山の伝承伝説に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼763号 「高山植物深山のチングルマ・チョウノスケソウ」

【概略】
チョウノスケソウは須川長之助草。ロシアの植物学者マキシモビッ
チが滞日した時、植物採集の手伝いをした長之助が、明治時代北ア
立山でこの植物を採集、のち牧野富太郎博士によって命名されたと
いう。ふつう花弁8枚。11枚あるものもあるという。
・バラ科チョウノスケソウ属の常緑小低木。

▼763号 「高山植物深山のチングルマ・チョウノスケソウ」

【本文】
稜線を歩いていると、地面にビッシリ生えた小さな葉の中から出た
白い花が咲いているのを見かけます。そばにチングルマのような毛
がよじれたものがあります。高山植物のチョウノスケソウです。

草のように見えますが、れっきとした木です。高さ10センチ弱の小
低木。葉は2〜3センチくらい。平にならんだようになっています
が有柄で、葉柄は葉よりも長く、その中部まで托葉が癒着している
という。

夏に5センチくらいの花柄を出してその先に白い花を一つ咲かせま
す。白い花弁は楕円形で、バラ科には珍しく8枚、時には6〜11枚
もあるものもあるそうです。雄しべも雌しべも多数。

花がおわると、花柱がねじれた状態で長く伸びはじめ、成熟すると
開出する。その様子がチングルマに似ているのでミヤマチングルマ
とも呼ばれています。

チョウノスケソウとはまるで人の名前です。その名は須川長之助。
須川長之助は岩手県の人で、1889年(明治22)、北アルプス立山で
この植物を採集。6年後に植物博士牧野富太郎によりこの名がつけ
られたという。

そもそも彼は、江戸時代末期、日本の植物研究家として知られたロ
シアのマキシモビッチが滞日した時、植物採集の手伝いをした人。
マキシモビッチが帰国した後も採集をつづけ、標本をペテルブルグ
(いまのレニングラード)のマキシモビッチのもとに送ったという。

この時送ったイヌシデ、ミネカエデ、コメツツジ、オオヒョウタン
ボクなどの日本植物が、マキシモビッチにより長之助の名を学名と
してつけられました。

チョウノスケソウの標本も同じように送られ、のちに、ドリアス・
チョーノスキーという名がつけられました。しかしいまはこの学名
は使われていないそうです。
バラ科チョウノスケソウ属の常緑小低木。

▼【データ】
★【参考】
「植物の世界・5」(朝日新聞社)1996年(平成8)
「世界の植物・5」(朝日新聞社)1975年(昭和50)
「牧野新日本植物図鑑」牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

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