山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼134号「和歌山・高野山奥ノ院」

【概略】
空海が平安時代に開いた真言宗の山岳霊場高野山。東端にある奥ノ
院は開祖弘法大師空海をまつる。参道は杉やヒノキがうっそうと茂
る石畳。大小さまざまな石塔や鳥居がならび上杉謙信、武田信玄・
織田信長や明智光秀などの墓石もあり、廟の前は老若男女の観光客
で賑わう。
・和歌山県高野町

▼134号「和歌山・高野山奥ノ院」

 各地の山々や山麓に弘法伝説を残す弘法大師空海が、平安時代の
初めに開いた和歌山県の真言宗の山岳霊場高野山があります。標高
800mの台地に東西6キロ、南北3キロにおよぶ聖地が広がり、総
本山金剛峯寺(こんごうぶじ)を中心に大小の寺院はもちろん、み
やげ物屋から高校、大学まであるりっぱな街です。

 伝説によると弘法大師ははじめ、唐に入って行を修め、日本へ帰
るための船に乗るとき、持っていた三鈷杵(さんこしょ・金剛杵の
ひとつで両端が三ツ股になったもの)に願いをこめて、わが密教が
日本に渡れるならば、この杵を先に渡すから、布教をするにふさわ
しい霊地を見つけておいてくれるよう杵を海のなかに放ったとい
う。

 平安時代はじめの815年(弘仁6)(『今昔物語集』では816・弘仁
7年)、いまの奈良県五條市で、猟師の姿をした狩場明神と出会っ
た弘法大師は、明神の使者である黒白2匹の犬の案内で、かつて海
に放った三鈷杵のあるところの高野山にたどり着くことができたと
いう。

 『今昔物語集』(巻十一第二十五)では、「我ガ唐(たう)ニシテ
擲(な)ゲシ所ノ三鈷(さむご)落タラム所ヲ尋(たづね)ム」ト
思(おもひ)テ、弘仁七年ト云フ年ノ六月ニ、王城(わうじやう)
ヲ出(いで)テ尋ヌルニ、大和ノ国宇智(うち)ノ郡(こほり)ニ
至リテ一人ノ猟(かり)ノ人ニ会(あひ)ヌ。其形(そのかたち)、
面(おもて)赤クシテ長(たけ)八尺計(ばかり)也。青キ色ノ小
袖ヲ着(ちゃく)セリ、骨高ク筋太シ。弓箭(きゅうせん)ヲ以テ
身帯(みにたい)セリ。大小ノ黒キ犬ヲ具(ぐ)セリ」とあります。

 連れていたのは黒い大小の犬だとしています。しかしほかの本で
は黒白2匹の犬であったり、説明と図版で違っていたり、かなり混
乱が生じているようです。しかし、それはソレ、遠ーい昔のこと。
あまり気にしないでいきたいものです。

 さらに『今昔物語集』は続きます。弘法大師が、かつて投げた三
鈷杵のあるところを探しているのを知ると、漁師はそこを知ってい
るというのです。早速、猟師の案内で紀州の境の紀ノ川のほとりに
来ると、またひとりの山人に出会います。

 大師はまた杵のことを尋ねると「ここから南の山中に盆地がある。
杵はそこにある」とのこと。翌朝3人で歩きながら話すには、「実
は自分はその山の主であるが、今日から領地は全部師に奉ります」
という。

 しばらく行くと、大きな杉の股に彼の杵が突き刺さっていました。
大師は、こここそ心にかなった霊地と知り、山人に名を聞くと「丹
生の明神と申す。また猟師は高野の明神でござると」いうなり、ふ
たりの姿は消えたという。

 高野山東端にある奥ノ院は開祖であるこの弘法大師空海をまつっ
てあります。参道は杉やヒノキがうっそうと茂る石畳で、大小さま
ざまな石塔や鳥居がならんでいます。

 古いのは平安時代997年の多田満仲の墓をはじめ、上杉謙信、武
田信玄・勝頼父子、とくに興味を引くのは当地を攻略した織田信長
や明智光秀などの墓石もならんでいるのです。敵味方関係なく地下
に眠る人々の供養に努めるところなどは、さすが弘法大師の霊地と
しての心の広さがうかがえます。

 廟の前は老若男女大勢の観光客が、みやげ物を手に見物していま
す。そんななかでよほどのことがあったのか、一心不乱に「般若心
経」を唱える一組の中年のご夫婦のうしろ姿が心に焼きつき、いま
だに忘れられません。

 余談ながらその黒白2匹の犬は、奈良県五条市の犬飼山転法法輪
寺(いぬがいさんてんぽうりんじ)境内の狩場明神社こま犬として
鳥居のそばに建立され、また金剛峰寺や京都東寺には犬を連れた明
神の画像も収蔵されています。

ある年の11月、奥の院わきから高野三山(摩尼山、揚柳山、転軸
山)一周散策路コースに入り、奥の院峠(摩尼峠)の十字路で登山
道を左(北)へとり、摩尼山へ向かいました。ここには如意輪觀音
がまつられています。

さらに北へ向かい揚柳山へ。揚柳山三輪明神大社があり、揚柳観
音堂もあります。揚柳山から子継ぎ峠経由で転軸山へ。ここには弥
勒菩薩もあります。このあたりは高林坊天狗の支配地と聞きます。
今夜はここに一泊してみよう。

幸いに揚柳山と転軸山の鞍部に水が流れている沢があります。弘
法大師にあやまりながら、早速失礼してテントを張らせて戴きまし
た。日が沈みました。

昼間あんなにしていた奥の院を詣でる観光客の声もすっかり聞こ
えなくなりました。大天狗にどやされるか、大師さまの罰が当たる
か。息を殺してシュラフに入りました。さすが深山、シーンという
音が聞こえるような??夜中、テントのまわりを歩く小動物の気配
ばかりを感じました。

▼高野山奥ノ院弘法大師廟【データ】
【所在地】
・和歌山県伊都郡高野町。南海電鉄極楽橋駅からケーブル高野山駅
・バスで奥ノ院。地形図に弘法大師廟の文字と建物記号のみ記載。
【位置】
・弘法大師廟::北緯34度13分22.95秒、東経135度36分20.71秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「高野山(和歌山)」

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典29・奈良県』永島福太郎ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『今昔物語集』:日本古典文学全集24『今昔物語集』(1)校注・
訳:馬淵和夫ほか(小学館刊)1993年(平成5)
・『山岳宗教史研究叢書・16』「修験道の伝承文化」五記重編 (名
著出版) 1981年(昭和56)
・『図聚天狗列伝・西日本』知切光歳著(三樹書房)1977年(昭和52)
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)

山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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