▼山旅通信【ひとり画ッ展】
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【とよだ時】(豊田時男)
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▼新潟県・越の中山妙高山と雪形
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【説明本文】
長野県北部にそびえる斑尾山・
妙高山・黒姫山・戸隠山・飯綱山
の5山を北信五山というそうで
す。なかでも山名に「妙」がある
せいか妙高山は仏教っぽい。その
はずで妙高山の名は、仏典に説く
須弥山妙高山というのにちなんで
いるといいます。
この山にも5月ごろ「山の字」
の雪形ができて関山方面から見ら
れ、ふもとに人たちに親しまれて
いるといいます(『山の紋章・雪
形』)。この山は昔は「越の中山
(なかやま)」と呼ばれていたと
いうことです。この中山が名香山
(なかやま)になり、ミョウコウ
と読まれ、妙高山と当て字された
とされています。
ですが室町時代の「梅花無尽蔵」
ほかいろいろな古書の記事にすで
に「妙高」の文字が散見されるこ
とから、「中世にはすでに妙高山
と呼ばれていたことが分かる。「な
かやま」であったことを示す資料
は近世以前には見あたらない。す
ると名香山(なかやま)−名香山
(みょうこうさん)説もあやしく
なる」と、高橋千劔破氏はその著
『名山の文化史』のなかで述べて
います。山名考というのは本当に
難しいものですね。
中山に関しては、平安時代、あ
の西行法師も「かりがねは歸(か
へ)るみちにやまよふらん越(こ
し)の中山(なかやま)霞へだて
て」と詠んでいます(『山家集・
さんかしゅう』)。
ところでこの山はふもとの妙高
市関山の関山神社の社伝によれば
奈良時代の和銅元年(708)に裸
行上人が妙高山頂に登り、関山権
現(明治以前の呼び名)を開基し
たというのです。当然ながらこの
山は、霊山として信仰され、東の
米山薬師(いまの新潟県上越市柿
崎区・旧柿崎町)に対し、南の妙
高山は阿弥陀如来の浄土とされて
きました。
室町初期・中期にできたといわ
れる作者不明の軍記物語『義経記』
(ぎけいき)には「直江の津にて
笈探されし事)妙観音(めうくは
んをん)の嶽(たけ)(※妙高山
のことか)より下(おろ)したる
嵐(あらし)に帆(ほ)引掛(ひ
きか)けて、米(よな)山(※よ
ねやま993m)を過(す)ぎてう
んぬん」と出てきます。
この妙観音の嶽というのが妙高
山のことだとされ、観音信仰の山
でもあったといいます。源義経や
弁慶は、加賀(石川県南部)の「安
宅の関」を何とか脱出(『義経記』
には具体的記述なし)、さらには
新潟県直江津でも怪しまれながら
(『義経紀』・直江の津にて笈探さ
れし事)の奥州へ落ちのびる時の
妙高山はどんな風に見えたのでし
ょう。
しかし、天狗の研究者の知切光
歳は、「妙高の奥ノ院は観音堂で
はなく阿弥陀堂で、その本尊の如
来像は、義経に討ち亡ぼされた木
曽義仲所持の像であったという。
義経奥州落ちの時には、すでに阿
弥陀堂があったと見てよく、妙観
音山は別の山ではないか」とも述
べています(『天狗列伝・東日本
編』)。
それはともかく、かつて妙高山
の山頂には、阿弥陀堂がまつられ
ていて、中に阿弥陀、勢至(せい
し)、観音の金の仏像が安置して
あったといいます。この阿弥陀三
尊は木曽義仲が、山頂に納めたと
いわれています。その義仲は1182
(寿永元)年、信濃の国横田川原
(長野市)で、越後の城助茂(じ
ょうすけもち)を破りました。
伝説によれば、その後義仲は越
後に入り関山にとどまり、妙高山
に登り護念仏の阿弥陀三尊を納め
