山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼397号 「御坂山・枯れ草のベッド」

【概略】
御坂峠は奈良・平安時代から官道が通っていたという。。戦国時代
には甲斐をねらう北条氏が山城を築いたという。いまも付近に御坂
城跡があるという。御坂山はフワフワする枯れ草。じゅうたんの上
のテント。眼下に河口湖。御坂山の一夜は初冬の富士山が冴えてい
た。
・山梨県笛吹市

▼397号 「御坂山・枯れ草のベッド」

【本文】
富士山の北側、河口湖や西湖を隔てて連なる御坂山地。黒岳と御坂
山(みさかやま)との鞍部にある御坂峠はどうしてどうして大変な
歴史のあるところ。

その昔、日本武尊が東国遠征の際、箱根の足柄からこの坂を越えて
甲斐国に入ったという。そこで尊敬の意味の「御」をつけて御坂と
いい、その坂が通じる峠なので御坂峠のなったのだそうです。

この峠は、古くから重要な街道で奈良・平安時代、東海道横走駅か
ら、平安時代の「延喜式」にも載っている加古坂(籠坂)・河口・
水市を通り、甲斐の国司の役所までの官道はこの峠を越えていった
という。

この峠越えは厳しかったらしく、「承徳本古謡集」という本に「甲
斐人の嫁にはならじ事辛し甲斐の御坂を夜や越ゆらむ」などの歌も
あります。

こんな峠も中世には鎌倉と甲斐を結ぶ鎌倉往還で、政治的、軍事的、
鎌倉文化の移入などでも要路であったという。

また戦国時代には甲斐・駿河・相模の戦略上の重要な場所で、天正
年間に武田氏が滅びた後、甲斐をねらう北条氏がここに山城を築い
たといいます。いまも峠から東西にわたる尾根上に構築された御坂
城跡があるとものの本にあります。

これほど賑わった御坂峠も、いまはすっかりさびれ、草むらの中に
こわれた山小屋がポツンとひとつ建っているのみ。うしろの祠に御
坂天神の石像が残るだけです。

ある初冬、御坂山頂にテントを張りました。フワフワする枯れ草。
じゅうたんのようです。地図で見ると御坂峠付近に水場のマークが
あります。行ってみると一滴もない涸れ沢です。

仕方なく尾根を東に向かい、太宰治の文学碑のある天下茶屋まで往
復です。汗を拭き拭きテントの中へ。顔を出せば眼下に河口湖。御
坂山の一夜は初冬の富士山が冴えていました。でも御坂城跡とはど
このことなのでしょう。

▼【データ】
【山名】・味坂山・御坂山

【所在地】
・山梨県笛吹市御坂町(旧東八代郡御坂町)と山梨県南都留郡富士
河口湖町(旧南都留郡河口湖町)との境。富士急行河口駅の北7キ
ロ。富士急行河口湖駅からバス三ツ峠登山口下車、歩いて1時間30
分で御坂山。三等三角点(1596.0m)がある。地形図に山名と三角
点の標高の記載あり。

【位置】
・三角点:(1596.0m、三等三角点)。【緯度経度】北緯35度33分
32.04秒、東経138度46分22.61秒(電子国土ポータルWebシステ
ムから検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「河口湖東部(甲府)」

【参考文献】
・「角川日本地名大辞典19・山梨県」磯貝正義ほか編(角川書店)
1984年(昭和59)
・「日本歴史地名大系19・山梨」(平凡社)1995年(平成7)
・「日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・「日本山岳ルーツ大辞典」村石利夫(竹書房)1997年(平成9)

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

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山旅イラスト【ひとり画展通信】
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