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【新・ふるさとの神々なんでも事典】(03)
【とよだ 時】

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◆こんな話をみつけました◆

▼尾瀬から桧枝岐、越後国に逃れた以仁王

【略文】140字

以仁王も神さまとして各地でまつられています。福島県、新潟県下
には、以仁王を祀る神社もあります。以仁王は源平宇治川の戦いで、
敗死した後白河天皇の皇子。しかし生きていて、東海道経由で甲斐、
信濃、沼田に出て、尾瀬から桧枝岐に入り、楢原村で逗留。その後、
越後国に逃れたと伝えられています。

▼尾瀬から桧枝岐、越後国に逃れた以仁王

【本文】
 以仁王も神さまとして各地でまつられています。福島県下郷町の
高倉山のふもとには、以仁王(もちひとおう)の霊を祀る高倉神社
があり、宮城県、新潟県の各地に高倉宮にちなんだ古墳や廟など遺
跡が散在しています。これは後白河天皇の第二皇子・高倉宮以仁王
(たかくらのみやもちひとおう)にちなむ古跡だとされています。

 以仁王は、治承4年(1180)、源平宇治川の戦いで敗死しました
が、以仁王の顔を知る者が少なく本人の首かどうか確認できなかっ
たといいます。そのため、死んだのはにせ者で、以仁王はまだ生き
ていて東北に逃れたとの噂がしきりでした。

 高倉神社の社記「人皇八十代高倉院ノ御宇治承年四秋書」という
文書によると、宇治川の合戦で敗れた以仁王は、「足利又太郎忠綱
ノ情ニテ、御助命アリ、越後ノ住人小国馬頭頼之ニ依リ、落チ給フ」
とあるのです。そして、尾瀬中納言藤原頼実や、三河少将光明、ま
た小椋少将藤原定信らの二十数名が以仁王のお供をし、上州沼田か
ら尾瀬に入り、戸倉沼山に宿泊したとしています。

 伝説では、東海道経由で甲斐、信濃、沼田に出て、戸倉から桧枝
岐に入り、楢原村(いまの福島県下郷町)に達すると、ここに逗留。
その後、叶津(かのうづ)から、福島県只見町と新潟県三条市の県
境の八十里越(はちじゅうりごえ)を経て、越後国に出たとなって
いますが、それから先は不明です。

 『会津高倉社勧進帳』という文書に、「……於宇治合戦雖及数度。
天運時不至。三軍不利。為頼陸奥之探題何某者。従東海道趣陸奥。
通檜枝岐山入南山。至關山峠之麓。……於是陸奥探題並大寺三千坊。
其外慾心熾盛之夷賊等。忽忘守護志。却卒起怨敵之思。……」

 早い話が、戦いに敗れた高倉宮以仁王は、陸奥(むつ)の国(い
まの福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県の一部)の探題某と
いう人を頼って、福島県南会津郡の桧枝岐を通り南山(みなみやま
・奥会津)に入り、関山峠(宮城県と山形県)のふもとに滞在して
いたとき、探題や大寺三千坊など欲心を起こして裏切り、攻めてき
ました。

 しかし突然車輪のような火の玉があらわれ、敵をさんざん悩まし
たという。そこがいまの火の玉峠だという。こうして助かった以仁
王はここを去る時、「氏神になって村民を守る」といい、神輿(こ
し)に乗って去ったあと、村人たちが一宇の小社を建立、高倉大明
神としたという。

 そのとき、宮の供をしていた尾瀬中納言頼実が、旅の疲労でこの
地で亡くなり、なきがらを長沼近くの丘に葬ったという。以来、こ
の沼を尾瀬沼と呼ぶようになり、のちに村人が燧ヶ岳(ひうちがた
け・2356m)に尾瀬大明神をまつったという伝説があります。ただ
し、『新編会津風土記』(巻之二十五)では、小瀬大納言頼国が定住
したことが尾瀬の由来だとなっており、いくつかのいわれを残して
います。

 以仁王は、平安時代の後白河天皇の第3皇子ですが、兄の守覚法
親王が仏門に入ったため、ふつう第二皇子とされています。仁平元
年(1151)〜治承4(1180)年。三条高倉に住んでいたため高倉宮
と呼ばれました。才学優れ、人望厚く帝位につくべき器量でしたが
建春門院滋子(平清盛の妻時子の妹、高倉天皇の母)にねたまれ、
親王宣下を得られず王にとどまったという。

 治承4年(1180)4月、源頼政に扇動され、また藤原伊長に帝位
につくべき相があるといわれ、平氏討伐の挙兵を決断、各地の源氏
に呼びかけ、平氏に対して挙兵を決意します。しかしこの計画はま
もなく発覚。ただちに追っ手が向けられました。

 翌月、宇治川の戦い宇治川の戦いで敗北、頼政は自害。落ちのび
た以仁王は、奈良へ向かう途中、飛騨守景家らの追撃を受け、山城
の国(いまの京都府の中・南部)で流れ矢にあたって馬から落ちた
ところを首を取られたとされています。京都府山城町に以仁王をま
つった高倉神社と墓があります。

▼【参考文献】
・「尾瀬の昔と今」木暮理太郎:(『日本山岳風土記・5』宝文館196
0年(昭和35)所収
・『角川日本地名大辞典7・福島県』小林清治ほか編(角川書店)1
981年(昭和56)
・「会津高倉社勧進帳」:『続群書類従・第3輯下』塙保己一編纂(続
群書類従完成会)1988年(昭和63)所収
・『日本大百科全書22』(小学館)1990年(平成2)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『柳田国男全集・4』柳田國男(ちくま文庫/筑摩書房)1989年(昭
和64・平成1)
・『柳田国男全集・7』柳田國男(筑摩書房)1990年(平成2)


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