たというのです。このことについ
ては、永禄5年(1562)五位野与
左衛門が、妙高登山先達職正当性
を主張したと思われる五位野氏縁
起写にも記されています。
「勝重云ク、我ハ是レ前来向フ
(レ)汝ニ五位野勝重ト名乗リ、遂
ニ追ヘ(二)払山神ヲ(一)関門ヲ打
破テ、義仲共ニ妙高山ノ登リ(二)
頂上(一)拝スル(二)阿弥陀如来ノ
像ヲ(一)者也、故ニ五位野勝重妙
高山為(二)リ先達(一)…。(中略)
…。
其後勝重告ク(二)諸人(一)言ク、
此ノ山登山ノ輩ハ居シ(二)新屋(一)
ニ付(二)新衣(一)ヲ、以テ(二)清
浄水(一)一日に七度浴クシ(二)垢
穢之身(一)、用ヘ(二)願望(一)無
(レ)疑者也、…。(中略)…。
故ニ五位野流於テ(二)以来妙高山
(一)ニ可シ(二)大先達タル(一)、
仍而縁起如件、敬白」。
これら阿弥陀三尊は、いまはふ
もとの新潟県妙高市旧妙高村関山
の関山神社に移されているといい
ます。この山もやがて中世以降、
修験道の行場になっていきます。
当時、関山神社は「関山三社権現」
といい、妙高山雲上寺宝蔵院とい
うお寺の支配下になっていまし
た。
しかしどの山でもそうであるよ
うに明治の廃仏毀釈(はいぶつき
しゃく)の嵐は仏閣を破壊し焼き
払う暴挙のかぎり。そのなか存続
のために神社の名に改めたといい
ます。いまでも登山道には六道地
蔵、天狗宝窟観音、大杉姥堂、役
ノ行者などのお堂が残っていま
す。
この山にも大天狗、それも名前
がついているほどの大大天狗・妙
高山足立坊(あしだて)の伝承が
残っています。足立坊は木曽義仲
の念持仏(私的に礼拝する仏像)
の阿弥陀堂を守る天狗で、ふだん
は従者を引き連れて妙高山頂東直
下の天狗平あたりにすみ止まって
いるらしいというのです。
足立坊は「天狗経」という、修
験の行者が各地の霊山の天狗を招
いて祈念を込める時に唱えるお経
の中の「四十八狗」の中にも数え
られる古顔(ふるがお)の天狗。そ
のせいか妙高山一帯には、天狗に
関係のある地名や建物も多く見受
けられます。この辺りはだれが決
めたか「日本八天狗」(日本全国
の天狗の中でも特に力のある8
人)の3番目に当たる、三郎天狗
のいる飯縄山や戸隠山などが連な
っています。
そのため、足立坊は飯縄系天狗
に入っているのか、鼻の高くない
荼吉尼天(だきにてん)の姿であ
らわされています。研究者による
と、足立坊は天狗になる前は、山
神守護の地主神の化身ではないか
といっています(『図聚天狗列
伝』)。妙高山は、戸隠山に伝わる
九頭竜伝説にから竜の胴にたとえ
られています。戸隠山が竜の頭で、
妙高山は胴は、火打山(能生白山)
は尾なのだそうです。
9月初め、妙高山北西方の黒沢
池ヒュッテ前にテントを張りまし
た。テントのまわりは色づきはじ
めたナナカマドに囲まれた気持ち
のいい台地です。テントを張りっ
ぱなしにしたまま妙高山を往復し
ます。大倉乗越から長助池のある
湿地へ下り、燕新道の道を分けて
妙高山への急坂を登りはじめま
す。このあたりは雪の吹きだまり
になっていて7月半ばまではアイ
ゼン、ピッケルは必携とのこと。
山頂への道は、展望のないダケ
カンバの樹林帯をただただ登るだ
け。途中キイチゴ(ノウゴウイチ
ゴ)の大きな実が赤く熟して食べ
られるのが気を和ませてくれま
す。山頂に出る手前に大きな洞が
あり中に祠が建っています。洞の
入口上に白ペンキで文字が書いて
あります。
「一九六四.七.二六 総評全
国一般篠宮支部」などとあり、ど
うやら落書きのようです。やがて
妙高山北峰に出ました。北峰山頂
は小平地になっていて1等三角点
(三角点名妙高山2445.9m)が
あり、ノートの入った木製の箱が
置いてあります。あたりはお花畑
になっていて、トリカブト(ミョ
ウコウトリカブト)、アザミなど
