山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼454号 「日光・男体山は家族持ち」

【概略】
日光男体山は家庭持ちだという。北東の女峰山の妻との間に、2人
の子どもの愛子(まなこ)の意味の小真名子山、大真名子山がいま
す。また、ちょっと離れた北側にはすでに独立した長男の太郎山が、
もう1人の小太郎山を従えています。ここの天狗・東光坊は徳川家
康の化身だという伝説もあります。
・栃木県日光市

▼454号 「日光・男体山は家族持ち」

【本文】
栃木県日光の男体山(2484m)の名は、この山を神体とする二荒(ふ
たら)山神社(山頂に奥社)の祭神である男神・大己貴命(おおな
むちのみこと=大国主命・大黒さま)の居所であるところからきて
いるといいます。

奈良時代のえらいお坊さん、勝道上人が782年(延暦元)にこの
山を開いたと、弘法大師空海が漢詩集「性霊集」に書いています。

その時、どのコースを登ったかについてはこだわりがあるらしく、
いろいろな人の間で難しい論議が交わされてきました。

勝道上人が登ったころの山は補陀洛山(ふだらくやま)と呼ばれ、
のち二荒山(北東の羅刹崛(らせつくつ)の岩穴から年2回突風が
吹き出るのにちなむ)と改称。

その後、空海が岩穴を結界。二荒を「にこう」と読み、日光の名が
生まれたとされています。ここも山岳修行の山、日光修験は八十坊
からなり、本山派、当山派の支配からはずれ、独自に厳しい修行を
していたという。

もともと日光には日光坊という天狗がいましたが、1617年(元和3)、
東照宮造営前後に突然、群馬県の妙義山に「山移り」したという。
日光坊天狗がいなくなった日光に住みだした天狗が東光坊。東光坊
は徳川家康の化身という説があります。

ところで男体山は家庭持ちです。北東の女峰山の妻との間に2人の
子どもの愛子(まなこ)の意味の小真名子山、大真名子山がおり、
ちょっと離れた北側にはすでに独立した長男・太郎山がもう1人の
小太郎山を従えています。

▼日光男体山【データ】
【所在地】
・栃木県日光市。JR日光駅からバス、二荒山神社前から歩いて3
時間40分で日光男体山。一等三角点(標2484.2m)と二荒山神社奥
宮と男体山神社がある。地形図上には山名と三角点記号とその標高、
二荒山神社奥宮の文字と男体山神社の鳥居記号の記載あり(別の位
置)。三角点より南西方向直線約83mに奥宮がある。また三角点よ
り西方向直線約173mに鳥居記号(男体山神社)がある。

【ご利益】
・【二荒山神社奥宮】:金運・幸運、縁結びや安産祈願など

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第36番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第28 番選定)

【位置】
・【一等三角点】緯度経度:北緯36度45分54.7秒、東経139度29分26.
89秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「男体山(日光)」or「日光北部(日光)」(2
図葉名と重なる)。5万分の1地形図「日光−男体山」

【参考】
・「図聚天狗列伝・東日本編」知切光歳(三樹書房)1977年(昭和5
2)
・「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよた 時】

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