山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼907号 北アルプス姫川・古事記と姫物語

北アのふもとを流れる姫川は、『古事記』に出てくる沼河比売(奴
奈川姫)の姫だという。この美女の噂を聞いた大国主命は歌を贈っ
て誘います。あまりのしつこさに姫もとうとう承諾しました。
そして生まれたのが諏訪湖の神になっている建御名方神だそうで
す。それを聞いた出雲の本妻、須勢理比売がものすごい焼き餅を焼
き、大国主命は大慌てに慌てたということです。
(本文は下記にあります)

【本文】

古い山の歌に「山男小唄」というのがあります。♪流れる汗はあの
娘の涙 夕べ泣いたよこの胸で 街のみれんは背負っては行けぬ 
捨てていこうよ 姫川へ姫川へ(作詞・小野慶子、作曲・早乙女碧)。
いまでは鼻の先で笑われちゃうでしょうね。

そもそも姫川は北アルプス山麓長野県白馬村から新潟県糸魚川市
で日本海に注ぐ川。その長さ58キロ。流域722平方キロ。糸魚川〜
静岡構造線(新潟県糸魚川市親不知から諏訪湖を通って、静岡市
安倍川までの大断層線)に沿って流れています。川沿いに糸魚川街
道(塩の道とよばれた松本街道)が通りボッカ<背負子>でにぎわい
ました。流域からはヒスイが穫れることでも知られています。

この川は名前に反して、急流の暴れ川で、くり返し氾濫、難路で皆
嫌がったので、厭川(いといかわ)などとも呼ばれたという。江戸
時代中期の越後の百科全書『越後名寄』(えちごなよせ・丸山元純
輯)にも北陸道の姫川の渡河について「舟渡也、山近く海近し、流
疾く矢を突許也」とあるほどです。

水源は長野県白馬村の親海湿原(およみしつげん)。青木湖北方大
糸線線路の北、白馬村佐野にあり、姫川源流湧水・親海湿原があり
ます。名水100選にも選ばれ、姫川源流自然探勝園があります。一
説には大町市の青木湖の水が、湖北40mくらいの地下から漏れて
北方白馬村佐野坂の下をもぐり、親海湿原(およみしつげん)に湧
水しているともいわれています。

姫川という名前は、『古事記』にも登場する沼河比売(ぬながわひ
め・奴奈川姫)に由来しているという。この川は昔は沼河(ぬなが
わ・奴奈川)ともいっていたそうです。この「沼河」の「ぬ」は瓊
(けい、たま)で、美玉のことでヒスイのことだという。『古事記』
によれば、昔、高志(越)の国を治めていたのは沼河比売(奴奈川
姫)だったという。賢く絶世の美女だった奴奈河比売の噂を聞いた
八千矛(やちほこ)の神(大国主神・大己貴命<おおなむちのみこ
と>。武器をたくさん持っていたのでこう呼ばれた)が、はるばる
出雲の国からやってきて姫と結ばれたというのです。

『古事記』(上つ記)に、「…この八千矛(やちほこ)の神(大国主
神)、高志(こし)の国(北陸)の沼河比売(ぬなかはひめ)を婚
(よ)ばはむとして(求婚しようとして)、幸行(いでま)し時に、
その沼河比売の家に到りて、歌ひたましく(歌われたのには)、八
千矛の 神の命は 八島国 妻枕(ま)きかねて(娶りかねて) 
とほとほし(あの遠い遠い) 高志の国に(北陸地方に) さかし
女を(賢い気の利いた女が) ありと聞かして(いるとお聞きにな
って) くはし女を(きめの細かい美女が) ありと聞こして さ
よばひに(求婚に) ありたたし(幾度もお出かけになり)…と、
歌い続けます。

あまりのしつこさに沼河比売も心があるとの相聞歌で応答します
が、「その夜は合はさずて、明日(くるつひ)の夜(翌日の夜)に、
御合(みあ)ひましき(結婚された)」とあります。それを聞いた
出雲の本妻・須勢理比売(すせりびめ)はものすごい焼き餅を焼き、
困り果てた八千矛神(大国主神)が歌を詠み、須勢理比売命がそれ
に返歌し、しばらく贈答歌の応酬したあと和解。

