伝説伝承の山旅通信【ひとり画っ展】とよだ 時

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1073号高山植物・ハクサンコザクラ

【説明略文】
山を歩いていると、高山の草原の雪が溶けた草原、また雪渓の端っ
こなどにできるお花畑に出会います。濃黄色のミヤマキンバイや、
淡い黄緑色のつぼ形のアオノツガザクラなどといっしょに、やさい
いピンクの花の群落をつくるハクサンコザクラが風にそよいでいま
す。登山者が憩う場所です。
・サクラソウ科サクラソウ屬の多年草のエゾコザクラの変種。

1073号高山植物・ハクサンコザクラ

【本文】
 高山植物にハクサンコザクラという花があります。山を歩いていると、高
山の草原の雪が溶けた草原、また雪渓の端っこなどにできるお花畑に出
会います。濃黄色のミヤマキンバイや、淡い黄緑色のつぼ形のアオノツ
ガザクラなどといっしょに、やさいいピンクの花の群落をつくるハクサンコ
ザクラが風にそよいでいます。登山者が憩う場所です。

 ハクサンコザクラは、サクラソウ科サクラソウ屬の多年草で、エゾコザク
ラの変種だそうです。葉は、根生葉で束になって生え、倒卵形で基部が
くさび形、先っぽに近いところにはきょ歯があって、質厚く、上面にやや
光沢があります。花茎の高さは10〜15センチ。その頂きに数個の花を散
形につけます。花は夏に咲き、高盆形、紅紫色をしています。本州の高
山には当たり前のようにあるサクラソウの仲間です。この花の生える北限
は飯豊山、白山が南限だといいます。

 ハクサンコザクラは漢字で白山小桜、石川県白山(2702m)で、はじめ
て見つけられ、あの植物学者で登山家の武田久吉博士に命名されたの
だそうです。別名はナンキンコザクラ。なぜナンキンコザクラというかという
と、この種がどこからきたものかはっきりせず、中国渡来のものとか、また
はわざと珍しく見せようとナンキン(南京)と名づけたものらしい。

 「南京」の意味は、珍奇なものとか、小さくて愛らしいものに冠する語の
ようです(「世界の植物」朝日新聞社)。ナンキンコザクラは昔から知られ
ていたようで、江戸中期の1733年(享保18)に出版された、わが国初の総
合園芸書のひとつ『地錦抄付録』(伊藤伊兵衛(政武)著)に、図入りで
解説されています(巻之壱・草花の部)。

 その後、日本最初のリンネ分類による植物図鑑、飯沼慾斎の『草木図
説』(1856年(安政3・江戸後期)から昭和の牧野富太郎の時代まではナ
ンキンコザクラで通っていました。それを武田久吉博士が改めてハクサン
コザクラと命名します。

 その理由について武田博士は、著書のなかで、「ナンキンコザクラの
名もあるが、サクラソウの一品に古くからこの名をもつものがあるので、混
乱を避けるため、その名をとらない」として述べています。この文面だと、
ハクサンコザクラ(別名ナンキンコザクラ)という植物とは別に、古くからナ
ンキンコザクラという名をもつものがあるようにとれますが、図鑑や百科事
典はみなハクサンコザクラの別名だとしています。

 ところで、サクラソウ科は約23属1000種もある大きな科。そのサクラソウ
属のなかで、北海道からアラスカにかけて分布するエゾコザクラという植
物があります。そのエゾコザクラの変種の中のひとつがハクサンコザクラ
だということです。

 さらにハクサンコザクラの仲間には、白い花をつけるものもあり、それを
シロバナナンキンコザクラ、またはシロバナハクサンコザクラといっていま
す。また東北の高山には、この変種のミチノクコザクラというものもありま
す。別名は、ナンキンコザクラとタニガワコザクラというそうです。つまりハ
クサンコザクラは、サクラソウ科サクラソウ屬の多年草のエゾコザクラの変
種どということになります。

 ところで、藤井紀行という先生は「植物の世界」(朝日新聞社・1995年
(平成7)発行)の中で、次のような難しいことをを書いています。広義のエ
ゾコザクラは、…ハクサンコザクラ、ミチノクコザクラ(青森県岩木山)、基
準変種のエゾコザクラ(北海道ほか)の3種類に分けられる。…

 …筆者はこのDNAを用いて広義のエゾコザクラの集団(山岳)間の系
統解析を行い、とりわけハクサンコザクラの分布の歴史的過程を推定す
ることを試みている。飯豊山、越後駒ヶ岳、谷川岳、白馬岳、白山にそれ
ぞれ生育するハクサンコザクラのDNAのある特定部位の塩基配列を調
べた結果、越後駒ヶ岳と谷川岳は配列が全く同じだったが、その他の山
岳ではそれぞれ少しずつ異なっており、山岳間での分化が起こっている
ことがわかった。…

 …そしてさらに、ハクサンコザクラの5集団が、共通祖先から派生して
きたこと、そのなかの白馬岳と白山の集団も、共通の祖先から派生してき
たことがわかった。これは何を意味しているのであろうか。…。

 …次のふたつが考えられる。(1:広く分布していたエゾコザクラが、氷
河時代の気候変動などにより、次第に隔離。ハクサンコザクラの集団が
出来上がり、さらにそのなかで隔離が起こり、白馬岳と白山の集団ができ
あがったという考え。(2:最初に北方だけに分布していたエゾコザクラ
が、長年にわたる地道な種子分散などにより、次第に分布域を広げ、南
下してきてハクサンコザクラの集団ができたという考えである。…。

 …今後研究が進むにつれて、こうした事象が解明できるものと考えて
いる。昨今、潜在的遺伝子資源としての野生植物の重要性が叫ばれて
いる。上記のようの1つの種のなかで、さらにはハクサンコザクラという1つ
の変種のなかでさえも、DNAレベルでは多かれ少なかれ、山ごとに分
化している。これはその変遷過程を知る有効な手がかりを提供してくれる
だけでなく、野生生物における地域集団の保護の重要性について、私
たちに語りかけているといえよう」……。エライ難しい話を見つけてしまい
ました。

 ハクサンコザクラの仲間のサクラソウの伝説です。北アルプス白馬岳
のハクサンコザクラの紅紫色の色は、白馬岳の魔神、大婆王(だいばお
う)の殺された長者の娘手巻(たまき)の血の色だという(山旅【画っ展】60
9号)。またドイツのサクラソウは「鍵の花の異名」というものもあります。さら
に北陸の白山には小桜平という所があり、台風と大雨で、ここにまる2日
停滞したことがあります(山旅【画っ展】660号)。

▼【参考文献】
・野外ハンドブック8『高山植物』小野寺幹雄(山と渓谷社)1985(昭和60)

・『植物と神話』近藤米吉編著(雪華社)1973年(昭和48)
・『続・植物と神話』近藤米吉編著(雪華社)1976年(昭和51)
・『植物と伝説』松田修(明文堂)1935年(昭和10)
・「植物の世界6」(朝日新聞社)1996年(平成8)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『信州の伝説』(日本の伝説3)浅川欽一ほか(角川書店)1976年(昭和
51)
・『世界大百科事典・23』(平凡社)1972年(昭和47)
・「世界の植物2」(朝日新聞社)1975年(昭和50)
・『地錦抄付録』(ちきんしょうふろく)伊藤伊兵衛(政武)著(出版者:須原
屋茂兵衞)1733(享保18):国会図書館デジタルコレクション
・『牧野新日本植物図鑑』牧野富太郎(北隆館)1974年(昭和49)
・『山の伝説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)1930年(昭和5)

 

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【とよだ 時】山の伝承探査
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