などが咲き乱れています。
さらに南峰へは3分ほど。大岩
の下にレリーフ石碑があり、「南
無阿弥陀仏 恵信尼公小黒女房御
碑 亡き恵信尼公の弔い藤四郎は
彼女(小黒 ?)が毎日仰いでいた妙
高山へ小黒の女房が山を見たいと
言ったので位牌を持って向かっ
た、文永9年秋、云々」との文字
が見えます。
さらに先に行くと、「妙高山大
神上越中頸覚満?講」と書かれた
鉄柱があります。妙高の「妙」が
欠けています。その後ろに将軍地
蔵の像があり「本山ニ鎮座マシマ
ス将軍地蔵ハ西暦千九百四十二年
(1942年・昭和17)大東亜戦争
時代国民一致団結必勝祈願天下泰
平世界平和五穀豊穣ノ神ト祀ル」
とあり、大東亜戦争戦勝祈願に建
てられたものとの石碑が建ってい
ます。
地元越後の上杉謙信公が模せら
れているとのこと。『日本石仏事
典』によれば、将軍地蔵とは戦勝
をもたらす神とのこと。なるほど
納得です。しかし、とうとう関山
神社の奥社は見あたりませんでし
た。(あるホームページには妙高
大神が関山神社奥社だとありまし
たが?)。
なお、九頭竜伝説により戸隠山
は竜の頭、妙高山は胴は、火打山
(能生白山)は尾にたとえられて
います。妙高山の本を読んでいる
とよく「なんぼいさん」とう文字
が出てきます。なんぼいさん(南
方讃)とは、妙高山山開きの行事
をいうのだそうです。
この行事は元亀元年(1570)、
上杉謙信が越中出陣の際、五穀豊
穣所領安全を祈願して倶利伽羅竜
の旗を持ち、妙高山に登ったと伝
えられています。それを吉例とし
て妙高山山開きの7月23日には
山麓の各村がそれぞれ倶利加羅不
動尊の小印の旗を持って登山する
のだという。なんぼいさんの語源
は「南無梵天讃」、「南無阿弥陀仏
讃」などからきたとする説がある
そうです。
▼火打山【データ】
★【所在地】
・新潟県妙高市(旧中頸城郡妙高
高原町と妙高村)と新潟県糸魚川
市(旧糸魚川市と西頸城郡能生町)
との境。信越本線関山駅の西13キ
ロ。JR妙高高原駅からバス笹ヶ
峰から歩いて5時間10で火打山。
三等三角点(2461.8m)がある。
★【地図】
・2万5千分の1地形図「湯川内
(高田)」
★【山行】
・某年9月5日(金・晴れ曇り)
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典15・新潟
県」田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・『義経記」全8巻(作者不明)
巻第七「直江の津にて笈探されし
事」:(日本古典文学大系37「義
経記」岡見政雄校注(岩波書店)
1959年(昭和34)
・『山家集(さんかしゅう)」山家
和歌集とも。西行:「日本古典文
学大系 山家集・金槐和歌集」風
巻景次郎ほか・校注(岩波書店)
1961年(昭和36)
・『新日本山岳誌」日本山岳会(ナ
カニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚 天狗列伝・東日本編」
知切光歳著(三樹書房)1977年
(昭和52)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか
(三省堂)2004年(平成4)
・『日本歴史地名大系15・新潟の
地名」(平凡社)1986年(昭和61)
・『名山の文化史」高橋千劔破(河
出書房新社)2007年(平成19)
・『妙高山信仰の変遷と修験行事」
大場厚順:「山岳宗教史研究叢書
・9」(名著出版)1979年(昭和54)
所収
・『柳田国男全集・4』柳田国男
(ちくま文庫)1989年(昭和64
・平成1)
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