山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼543号 「道志御正体山のご聖人様」

【概略】
かつて御正体山はご聖人と呼ばれる僧が修行に励む場所だった。な
かでも三代目のご聖人・妙心上人は、そば粉などを水で溶いたもの
を食べて修行、ついに即身成仏したという。上人のミイラは、故郷
の岐阜県の横蔵寺に安置されているという。
・山梨県都留市

▼543号 「道志御正体山のご聖人様」

【本文】
ふつう山の上には祠が建てられていて山の神などを祭ってありま
す。しかし、山梨県・道志山塊の最高峰の御正体山のように、山そ
のものを信仰の対象にしているところもあります。

かつて山頂には御正体権現がまつられていて、山伏の修行道場だっ
たといいます。また「ご聖人」と呼ばれる僧が修行に励む場所でも
あったそうです。

なかでも三代目(江戸時代後期)のご聖人・妙心上人は、富士山で
修行中、御正体権現がいる山を開けというお告げを受けたという。

そして1814年(文化11)御正体山に入山。そば粉などを水で溶いた
ものを食べて修行、翌年4月、ついに入定(にゅうじょう)して即
身仏になったという。以来、御正体山には妙心の新たな信仰が加わ
ったという。

妙心のミイラ(これも御正体といっている)は御正体山の上人堂に
安置されていましたが、1890年(明治23)に生まれ故郷の岐阜県揖
斐川町の横蔵寺に移されたといいます。その写真はいまも地元に残
っているとか。

当時山頂には寺院も建てられていて、信仰登山の人々で賑わってい
たといいますが、明治の廃仏棄釈の嵐が吹き荒れて以降すっかりす
たれてしまい、いまは峰宮跡と、山頂に小さな赤い屋根の祠が残っ
ているだけです。

ある年の5月、富士急行都留市駅から大平地区に行き、三輪神社を
見学御正体山を目指しました。初夏とはいえまるで真夏のような暑
さです。御正体山頂の小平地で昼食、他の2,3パーティーのみ。

背丈まで育った夏草の花に蜜を求めて蜂たちが群れをなしていま
す。見るものとてなく、登山者たちは三角点わきにある壊れた木祠
を代わる代わるのぞき込んでいました。

・【データ】
【山名・地名】御正体山(みしょうたいさん・みしょうたいやま)
・【異名・由来】:マコゼンノ丸。仏体=正体。

【所在地】
・山梨県都留市。富士急行十日町駅南東7キロ。 富士急行都留市
駅からバス・細野から3時間20分で御正体山。一等三角点(1681.6
m)と、木祠と、山頂近くに峰宮跡がある。地形図上には山名と三
角点記号とその標高のみ記載。付近に何も記載なし。

【名山】
・深田クラブ選定「日本二百名山」(第147 番選定):日本百名山
以外に100山を加えたもの・日本三百名山にも含まれる。
・山梨県選定「山梨百名山」(第75番選定)

【位置】(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)
・【一等三角点】緯度経度:北緯35度29分13.08秒、東経138度55分5
3.68秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「御正体山(甲府)」。5万分の1地形図「甲
府−山中湖」

【参考】
・「甲斐国志」(松平定能(まさ)編集)1814(文化11年):(「大日
本地誌大系」(雄山閣)1973年(昭和48)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本の民俗・山梨」(第一法規出版)1977年(昭和52)
・「日本歴史地名大系19・山梨」(平凡社)1995年(平成7)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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