山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1086号「鹿児島県屋久島・宮之浦岳と海幸山幸神話」

【略文】
宮之浦岳は北東側山ろくの宮之浦地区にある益救神社(やくじんじ
ゃ)の奥ノ院。山頂直下笠石には祠にまつられている一品宝珠(い
っぽんほうじゅ)権現は、神道の神の火火出見命(ほほでみのみこ
と)でもあります。この神は「海幸山幸」神話に登場する「山幸彦」。
五穀豊穣・国家安穏・延命息災を祈願する「岳参り」の行事もあり
ます。
・鹿児島県熊毛郡屋久島町。

1086号「鹿児島県屋久島・宮之浦岳と海幸山幸神話」


【本文】

 宮之浦岳(1936m)は、屋久スギで名高い鹿児島県屋久島にあ

る九州の最高峰の山。ここは雨が多いことで有名で、「1ヶ月に35

日雨が降る」といわれるくらいで、年間降雨量が、山頂部で8000

ミリに達するといいます。島の山は標高1500m以上が連なり、そ

れを総称して八重岳と呼んだり、「洋上のアルプス」ともいってい

ます。とくに宮之浦岳、永田岳、黒味岳の3座は、三岳(みたけ)

とか奥岳とも呼んでいます。これらの山々には小さな祠があり、そ

れぞれに一品宝珠(寿)大権現(いっぽんほうじゅ)という仏教の

神をまつっています。



宮之浦岳の山頂は双耳峰で、東峰が1867mの栗生岳で、西峰に

1934.9mの一等三角点があります。山頂は風化した奇岩、奇石多く、

ヤクシマシャクナゲが生えており、永田岳やまわりの山々、種子島

などなどまさに360度の展望です。その直下に笠石と呼ばれる巨岩

があって、その下に祠が鎮座しています。この祠こそ、一品宝珠(寿)

権現のもので、北東側山ろくの宮之浦地区にある益救神社(やくじ

んじゃ)の奥ノ院だそうです。祠は安土桃山時代の天正14年(1586)

