山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

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▼720号 「北陸白山・泰澄上人と火口湖千蛇ヶ池」

【概略】
昔、泰澄上人が白山を開いた時、山頂に3千匹の妖蛇がすんでいた
という。上人は千匹をいま蛇塚といわれるところに埋め、もう千匹
を火口湖の千蛇ヶ池に閉じこめ、また残りの千匹を白山南方の三ノ
峰山麓の刈込池に閉じこめたという。火口湖の池にはまだその怨念
が…??
・石川県白山市

▼720号 「北陸白山・泰澄上人と火口湖千蛇ヶ池」

【本文】
北陸の名山といわれる白山は、石川県白山市(旧石川郡尾口村)
と石川県白山市(旧石川郡白峰村)・福井県大野市・岐阜県郡上市
と岐阜県高山市(旧大野郡荘川村・しょうかわむら)と岐阜県大野
郡白川村との境にあり、最高峰の御前峰(ごぜんみね・2702m)
と、大汝峰(おおなんじみね・2684m)、剣ヶ峰(2677m)の三つ
の峰の総称です。

これらの南方、少し離れて別山(2399m)とさらに南方には三ノ
峰(2128m)があり、それらを含めて「白山5峰」というそうで
す。御前峰山頂には十一面観世音と白山妙理大菩薩を祀った白山比
刀iしらやまひめ)神社の奥宮があります。白山は最終氷河期(ウ
ルム氷期というのだとか)の氷河活動による浸食作用をはっきりと
分かる日本の南西限にあたる山なのだそうです。そのためここから
の南西は極端に少なくなったり、全くいなくなる動植物が多いなど、
生物分布上からも重要な山なのだそうです。

白山は深田久弥選定の「日本百名山」にも数えられています。「百
名山」どころか「日本三名山」に数えられ、民謡おわら節のはやし
文句にも「♪越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だ
よ」と歌われています。こんな山ですから、富士山にばかり「日本
一」の座ををまかせているわけにはいきません。全国の山々が富士
山に背比べを挑みましたが次々に負けていきました。越中立山もと
うとう負けてしまいました。最後に白山が挑みました。

柳田國男も「日本の伝説」(山の背くらべ)の中で、「白山は富士
山と高さ競べをして、勝負をつけるために樋を渡して水を通しま
すと、白山が少し低いので水は加賀の方へ流れようとしました。
それを見た白山方の人が急いで自分のわらじをぬいで、それを樋
のはしにあてがったところが、それでちょうど双方が平になった。
それゆえにいまでも白山に登る人は必ず片方のわらじを山の上に
ぬいで置いて帰らねばならぬのだそうです」と述べています。

その白山の山頂には、千蛇ヶ池という気味の悪い池がります。こ
こには妖蛇伝説も残っています。白山は奈良時代に泰澄上人が開
いた山といわれれています。そもそも当時この山には3千匹もの
妖蛇がすみ、ふもとの村人を悩ましていたという伝説があります。
泰澄上人は大蛇たちを呼び集めて、因果をふくめ、凶悪な1千匹
を切って塚に埋めました。これが白山の観光新道が阿弥陀ヶ原に
入る所にある「蛇塚」だというのです。

次の1千匹は千蛇ヶ池に封じ込めてしまい、雪でふたをして再び
世に出れないようにしました。もし雪が消えるような時には、池
のすぐ上の御宝庫がくずれ落ち、池を埋めてしまうといわれてい
ます。残る1千匹を白山南方三ノ峰の南西麓にある原ノ平の「刈
込池」に封じ込めてあるということです(「白峰村史」による)。
なお、同名の「千蛇ヶ池は」北アルプスの立山にもあって同じよ
うな伝説が残っています。

そもそも白山は、奈良時代初期の養老元年(717)、泰澄上人によっ
て開かれたそうです。泰澄は越前の国麻生津(あそうづ・現福井市)
の出身。14歳の時十一面観音の霊夢を見て越前国丹生(にう)郡
の越智(おち)山で修行を積み、飛鳥時代の大宝2(702)年に鎮
護国家の奉仕に任命されたという。

