▼558号 「東北・飯豊山の奇妙な境界線」
【概略】
山形・福島・新潟の県境の飯豊連峰。ところが飯豊山周辺は福島県
だけに属し、先の御西岳付近は新潟県がはずれて山形・福島県境。
つまり稜線の登山道沿いは福島県山都町。ここは古くからの信仰の
山。民衆は昔から里宮のある福島県側から奥ノ院へ登っていたため
こんな形になったという。・福島県喜多方市
▼558号 「東北・飯豊山の奇妙な境界線」
【本文】
山形県、福島県、新潟県にまたがる飯豊連峰。三国山、種蒔山、飯
豊山、御西岳、大日山、北股岳、エブリ差岳などが連なっています。
ところが三国岳(1644m)から主峰の飯豊山(飯豊本山・2105m)
の西2キロ、御西岳(2013m)先の御西小屋付近までは、細長く福
島県山都町が食い込んでいます。それにはこんなわけがあります。
飯豊山は古くからの信仰の山。飛鳥時代、役ノ行者と知道和尚がは
じめて飯豊山に登ったという。
豊かに盛った飯のような山なので「飯豊」と名づけ五社権現をまつ
り、山麓の福島県喜多方市山都町(旧耶麻郡山都町)に薬師寺を建
てて別当寺としたという。いまでも山頂に飯豊山神社の奥社があり、
喜多方市山都町一ノ木に里宮本殿があります。
そのため麓の人々の飯豊本山・飯豊神社への登拝はもっぱら福島県
側から登っという。そのためいまのような形になり、三国岳から飯
豊本山、御西岳先までの約8キロは幅の狭い稜線づたいに奥ノ院へ
の登山道が開かれています。
飯豊山神社は、塀のように高く石が積まれています。その「塀」の間
から中に入り、よく分からないまま参拝。御西岳周辺は高山植物の宝
庫、ニッコウキスゲやチングルマなどお花畑がつづきます。道ばたに
ザックをおいて休んでいたら地元の生徒たちの集団登山と遭遇。
「こんちは、コンチハ、こんちは、コンチハ……」と元気な声が機関銃
のように飛んできます。おしゃべりに夢中な子、おやつを食べていたの
か、盛んに口を動かしている子。前の生徒との間が空いて慌ててかけ
だす子などさまざまです。それにしてもみんな元気だなあ。
▼【データ】
【山名・地名】飯豊山(いいでさん)・飯豊本山(いいでほんざん)
・【異名・由来】飯出山・四季山。西斜面の新潟県北蒲原郡内に温
泉があり「湯出・ゆいで」に由来。また山容が飯を盛ったような形
に由来(652年「会津正統記」)。また「陸奥国風土記」逸文にある
飯豊山のように豊岡姫命・飯豊青尊に由来するなどの説がある。四
季山:夏に登ると万年雪やお花畑があり、さらに風は秋を思わせる
ように冷たいので信者たちは四季山といった。
【所在地】
・御西小屋までは福島県喜多方市山都町(旧耶麻郡山都町)。それ
から先は山形県西置賜郡小国町と新潟県東蒲原郡阿賀町(旧東蒲原
郡鹿瀬町)との境。磐越西線山都駅の北25キロ。JR磐越西線山都
駅かタクシー・川入りからのべ8時間30分で飯豊本山。一等三角点
(2105.1m)と飯豊山神社と本山小屋がある。地形図に山名と三角
点の標高のみ記載。三角点より東方向直線約622mに飯豊山神社と
本山小屋がある。
【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第19番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
【ご利益】
・【飯豊山神社奥宮】:五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、身体堅固
・【位置】(地図閲覧サービス)
・【飯豊本山一等三角点(標高2105.1m)】北緯37度51分17.4秒、
東経139度42分25.5秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「飯豊山(新潟)」。5万分の1地形図「新
潟−飯豊山」
【参考】
・「飯豊山の修験道」中地茂男(「山岳宗教史研究叢書・7」(名著
出版)1977年(昭和52)所収
・「角川日本地名大辞典7・福島県」小林清治ほか編(角川書店)1
981年(昭和56)
・「角川日本地名大辞典6・山形県」誉田慶恩ほか編(角川書店)1
981年(昭和56)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「新編会津風土記」(巻之二十五〜巻之五十):大日本地誌大系・
第31「新会津風土記2」(雄山閣)1932年(昭和7)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・「日本歴史地名大系7・福島県の地名」(平凡社)1993年(平成5)
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