伝説伝承の山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

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1082号奥多摩月夜見山・真光寺平幻の金の茶釜

【略文】
月夜見山の北側真光寺沢尾根の真光寺平にはかつては立派なお寺が
建っていたといいます。しかもここには、武田信玄が金の茶釜を埋
めたという伝説があります。そして金の茶釜は、幻の井戸「真光寺
平の隠し井戸」として語り伝えられています。この井戸を見たとか、
探しに行ったまま行方知れずになったとかの話もあります。
・東京都奥多摩町。

【本文】
 奥多摩の御前山から惣岳山、小河内峠を経由して南西に登山道
をたどると、奥多摩周遊道路に出て、月夜見山に至ります。月夜
見山とは何とも風流な山名です。山の東南ろく、檜原村藤倉地区
から月夜見沢が突き上げており、その先端の山に沢の名前をつけ
て、檜原村の人たちが呼んだ山名です。

 檜原村とは反対側、奥多摩町の奥多摩湖の南岸の「奥多摩湖い
こいの道」沿いにヘビ沢川があり、その支流の天神沢の、さらに支
流の真光寺沢が月夜見山に突き上げています。余談ですが、ヘビ沢
は天正18年(1590・安土桃山時代)、豊臣秀吉の関東制圧の一環で
前田利家・上杉景勝軍に攻められ落城した八王子城。

 その城代家老だった横地監物(けんもつ)が檜原城を目指して脱
出。さらにここまで落ちのびてきて、ついに力つき自刃したのがこ
のヘビ沢あたり。ここにはかつては、監物をまつる横地神社があり
ましたが、水没してしまったいまは八王子の城址公園に移設されて
います。話が脱線しました。

 もとに戻します。月夜見山に突き上げている真光寺沢の西側に沿
って、同じ名前の真光寺尾根が月夜見山に向かって走り、山頂の手
前に真光寺平という平地があります。ここには昔は真光寺という
お寺がありました。

 人里から離れ、修業には好適地で、大勢の坊さんが修行にはげ
み、いつもお経を読む声が聞こえていたそうです。そのため、経
堂山と呼び、お寺を「経堂山真光寺」と呼んでいたそうです。こ
こは何とかという徳のすぐれた大師さまが開いたお寺で、七堂伽
藍(がらん)というほどの立派な建物がありました。

 ふもとからこのお寺にお参りに登るための登山口は、檜原村と
小河内側にありました。しかし、表口は小河内側で、江戸時代前
期の文書に、「真光寺持永何文」とあり、登山口の地はこのお寺の
境内であったとしています。お寺は山の上にあるため軍事に都合
よく、境内の梵鐘などは、よく響いて敵の来襲の合図や味方の招
集の合図に利用されていたらしいです。

 その梵鐘はのち、河内の普門寺にありましたが、江戸時代にこ
れを改鋳し、形を変えて普門寺に掛けておいたそうです。その普
門寺も奥多摩湖が出来るとき湖底に水没、いまは蜂谷沿いの坂本
地区に移設されています。このように栄えた真光寺も開山大師が
亡くなったあとは廃寺になり、いまは土器の破片と登山口の石地
蔵だけが残っているそうです。

 また話を戻します。ここ経堂山真光寺には、武田信玄が金の茶
釜を埋めたという伝説があるというのです。ある時、この山ろくに
住む与市という男がここを通りかかりました。すると、昔ここに建
っていたという真光寺の伽藍が建っているではありませんか。「不
思議なことだ」といぶかりながら、与市がお寺の中に入っていくと、
美しい尼さんがいるのでビックリ。

 モジモジしている与市を見て尼さんは、「夜、暗くなってからま
た来てネ。金の茶釜のありかを教えてあげますから…」と、ささや
くのでした。さあ大変、与市は気もそぞろです。美しい尼さんにさ
さやかれたのです。宙に浮くような気分になるのはあたりまえ。

 家に帰った与市は、夕飯もそこそこに着物を着替えて山へ登っ
ていきました。しかし与市は、それきり行方が分からなくなった
のです。父母は夢中で、ひとり息子の与市を探し歩きました。村人
たちも鐘や太鼓を鳴らしながら探しましたが、ついに見つからなか
ったということです。

 こんな伝説もあります。昔ある時、なにがしかという者が喉が渇
いて、どこか水が湧く場所はないかとあたりを探しました。すると
井戸のようなものを見つけました。なかに金のお椀が浮いています。
「ありがたい」。男はそのお椀で水が飲めたといいます。

 見るとお椀には「金魚」の形が彫ってあったというのです。しか
しその後、どんなに探してもその井戸は見つからず、以来「真光寺
平の隠し井戸」という言いつたえになっています。これらは昔から
小河内集落に伝わる話です(『奥多摩風土記』)。

 こんな伝説が生きていた明治の末のころの話です。ふもとのわ
んぱく少年3人がこっそり相談。学校の帰りに鍬(くわ)を持っ
て真光寺平(経堂山)に登っていきました。隠してある金の茶釜
を探そうというわけです。あちらこちらを掘り返しているうちに、
短い冬の日は暮れていきました。少年たちの家では子どもが帰ら
ないので大騒ぎ。

 3人の住む日指(ひさし)部落、岫沢(くきざわ)部落の人た
ちは、みんなで鐘や太鼓で捜索しました。翌日になり、少年たち
はひょっこり檜原村に降りてきました。そしてやっと小河内峠を
越え、家に帰ることができたということです。この3人の小年は
のち、村の有力者として活動したといいますから、まるきっきり
でたらめな話ではないようです(『奥多摩の世間話』)。

 ちなみに岫沢(くきざわ)部落は、いまの小河内(おごうち)
神社の対岸、自然公園(山のふるさと村)「ビジターセンター」が
あるあたりにあった部落です。近くにサイグチ沢が流れています。
また日指部落は、岫沢部落より少し上流にあり、やはり自然公園
(山のふるさと村)の一部になっています。

▼真光寺平【データ】
★【所在地】
・東京都奥多摩町。青梅線奥多摩駅の南東8キロ。JR五日市線
武蔵五日市駅からバス、藤倉停留所下車、歩いて3時間15分で真
光寺平。

★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から
・北緯35度45分44.3秒、東経139度2分44.19秒

★【地図】
・2万5千分1地形図名:奥多摩湖

▼【参考文献】
・『奥多摩』宮内敏雄(百水社)1992年(平成4)
・『奥多摩の世間話』渡辺節子著(青木書店)2010年(平成22)
・『奥多摩風土記』大館勇吉著(武蔵野郷土史研究会)1975年(昭
和50)
・『小河内貯水池郷土小誌』(東京市役所編纂)1938年(昭和13)
・『角川日本地名大辞典13・東京都』北原進ほか(角川書店)1978
年(昭和53年)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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