「しかして(そこで)、その后(須勢理比売)、大御酒坏(おほみさ
かずき)を取り、(夫の傍らに)立ち依(よ)り指挙げて(差し上
げて)、歌ひたまひしく、「八千矛の 神の命や あが大国主 なこ
そは 男(を)にいませば うち廻(み)る(巡る) 島の崎々 
…」。かく歌ひたまひて、すなはち(すぐそのまま)うきゆひして
(固めの杯を交わし)、うながけりて(首に手を懸け合い)、今に至
るまでに鎮まります。これを神語(かむがたり)といふ」というこ
とです。

『古事記』にはこれだけですが、地元新潟県糸魚川市に残るいい伝
えでは、八千矛神(大国主神)と沼河比売との間に生まれた子が建
御名方神(たけみなかたのかみ・諏訪大社の祭神)で、姫川をさか
のぼって信濃国の諏訪に入ったと語られています。伝説では八千矛
神(大国主神)と沼河比売との間に建御名方神が生まれたあと穏や
かな暮らしがつづいたという。ある日、大国主の父が亡くなったと
いう知らせが届きます。命は息子の建御名方命にこの国を任せ、出
雲へ帰ることにしました。

命は、姫に一緒に出雲へ行くようにいいますが、姫は嫌がります。
出雲には嫉妬深い后たち(須勢理比売(すせりびめ)だけではない)
がおり、また大切なヒスイを守るという使命もあったのです。大国
主神は姫を強引に船に乗せて連れて行こうとします。姫は途中で逃
げだしますが、大国主の追っ手があとを追います。

あちこち逃げまわりますが、のち追っ手も来なくなったころ、吉が
浦(新潟県上越市吉浦)というところに息子の健御名方命に宮殿を
建ててもらい、沼河比売はここで天寿を全うしたということです。
いま乳母ヶ岳神社になっているということです。また姫川の奥深く
逃げ込みましたが、追っ手が厳しくなり無念の自殺をしたという説
もあるようです。

ちなみに神話の「出雲の国譲り」の時、高天原から派遣された建
御雷神(たけみかづちのかみ・建御雷之男神)は、十掬釼(とつ
かつるぎ)を抜き、逆(さかさま)に浪の穂(波がしら)に刺し立
て、その剣先にどっかとあぐらをかいて大国主命(大己貴命)に
国譲りを迫ります。しかし、大国主命と奴奈河比売の子、建御名
方(たけみなかた)神は国譲りには反対です。そこで、建御名方
神は「力比べで勝負してきめよう」と、怪力の建御雷神に挑みま
したが、建御名方神はとうとう破れてしまいました。そして長野
県の諏訪湖まで逃げて来て諏訪大社の祭神になったという伝説も
あります。

話を姫川に戻します。姫川源流の湧水地(親海湿原・およみしつげ
ん)は、青木湖の水が流出し湧きだしているらしいといいます。ま
た、そのもとの青木湖もこの湖に流入する目立った川もなく、湖底
から湧いているのではないかというのです。それなら西に連なる後
立山連峰の鹿島槍ヶ岳あたりから地中深くもぐった雪解け水が青木
湖に湧きだしているのかも知れません。先の「山男小唄」3番です。
♪そびえる岩もあの娘(こ)も同じ 俺のハーケン待っている ピー
ク近いぞ日暮れは早い きょうの泊まりは 鹿島槍鹿島槍。私はい
い歌だと思っているんですがねぇ。

▼姫川源流湧水親海湿原【データ】
【所在地】
・長野県白馬村佐野坂。JR大糸線南神城駅の南東1.2キロ。JR
大糸線南神城駅から歩いて30分で姫川源流湧水親海湿原。地形図
上に何も記載なし。付近に標高点(744m)がある。

【名水】
・「名水100選」

【位置】
・親海湿原:北緯36度37分35秒、東経137度50分48.8秒

【地図】
・旧2万5千分1地形図名: 神城(高山1号-3)

【参考文献】
・『角川日本地名大辞典15・新潟県』田中圭一ほか篇(角川書店)
1989年(平成1)
・「神々の系図」川口謙二(東京美術)1981年(昭和56)
・『古事記』:新潮日本古典集成・27『古事記』校注・西宮一民(新
潮社版)2005年(平成17)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本大百科全書・19』(小学館)1988年(昭和63)
・『日本伝説大系3・南奥羽・越後』(山形・福島・新潟)大迫徳行
ほか(みずうみ書房)1982年(昭和57)
・『日本歴史地名大系15・新潟県の地名』宮栄二ほか(平凡社)1986
年(昭和61年)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』一志茂樹ほか(平凡社)
1990年(平成2)

ゆ-もぁイラスト・駄画師(漫画家)
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