と、その後に建立されたものといいます。それはまた、それぞれの

山々にある祠などをまとめる奥ノ院でもあるそうです。



 ここの里宮、宮之浦地区益救神社は、宮之浦地区や宮之浦岳の名

前の元になっているといいます。屋久島は大昔、益救(やく)と呼

ばれていたそうで、その海沿いの入り江に益救神社があり、このお

宮から宮之浦の名が生まれたというのです。山頂笠石の下にまつら

れている一品宝珠(寿)権現は先述のように仏教の神で、神道での

呼び方は、天津日高彦火々出見命(あまつひこひこほほでみのみこ

と)という神になります。これは神仏習合のあらわし方で、火火出

見命は一品宝珠権現の化身ということになっています。



 さてこの益救神社には、彦火火出見命のほかに、山と海の7柱の

神がまつられています。この彦火火出見命がまた、別名山幸彦なの

だといいますからメッチャややこしい。あの「海幸山幸」神話に登

場する「山幸彦」です。そして、初代天皇といわれている神武天皇

の父だというから気が遠くなります。この山幸彦は、『古事記』で

は山佐知?古(やまさちびこ)と書かれ、火遠理命(ほをりのみこ

と)または天津日高日子穂々手見の命(あまつひこひこほほでみの

みこと)といい、『日本書紀』では彦火火出見尊(ひこほほでみの

みこと)と書かれています。



 この山幸彦が兄から借りた釣り針を鯛にとられ、悲嘆にくれてい

たとき塩椎神(しおつち)に教えられ、島のワタツミの宮殿に行き

ました。そして竜女の化身である豊玉姫命と巡り会い結婚。となり

の島の種子島で、彦波瀲武??草葺不合尊(ひこなぎさたけうがや

ふきあえずのみこと・『日本書紀』の表記)を、『古事記』では、天

津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうか

やふきあへずのみこと)をもうけるというストーリーです。



 この屋久島には毎年春と秋に御岳に登る「岳参り」という民俗行

事があります。「岳参り」は、五穀豊穣・国家安穏・延命息災を祈

願しに、この奥宮に登ります。春の岳参りは日帰りで登り、秋は大

願成就のため2泊3日で登ったといいます。ここもかつては女人禁

制でした。ところが、この女人禁制を無視して、妻を連れて登った

島の役人がいたと江戸時代後期の薩摩藩の地誌『三国名勝図会』に

記載があります。



 同誌の馭謨郡(ごむぐん)の項に、「正徳(江戸中期)の比(こ

ろ)、宰官(役人)伊集院善太夫忠代」という人が、山ノ神といえ

ども我が配下だといい禁制を無視、妻と登ったところ天気が急変、

進退きわまりついに山腹で野宿、ついに山に登るのをあきらめて引

き返したとあります。そこが宮之浦岳頂上から少し下った平らな原

っぱ、「善大夫(ぜんだいふ)泊」という場所だそうです。こんな

禁制を破って神の怒りにふれた話は、東北の飯豊山や北アルプスの

立山にもあります。


 さてお話し変わって、屋久島と種子島の民話に大男の「屋久どん

と種子どん」という話があります。昔、屋久島の高山に「屋久どん」

という大男がすんでいて、奥山の高山でゆっくり昼寝を楽しんでい

ました。となりの種子島にも「種子どん」という巨人がすんでいま

した。ところが種子島には200m以上の山はなく、人里も近く、う

っとうしくて昼寝もままなりません。種子どんは、山あり谷ある屋

久島がうらやましくてしょうがありません。



 そこで種子どんは、屋久島を種子島にくっつけちゃおうと思い立

ちました。屋久どんが屋久島の宮之浦岳で、昼寝をしているすきを

見て、種子どんは太く丈夫な縄で屋久島をしばって持ち上げようと

しました。その時、タヌキ寝入りをして様子を見ていた屋久どんが、

山が裂けるような大きなおならをしました。びっくりした種子どん

が振り向いたとたん、縄が切れて屋久島はもとのところにドシャー

ンと落ちました。



 うす目を開けて見ていた屋久どんは、「わっはっはっはっ」と大

笑い。「この島がそんなに欲しいなら、屋久島の岩をひとかけらや

ってやるわい」といいながら、永田岳(そのころ屋久島で最高峰だ

った)の頂上を少しもぎ取って投げました。それがいま種子島の平

山地区の田んぼにある、大岩とか天狗岩とかいう大岩。岩は高さ30

mもあり、縄でしばったような2筋のくびれ跡も残っているのも不

思議です。



 そのほか、屋久島の山には不思議なことが多い。10月になれば、

山と山との間に太鼓の音がドン、ドン、ドンと、ゆっくり聞こえ、

それが夜明けになると、ドンドンドンドンドン……と早く聞こえて

くるといわれます。これは天狗の「山のオン助」が暴れている音だ

そうで、神無月(10月)になり、神さまがみんな出雲に出かけ、

留守になったのをいいことに暴れるのだというのです。「山のオン

助」は、宮之浦岳の大天狗、一品宝珠(寿)権現の眷属の小天狗だ

と地元の人は見ています。結局この山の神一品宝珠権現は、この山

を守る大天狗でもあったのです。



▼宮之浦岳【データ】
【所在地】
・鹿児島県熊毛郡屋久島町。宮之浦港からタクシー、淀川入り口下
車、歩いて50分で淀川小屋(泊)。淀川小屋から歩いて6時間で宮
之浦岳。一等三角点(1934.92m)と、写真測量による標高点(1936
m)がある。

【ご利益】
・益救(やく)神社奥宮:金運上昇、安産祈願、子育大願、容姿端
麗、火防守護、航海安全、交通安全

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・標高点:北緯30度20分9.42秒、東経130度30分15.35秒
・三角点:北緯30度20分10.05秒、東経130度30分15秒

【地図】
・2万5千分1地形図名:宮之浦岳



▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典46・鹿児島県』(角川書店)1991年(平成
3)
・『三国名勝図会』: 60巻 17(巻之49-51)五代秀尭, 橋口兼柄 共編
(出版者・山本盛秀)1905年(明治38)
・「週刊日本百名山・50」(開聞岳・宮之浦岳)(朝日新聞社)2009
年(平成21)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本の民話25』(屋久島篇)下野敏見編(未来社)1974年(昭
和49)
・『日本歴史地名大系47・鹿児島県の地名』(平凡社)1998年(平
成10)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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