山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

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▼728号 「奈良県吉野・泰澄、一言主の神の縄を解く」

奈良葛城山と吉野の間に岩の橋を架けようとした役ノ行者は、反抗
する一言主の神を葛のつるで縛って呪縛、谷底に捨てたという。あ
る時白山を開いた泰澄大徳がその呪縛を解いてみたら天から叱る声
がしたという。声の主は役ノ行者か蔵王権現か。
・奈良県吉野町

▼728号 「奈良県吉野・泰澄、一言主の神の縄を解く」

【本文】
飛鳥時代の文武元年(697)、役ノ行者が全国の天狗や鬼神を集め、
葛城山と金峰山との間に岩の橋を架けようとした話は有名です。

その時、鬼神の中に葛城山の神・一言主の神もいました。一言主は
行者の言うことを聞かなかったため葛の蔓で7巻きされ谷の底に置
き去りにされたという。

平安時代後期、大江匡房(まさふさ)が書いた「本朝神仙伝」とい
う本には、葛の蔓を解こうといろいろ方法をつくしたが解くことが
できず、一言主の神のうなり叫ぶ声が幾年も続いているがいまだに
絶えていないと書かれています。

しかし同書はまた、白山を開いた泰澄大徳がこれを解いたとも書い
てあります。

「(泰澄が)吉野山に至りて、一言主の縛(いまし)めを解かむこ
と欲つして、試みに苦(ねむごろ)に加持するに、三匝(みめぐ)
りして、已に解けぬ。(その時)暗(そら)に聲有りて、叱(いさ)
ひて、繋(つな)ぎ縛(ゆは)ふること元の如くなり」とあります。

泰澄が呪縛を解いたのを叱りつけた声が天空から聞こえ、蔓は元通
りに一言主を縛ったというのです。この泰澄を叱りつけた天からの
主は、役ノ行者かまたは蔵王権現ではないかとされています。

同書には岩橋の作りかけが葛城山と吉野の二つの山にあるとしてい
ます。それについて同書「本朝神仙伝」を校注した川口久雄博士は
記述の誤りではないかとしています(「日本古典全書・古本説話集」
川口久雄校注・朝日新聞社)。

実際、大和葛城山の北方の岩橋山の西直下には私も岩橋の作りか
け?を確認していますが、吉野(金峰山・いまの青根ヶ峰が金峰山
のことで吉野の山岳信仰の発祥地)側にはどうもなさそうです。

なお、室町時代に書かれたと思われる「役行者本記」(えんのぎょ
うじゃほんぎ・「宗祖本記」ともいう)という本では、この一言主
の神が捨てられた谷は金剛山の東麓の蛇谷ということになっていま
す。

▼【データ】吉野青根ヶ峰(あおねがみね)
★【異名・由来】
金峰山・御金ノ岳(みかねのたけ)

★【所在地】
・奈良県吉野郡吉野町と奈良県吉野郡川上村、奈良県吉野郡黒滝村。
近鉄吉野線吉野駅の南東5キロ。近鉄吉野線吉野駅から2時間30分
で青根ヶ峰。三等三角点(857.9m)がある。そのほか付近に何も
なし。地形図上には山名と三角点とその標高のみ記載。三角点より
西方向直線約630mに金峰神社がある。

★【位置】
・青根ヶ峰三角点:北緯34度20分29.0623秒、東経135度53分16.5479秒

★【地図】
・2万5千分の1地形図「新子(和歌山)」。

▼【参考】
・『本朝神仙伝』大江匡房(「日本古典全書・古本説話集」川口久雄
校注(朝日新聞社)1971年(昭和46)
・『仙人の研究』知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
・『日本伝奇伝説大事典』編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
・『日本大百科全書・14』(小学館)1987年(昭和62)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

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