山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼980号「東京奥多摩・蕎麦粒山」

【略文説明】140字
奥多摩駅のちょうど真北、埼玉県秩父市との境に蕎麦粒山という山
があります。この山は三角山とか火打山とも呼ばれるという。遠く
から見ると三角形でソバの実を立てたようなので蕎麦粒山の名がつ
けられました。
・東京都奥多摩町と埼玉県秩父市にまたがる。

▼980号「東京奥多摩・蕎麦粒山」

【本文】
 東京都の奥座敷といわれる奥多摩。そのJR奥多摩駅のちょう
ど真北、埼玉県秩父市との境に蕎麦粒山(そばつぶやま)という
山があります。この山は標高は1473mとさほど高くはありません
が、行程が長くあなどれません。

 やっとついても山頂は狭く、周囲の樹木が展望のジャマをしてい
ます。しかし、南面が開けていて川苔山方面が見渡せ、またかたわ
らの岩の上からは秩父方面も眺められます。このあたりは、ブナや
ミズナラ、カエデ類などの自然林が豊かでカラマツも多い。

 この山は三角山とか火打山とも呼ばれるという。とがったよう
な姿が特徴的なので「三角山」なのだそうです。また麺類になる
作物のソバの実は、ひし形をしていてとがっています。この山も
遠くから見ると三角形でソバの実を立てたようなのがこの名の由
来。同じ奥多摩の大岳山や三ツドッケとも似ています。

 さらに火打山というのは埼玉県側秩父市の村人の呼び方とか。
山頂には、火打ち石といわれる燧石質(すいせきしつ)の露岩が
散在しており、山名はそこから来ているという。

 火打山の名は、明治27〜28年(1894〜1895)ごろに河田羆(か
わだたけし)が著した『武蔵通誌』(武蔵通志とも)という本には、
「蕎麦粒山 氷川村ノ北隅ニアリ。東北ハ秩父郡浦山村ヲ界ス。高
五千九百尺。又三角山(秩父郡火打山ト云)ト称ス。峯頭ニ高巌ア
リ燧石質(すいせきしつ)ナルト云。山脈大雲採山脈東ニ連リ、此
ニ至リ復タ矗然挺立(ちくぜんていりつ=真っ直ぐ立つ)シ、又東
ニ走リ日向沢峯トナリ南ニ岐スルモノヲ鳥屋戸山ト云。北ハ武甲山
ノ脈ニ接ス」とあるのがその根拠になっています。

 山頂から東へつづく稜線は日向沢ノ峰(ひなたざわのうら)至
っています。峰を「うら」と読ませていますがこれは、ものの尖端
を指す古語。「なんとかの頭」などいう「頭」と同意語なのだそう
です。また西につづく稜線上に小突起があり仙元峠といっています。

 ふつう峠といえば稜線上のたわんだところですが、この峠は突起
になっているところが面白い。そのため、秩父浦山方面から登って
きた人が、峠の手前のタルミを峠と思いこみ、決まってだまされる
ので、そこを「ダマシガタ」といっていたという。

 仙元峠は富士山を意味する浅間峠のこと。これはこのあたりから
はるかに富士山が望めるため、「浅間大菩薩」を勧請、石祠を建て
たという。いまも大木の根もとに祠がまつられています。この道は、
昔は多摩(日原)と秩父(浦山)を結ぶ交易路の「浅間みち」とい
っていたところ。

 江戸時代までは秩父側から富士山を遙拝するための富士講や、日
原鍾乳洞そばの一石山にお参りにいくために利用、また多摩側から
は三峰参りなどに利用された道だそうです。

▼蕎麦粒山【データ】
【所在地】
・東京都奥多摩町と埼玉県秩父市にまたがる。JR青梅線奥多摩
駅の北7キロ。JR青梅線奥多摩駅からバスで東日原下車。さら
に歩いてヨコスズ尾根経由で4時間20分で蕎麦粒山。三等三角点
(1472.84m)がある。

【位置】
・三等三角点:北緯35度52分19秒.6950、東経139度05分13秒.9185 

【地図】
・旧2万5千分1地形図名:武蔵日原

★【参考文献】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『東京周辺の山』(山と渓谷社)2001年(平成13)
・『東京付近の山』(実業之日本社)2000年(平成12)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『武蔵通誌』(標記が『武蔵通志』の場合もあり):河田羆(かわ
だ・たけし)が1894〜1895(明治27〜28)年頃に著した私撰地
誌。

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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