山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼194号 「中ア・木曽駒ヶ岳木曽側の神社」

【概略】
この山には昔からすごい形相をした神馬が住むといわれ(「新著聞
集」(勝蹟篇第六))山名のもとになっている。天文元年(1532室町
時代)木曽上松の徳原長大夫春安が山頂に神社を建て保食(うけも
ち)大神をまつったのが山頂の祠のはじまりだという。
・長野県宮田村と木曽福島・上松町との境

▼194号「中ア・木曽駒ヶ岳木曽側の神社」

山や谷の風化がはげしい中央アルプス木曽駒ヶ岳(標高2956m)は
「三十六峰八千谷」という異名もあるほど峰や谷の多い山だそうで
す。

晩春のころ、山の東側にある馬の形をした大石のあたりを中心にし
て、馬の形に似た雪形があらわれます。それがかつては山麓の村人
の農作業開始の目安になっていたという。

またこの山には神馬が住む(「新著聞集(勝蹟篇第六)」と信じられ、
古くから信仰登山が行われてきました。山名もその馬から来ている
といいます。

山頂には駒ヶ岳神社がふたつ建っています。山頂西側木曽方面にあ
る神社は、南北朝時代の暦応1(1338)年、西麓の木曽側から8社
の大神を山頂にまつったのが最初といいます。

のち室町時代の天文元(1532)年7月、木曽上松の徳原長大夫春安
という人が、山頂に駒ヶ岳神社を建て、保食大神(うけもちのおお
かみ)をまつりました。

その後本社を山ろくの上松野尻に移し、産土神(うぶすながみ)と
したのがこの駒ヶ岳神社のはじまりだそうです。保食神は大宜都比
売神(おおげつひめのかみ)ともいいます。

「日本書記」では、保食神が月読命(つきよみのみこと)をもてな
すため、口からいろいろな食べ物を吐き出しました。それを見て怒
った月読命が「けがらわしい」と保食神を殺してしまったたという
伝記があります。

この木曽側の神社の東側、ちょっと下がったところには伊那側の村
人がまつった駒ヶ岳神社もあります。

▼【データ】
【山名】
・晩春のころにあらわれる馬に似た雪形や神馬伝説による。

【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第74番):日本二百名山、日本三百
名山にも含まれる。
・田中澄江選定「花の百名山」(第70番・ヒメウスユキソウ)
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第62番・長野県)

【所在地】
・長野県上伊那郡宮田村と長野県木曽郡木曽町(旧木曽郡木曽福島
町)、長野県木曽郡上松町との境。飯田線駒ヶ根駅の北西14キロ。
JR飯田線駒ヶ根駅からバス、ロープウエイ千畳敷から歩いて2時
間15分で木曽駒ヶ岳。一等三角点(2956.0m)と、木曽側と伊那側
の木曽駒ヶ岳神社がふたつある。地形図に山名と三角点の標高と神
社記号鳥居の記載あり。三角点より西方160mに木曾小屋がある。

【位置】
・【三角点】緯度経度:北緯35度47分22秒、東経137度48分16秒(電
子国土ポータルWebシステムから検索)

【基準点の詳細】
・基準点:(基準点コード:TR15337564401)(点名:信駒ケ岳)(冠
字選点番号:以 4)(種別等級:一等三角点)(基準点成果状態:
正常)(地形図:飯田−赤穂)(測地系:世界測地系)(緯度経度:
緯度 35°47′22.3804、経度 137°48′16.4628)(標高:2955.95
m)(基準点現況状態:正常 20011120)(所在地:長野県上伊那郡
宮田村(黒川山国有林135林班イ小班)(点の記図閲覧:可)(国
土地理院「基準点成果等閲覧サービス」から検索)

【地図】
・2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳(飯田)」(国土地理院「地図
閲覧サービス」から検索)。5万分の1地形図「飯田−赤穂」(「電
子国土ポータルWebシステム」から検索)

【参考】
・「角川日本地名大辞典20・長野県」市川健夫ほか編(角川書店)1
990年(平成2)
・「駒ヶ岳由来記(木曽駒)」木曽上松町駒ヶ岳社務所(駒ヶ岳研究
第一輯・上伊那教育会編・1940年(昭和15)宮田村役場提供
・『新著聞集(勝蹟篇第六)』椋梨一雪原著、神谷養勇軒編:「日本
随筆大成第二期第5巻」日本随筆大成編輯部編(吉川弘文館)1994
年(平成6)所収

山と田園の画文ライター
イラストレーター・漫画家
【とよだ 時】

………………………………………………………………………………………………
山旅イラスト【ひとり画通信】
題名一覧へ戻る