りがたい、と記しています。



 宮内敏雄氏は、さらに武田久吉博士の説から一歩すすんで考えてみ

たいとし、「この山を名栗側では坊ノ尾根と呼んでいるのである。之は昔

からこの山が有名なカヤトの山だったからで、往時は河又付近の農家

は、家屋の屋根の萱ブキを採るために、毎年此処を火入れしてカヤトを

生い繁らせたものだそうである。…これを坊主山の意味で坊の尾根との

表現は如何にも簡明な表現だと思う」。



 さらに「大丹波側から考えてみると、石棒を俚人は棒ノ折山として祀っ

て、今では本来の意味は忘れられているが、あきらかにこれは金精様で、

それを崇拝した名残が今日まで惰性で伝わり、「あの棒ノ折様が」の「位

置を示す」言葉がその祀ってある場所を示すようになり、それが名栗側の

坊ノ尾根と混乱混同して、棒ノ折山の名が山を距てた双方の部落で同一

名で呼ばれるほどになったのであろう」と結論づけています。



 一説に、畠山重忠が馬に乗ってこの山を越えようとしましたが、あまり

急いだため落馬して股のイチモツをへし折ってしまったそうです。それか

らこの山を棒ノ折山といったという話もあります。



 棒ノ折山から南東に下ると黒山があります。ここは成木地区方面で黒

山、または常盤(ときわ)山と呼んでいるという。さらにそこから尾根を南に

とるとその先にあるピーク逆川ノ丸があります。ここを青梅市の成木集落

では「常盤ノ前山」というそうです。



 常盤御前とくれば平安時代末期、源義朝の妾。牛若 (義経) の母とし

ても有名です。その常盤御前がこのふもとに住んでいた(黒岳方向に突

き上げる成木川源流に同じ名の地名があったという)といい、南東の高水

山の常福院(高水山不動尊・青梅市)には常盤御前愛用の鐘が宝物に

なっています。さらにはすぐとなり、埼玉県側飯能市には常盤御前の墓も

あります。



 一方、黒山から尾根道を東にとると、馬乗馬場(まのりばんば)という平

に出ます。ここは石尾根の将門馬場と同じように、畠山重忠が「厩ノタル」

に置いた馬を引き出してきて、馬術の稽古をしたところだそうです。いま

は大きく成長した杉林になっていて、そのいきさつを印刷した紙がビニー

ルの袋に入れて木の幹にたくさんぶらさがっているだけです(2018年3

月28日現在)。



 この馬乗馬場の一隅には、黄金を埋めたという伝説があります。黄金

は地熱があり、どんな降雪がつづく年でも積もることのないと伝えていま

す。ただ埋蔵金を掘り出すと祟りがあるというから注意が必要です。



 川井駅からのバス終点清東橋停留所。登山道に入り、ワサビ田に

沿って歩きます。登山道がゴンジリ沢から離れはじめるつき当たりにあ

らわれた小さな石祠。中に彼の石棒が鎮座ましましておられます。





 持参した巻き尺で測ったところ長さ30センチ位、太さが16センチ位。

しかし、祠の入り口が狭くうまく測れません。そこであの武田久吉博士が

測った数字を見ると、高さ1尺1寸(約33.3センチ・333.333ミリ)、上端の

周囲8寸(約24.2センチ・242.424ミリ)、下端の周囲6寸(約18.1センチ

・181.818ミリ)だとあります。



 すると奥多摩側に投げた石棒はずいぶんと短い方だったようです。こ

れが杖の片割れかァ?棒ノ折山は、古くから信仰登山の対象なって

いて、交通の便がもよく、四方から登山路が通じているため、1年

中ハイカーが訪れています。広い平坦な山頂からは、奥秩父、奥多

摩、上越、日光までが一望できます。



▼棒ノ折山【データ】
【所在地】
・東京都奥多摩町と埼玉県飯能市(旧名栗村)との境。青梅線川井駅の
北西5キロ。JR青梅線川井駅からバス、清東橋停留所下車、さら
に歩いて2時間で棒ノ折山。標高点(969m)がある。
【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・標高点:北緯35度51分31.85秒、東経139度9分18.54秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:原市場


▼【参考文献】
・「仙元峠付近」武田久吉。「山岳」第二〇年第一号(日本山岳会発行)。
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『おくたまの昔話』(第三集)奥多摩民話の会編著(奥多摩民話の
会)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典11・埼玉県』小野文雄ほか編(角川書店)1
980年(昭和55)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進(角川書店)1978年(昭和
53年)
・『義経記』作者不明。室町初期・中期の成立?の軍記物語:日本古典
文学大系37『義経記』岡見政雄校注(岩波書店)1959年(昭和34)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)



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           きょうの「犬の遠吠え」
・戦争はイヤだ。
オシッコしに防空壕から出た。飛行機が煙を出しながら向かってくる。
家のすぐ上を通り抜けていった。日の丸が見えた。翌日、みんなで見
にいった。凍てつき厚く氷の張った神久保地区の田んぼにそれはつっ
こんでいた。肉の破片をカラスがついばんでいた。

                  ……千葉県の下総地方でもこんなふうでした。

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今回の余計なひと言
・ねたむな、そしるな、うらやむな。
         ……それがなかなか。

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