山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼410号 「北信・高妻山と山伏」

・【概略】
平安初期の850年(嘉祥3)、学門行者という名の行者が飯縄山から
峰伝いに戸隠に移り、次第に高妻山など裏山へ入っていったという。
このあたりには九頭竜がすんでいて、北アルプスの剱岳を7回半も
尾で巻きつけているという伝説もあります。
・長野県戸隠村と新潟県妙高市との境

▼410号 「北信・高妻山と山伏」

【本文】
長野県の高妻山も修験道の山。戸隠山を表山というのに対して高妻
山をとくに裏山といい、山伏の入峰の道だったといいます。また剣
峰、両界山、戸隠富士などの異名もあります。

平安初期の嘉祥(かしょう)3年(850年)、飯縄山を開山した学問
行者という名前の修験者が、峰伝いに戸隠山に移り、戸隠修験を開
いたと「戸隠山顕光寺流記」(とがくしさんけんこうじるき)にあ
ります。

この修験者は表山から次第に裏山へ入峰(にゅうぶ)し、修行にい
そしんだということです。また別の「阿裟縛(あさば)抄」(あさ
ば)(鎌倉時代承澄(しょうちょう)僧正撰)には、こんな話も伝
えています。

嘉祥2年(849年)(ここでは1年早くなっている)ころ、学門行者
が飯縄山から大岳(戸隠山)に向かって独鈷(どっこ・修験者の持
ち物で武器にもなる)を投げました。

落ちたところに行ってみるとそこは(戸隠の一峰九頭竜山の)九頭
竜社の岩屋でした。行者が、社前で法華経を読んでいると、生臭い
風が吹いてきて「九頭一尾」の鬼が現れました。

鬼は、「私はこの寺の前の別当職をしていた者だが貧欲のあまりこ
んな姿にされてしまった。ここでありがたいお経を読む人がいると
それを聞きに来るのだが、悪気がないのにみんな私の毒気に当たっ
て死んだり、社もいままで40数回も壊れたりつぶれたりしてしまっ
た。私は今度こそ、あなたのお経を聞けて成仏できるでしょう」と
いう。

そこで行者は、この鬼を岩屋に封じ込めて大岩で隠し、その前に戸
隠寺を建て、手力雄命の本地仏である聖観世音菩薩を安置したとい
う……。

このことから、ここはもと地主神(その土地の神さま)の九頭竜大
神がまつられていたとされています(「山岳宗教史研究叢書・16」)。
ちなみに戸隠山の九頭竜は北アルプスの剱岳を7回半も尾で巻きつ
けているという信州の伝説もあります。

ある年の秋、ある社会人の山岳会の山行に参加しました。長野駅か
らタクシーに乗り、戸隠キャンプ場で下車。帰りのタクシーを予約
しての日帰り登山。

息もつかず不動避難小屋、五地蔵山からササの根につかまりながら
の強行山行。高妻山に着いて間もなく帰り支度。半分走りながらタ
クシーに飛び乗りました。

長野駅から計画通りの上野駅行きに乗りました。メモをとるのも忘
れがち。まだ新幹線が通らない時代、信越本線を利用してこんな山
行もしました。

▼【データ】
【山名・地名】・異名(戸隠裏山・剣峰・両界山・戸隠富士)

【所在地】
・長野県長野市戸隠(旧上水内郡戸隠村)と新潟県妙高市旧妙高高
原町旧地区名(旧中頸城郡妙高高原町)との境。JR長野駅からバ
ス・戸隠キャンプ場から歩いて5時間で高妻山。二等三角点(2352.8
m)がある。地形図に山名と三角点とその標高の記載あり。

【位置】
・三角点:【緯度経度】北緯36度48分0.22秒、東経138度03分
06.96秒(電子国土ポータルWebシステムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「高妻山(高田)」(国土地理院「地図閲覧
サービス」から検索)。5万分の1地形図「高田−戸隠」(「電子国
土ポータルWebシステム」から検索)

【山行】高妻山乙妻山山行
・某年10月10日(水)高妻山探訪

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『信州山岳百科3』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・「新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本百名山」深田久弥(新潮社)1970年(昭和45)
・「日本歴史地名大系20・長野県の地名」(平凡社)1979年(昭和54)
・「戸隠山顕光寺流記」(「山岳宗教史研究叢書・17」名著出版)所収

山と田園の画文ライター
【ゆ-もぁ-と】民画家(漫画)
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画展通信】
題名一覧へ戻る