同じ大宝2年、石川県の能登島(現能登島町)の小沙弥(のち、臥
(ふし)行者になる)という人が尋ねてきて侍者になったという。
臥行者は術を使って北海行船から米俵を招いて呼び寄せ、運んだり
していたそうですが、それを見た出羽の船頭神部浄定(のち浄定行
者んになる人)が、その験力に感じ入り、泰澄の弟子になったとい
います。

泰澄は平泉寺(いまの福井県勝山市平泉寺町平泉寺(へいせんじち
ょうへいせんじ)にある平泉寺白山神社)で、白山神が伊弉冉(い
ざなみ)尊で妙理大菩薩であることを悟ったという。さらに翠ヶ池
畔で白山神を拝し祈っていると、神が九頭竜の姿であらわれました
が、やがて本当の十一面観音の姿に変身しました。

泰澄はつぎに別山に向かうと宰官があらわれ、聖観音のこの世にあ
らわれる姿(垂迹)は小白山別山大行事であると告げました。次い
で大汝峰に登拝すると、老人に会い、本当の姿(本地)は阿弥陀如
来で、現身(垂迹)は大己貴であると名乗ったという。

泰澄は奈良時代初期の養老3(719)年まで修行を積んで下山。神
亀2(725)年、白山で行基(朝廷より菩薩の諡号を授けられた)
と会い、天平8(736)には玄ム(げんぼう・法相宗の僧)を訪ね
たりしました。翌天平9(737)年、流行の疱瘡を十一面法によっ
て終息させ、大和尚位を許され、泰澄と号するようになりました。
天平宝字2(758)年以後、越知山の大谷にこもり、神護景雲元(767)
年、86歳で同所に没したそうです。

ある年の9月、ガスのなか御前峰の白山比刀iしらやまひめ)神
社の奥宮の柵の中で冷たい風をよけながら小休止。軽食と取り温
かいお茶を飲みました。体を暖めてから出発。お花畑を見ながら、
火口湖の紺屋ヶ池、油ヶ池、翠ヶ池、血ノ池、五色池、百姓池、
千蛇ヶ池の順に池めぐりをしようとがれきの中を歩き出しました。

途中、真っ白な中で耳をつんざくようなドッカーンという超デカ
イ爆音。一発だけの雷でした。つづいてポツリと当たった雨粒は
とたんに篠をつく雨に早変わり、ほうほうの体で逃げ出しました。
小桜平の避難小屋までの遠かったこと、遠かったこと。まだ妖蛇
の怨念は残っているのでしょうか。

▼【データ】千蛇ヶ池(せんじゃがいけ)
・【所在地】
石川県白山市(旧石川郡白峰村)。JR北陸本線金沢駅からバス終
点別当出合(シーズンのみ)、歩いて4時間で蛇塚、さらに1時間4
0分で千蛇ヶ池。多数の池がある。地形図上には池の名前の記載な
し。千蛇ヶ池より東方向直線約400mに御前峰がある。

・【位置】
【白山千蛇ヶ池】:北緯36度09分22秒、東経136度46分02


・【地図】
2万5千分の1地形図「白山(金沢)」

【山行】
第6日目:2004年(平成16)9月4日(土)白山千蛇ヶ池探訪:20
04年(平成16)8月30日(月)夜行〜9月8日(水)「福井駅・越
前大野駅・勝原駅・勝原キャンプ場・カドハラスキー場駐車場・シ
ャクナゲ平・荒島岳・勝原キャンプ場(泊)・勝原駅前(大野市営
バス)鳩ヶ湯・上小池キャンプ場・剣ヶ岩の看板直下ビバーク・三
ノ峰避難小屋・南竜山荘キャンプ場(泊)・御前峰・小桜平避難小
屋(泊)停滞・山崎旅館(泊)・瀬女バス停・金沢駅」:「北陸「荒
島岳・別山・白山御前峰・大汝峰」家内と同行

・【参考】
「仙人の研究」知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
「日本伝奇伝説大事典」編者・乾勝己ほか(角川書店)1990年(平
成2)
「角川日本地名大辞典17・石川県」浅香年木ほか編(角川書店)19
81年(昭和56)
「日本歴史地名大系17・石川県の地名」(平凡社)1991年(平成3)
「刈込池の大蛇」福井県大野市・幅岸幸代様ご提供

 

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山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

 

 

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