山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼506号 「中ア木曽駒ヶ岳の不思議な馬」

【概略】
この山は昔から神なる馬がすむという伝説があります。江戸前期、
登山中の尾張の大目付らの目の前に大きなあし毛の馬があらわれた
というのです。首の毛や尾が地面を引きずるほど長く眼の光は鏡の
ように輝いていました。馬は人影を見ると霧の雲のなかに隠れてし
まったという。地面の蹄のあとを見ると大きさが30センチもあった
という話があります。
・長野県宮田村と同県木曽町、同県上松町との境。

【本文】は下方にあります。

▼506号 「中ア木曽駒ヶ岳の不思議な馬」

中央アルプスの木曽駒ヶ岳(長野県)の山の名は平安時代はじめの
『続日本紀』(飛鳥時代から奈良時代の歴史書)に、「天平十年八月、
信濃国献神馬、黒身白髪……」とあります。

奈良時代の天平10年(738)に、信濃の国から黒身白髪の神馬が献
上されたとあるこの記述が、名前の由来ではないかとされています。
このほか、馬に由来した雪形や伝説が多い。

晩春に、天竜川東岸から眺めると、中岳に右下を向いた駒の姿が黒
く現れる。それはたかも駒飼いの池の水を飲もうとしているように
見えて、昔は農作業の目安とされ、「この形最もうるはしき頃、田
の代をつくる」といわれたそうです。

するとその下方の前岳の雪渓に種まき爺さんの姿の雪形も浮かんで
くるのです。将棊頭山(しょうぎがしらやま)稜線南面にそって2
匹の「走る馬」の雪形も有名です。

またこの山には古くからこの山には神馬がすむと信じられていまし
た。江戸中期の『新著聞集』(しんちょもんじゅう)という本の「勝
蹟篇第六・信州駒が兵馬化して雲に入る」の項にもこんな話が載っ
ています。

寛文4年(1664・江戸時代も前期)、尾張(いまの愛知県)の大目
付佐藤半太夫、勘定方天野四郎兵衛、金役天野孫作、材木役都築弥
兵衛、小目付真鍋茂太夫など、えら−い役人たちが木曽路を見まわ
りやってきました。

見まわりの前日、山村甚兵衛家来ふたり、地元の農夫を案内役にし
て、木曽駒ヶ岳に登りました。一行は、やぶや草木をふみわけ、岩
や木の根、つたなどにつかまりながらよじ登っていきました。頂上
付近にやってきたとき、突然目の前に大きなあし毛の馬があらわれ
ました。

馬の首の毛や尾が、地面に垂れて引きずるほど長く、眼の光は鏡の
ように輝き、その形相は、身の毛もよだつ恐ろしさです。馬は人影
を見ると峰の中央まで静かに登っていき、急にわきだした霧の雲の
なかに隠れてしまい、とうとう見失ってしまったという。地面の蹄
のあとを見ると大きさが30センチ以上もあったという。

また江戸中期の享保4年(1719)、元文元年(1736)、宝暦6年(17
56)には高遠藩士などが駒ヶ岳の山中を検分していますが、その時
の報告書「駒ヶ岳一覧之記」にはこんなことも記されています。

駒形山(中岳)の峰には、駒の足跡という岩にくぼんだ蹄形がふた
つならんでいて、馬舟石(ばふねいし)という広く窪んだ石もあり、
どれも水が溜まっている。日でりでもこの水絶えず、紙に湿して帰
り、馬に食わせると寿命が延びるといういいつたえがある。

岩鹿(カモシカ)と猿は折々見えた。砂場には馬糞のようなものが
14、5ほども固まってあったが、これは「おこり」の薬になるとい
う。また峰の辺りで木の枝に馬の尾のようなもの(サルオガセ)が
2,30筋もかかっているのをみたなどの記述があります。

さらに「三季物語」には、「天正十年、織田右丞相甲州を征伐して、
軍をめくらし諸将に向て吾れ聞り駒ヶ岳に四百年来に及ぶ神馬あ
り、明年諸州の軍卒を集てこれを狩得んと思ふ、むかしの右大将の
富士の牧狩を倣ふべしと、予め支度に及ぶ所、其年の六月、明智光
秀が為に弑(しい)せられて其事輟(やめ)り」とあります。

織田信長が「本能寺の変」に遭わなければ、もしかしたら諸州の諸
将を集めて神馬狩りをしていたかも知れません。木曽駒はとかく馬
に関深い山ではあります。さすが「駒ヶ岳」ですね。日本百名山(深
田久弥選定・日本二百名山、日本三百名山にも含まれる)。新日本
百名山(岩崎元郎選定)。花の百名山(田中澄江選定)。

▼木曽駒ヶ岳【データ】
【山名・地名】・晩春のころにあらわれる馬に似た雪形や神馬伝説
による。

【名山】
・(第74番)日本百名山(深田久弥選定・日本二百名山、日本三百
名山にも含まれる) ・(第62番)新日本百名山(岩崎元郎選定)
 ・(第70番ヒメウスユキソウ)花の百名山(田中澄江選定)

【所在地】
・長野県上伊那郡宮田村と長野県木曽郡木曽町(旧木曽郡木曽福島
町)、長野県木曽郡上松町との境。飯田線駒ヶ根駅の北西14キロ。
JR飯田線駒ヶ根駅からバス、ロープウエイ千畳敷から歩いて2時
間15分で木曽駒ヶ岳。一等三角点(2956.0m)と、木曽側と伊那側
の木曽駒ヶ岳神社がふたつある。地形図に山名と三角点の標高と神
社記号鳥居の記載あり。三角点より西方160mに木曾小屋がある。

【位置】
・【三角点】緯度経度:北緯35度47分22秒、東経137度48分16秒(電
子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」(国土地理院「地図
閲覧サービス」から検索)。5万分の1地形図「飯田−赤穂」(「電
子国土ポータルWebシステム」から検索)

【参考】
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)1
990年(平成2)
・「駒ヶ岳由来記(木曽駒)」木曽上松町駒ヶ岳社務所(駒ヶ岳研究
第一輯・上伊那教育会編・昭和15年9月15日所載)宮田村役場提供
・「新稿日本登山史」山崎安治著(白水社)1986年(昭和61)
・「信濃奇談」堀内元鎧?:(「日本庶民生活史料集成16・奇談奇聞」
(鈴木棠三ほか編)(三一書房)1989年(平成1)所収
・「信州山岳百科・2」(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・「新著聞集」(勝蹟篇第六・信州駒が兵馬化して雲に入る)(神谷
養勇軒)1749年(寛永2)刊:「日本随筆大成第二期第5巻」日本
随筆大成編輯部編(吉川弘文館)平成6年8月1日)所収

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る