山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅イラスト通信【ひとり画展】とよだ 時

▼264号「奥秩父・国師岳の天狗岩」

【概略】
奥秩父国師岳(2592m)の近くから天狗尾根に入ると、突如現れる
その名のような形の天狗岩。かつては山梨市(旧三富村)の大岳山
那賀都(だいだけさんながと)神社の奥ノ院だったという。岩の上
にはご神体として鉄剣がまつられている。
・山梨市と長野県川上村との境

▼264号「奥秩父・国師岳の天狗岩」

山梨県と長野県の県境に奥秩父の大弛峠(おおだるみとうげ)とい
う峠があります。その東方にある国師ヶ岳(こくしがだけ・2592m)
は室町初期の僧夢窓国師(むそうこくし)の名前からきていると
いう。

鎌倉時代の元徳2年(1330年)に夢窓国師がふもとの山梨県甲州
市塩山に乾徳山恵林寺(えりんじ)を開いたとき、村民がその徳を
慕って国師ヶ岳とつけたといいます。大岳山の名もあるそうです。

この山の近くから天狗尾根に入ると突如現れるその名も天狗岩。天
狗の横顔にそっくりな岩がそそり立っています。それにしても立派
な鼻です。ここはかつては山梨県山梨市(旧三富村)の大岳山那賀
都(なかと)神社の奥ノ院だったという。

岩の上にはご神体として鉄剣が建てられています。祭礼は、毎年4
月18日だとか。以前は近郊一帯から人々が講を組んでお参りに訪れ
たそうです。

かつては神社から甲州市の黒金山東方の牛首ノタル経由、アザミ沢、
天狗尾根への大岳参道があったらしい。まつられている神さまはい
まは神道の大山祇神(おおやまづみのかみ)になっています。

しかし、以前は神仏混合だったらしく、大岳山講の唱えごとのなか
に「南無大岳那賀都の神社、大山の神、高岡の神、六根清浄」とあ
り、商売繁盛と養蚕の豊作を祈るお札を参拝者に配ったそうでます。

ある年の6月、この天狗岩を訪れてみました。縦走路へザックを置
き、国師ヶ岳東方から巨岩の間を下りました。岩の間のわずかな踏
み跡がありますが、あまり歩かれていないのかかなり荒れ放題。

早速、木の根などにつかまっていざりながら降りていきます。やぶ
に叩かれ引っかかれ、やっと天狗岩にたどり着きます。

スケッチしますが時間がかかって仕方ありません。そこで写真を撮
ることにしました。あっちの角度、こっちの角度から不安定な岩に
つかまりながら記録をとります。

やがて満足し、ふたたびやぶの中をくぐって縦走路に向かいます。
なんとかザックのあるところにつくころにはスケッチブックがボロ
ボロになっていました。それからはスケッチよりも記録写真に重点
を置くようになってしまいました。

▼【データ】
【所在地】
・山梨県山梨市(旧東山梨郡三富村)、山梨県山梨市(旧東山梨郡
牧丘町)と長野県南佐久郡川上村との境。JR中央本線塩山駅から
タクシー、大弛峠から1時間50分で国師ヶ岳天狗岩。写真測量によ
る標高点(2436m)がある。そのほかは何もなし。地形図に標高
点の標高のみ記載。付近に何も記載なし。

【位置】
・【標高点】緯度経度:北緯35度52分0.18秒、東経138度40分
42.78秒(国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「金峰山(甲府)」

【山行】金桜神社・奥秩父縦走
・某年6月25日(土・雨のち晴)国師ヶ岳天狗岩探訪

【参考】
・「信州山岳百科・3」(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・「角川日本地名大辞典19・山梨」(角川書店)1991年(平成3)

【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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