山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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1039号神奈川県丹沢縦走・主脈と主稜

【略文】
丹沢を歩く時、ガイドブックに「主脈」、「主稜」の文字がならんでいて混
乱します。いま丹沢の主脈といえば、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、姫次、焼
山とつづく尾根。丹沢主稜は、蛭ヶ岳から先、檜洞丸、犬越路、大室山、
城ヶ尾峠を経て菰釣山、そして高指山、鉄砲木ノ頭、三国山方面をいう
ようです。
・蛭ヶ岳:神奈川県山北町と相模原市(旧津久井郡津久井町)との境。

1039号神奈川県丹沢縦走・主脈と主稜


【本文】

 丹沢を歩く時、ガイドブックなどに「主脈」、「主稜」の文字がならび、時

には「東丹沢主脈」、「西丹沢主稜」の文字も目に入ってきて混乱させら

れます。いま丹沢の主脈といえば、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、姫次、焼山

とつづく尾根をいっています。これは大昔、日向修験が、大山−札掛か

ら入峰、表尾根を歩き、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、姫次、青根へ下り、日

向山へ帰院したコースに似ています。



 スポーツ登山が盛んになってからもこのコースは、多くの人たちから親

しまれたコースだったという。この尾根をはじめて縦走したのは大正の中

ごろ。その当時このコースを歩いていたのは、神奈川県横浜市周辺の人

たちが多かったらしい。



 そのため「伊勢崎町通り」とか、「本町通り」と呼んでいたというからその

「親しみ度」が分かります。当時の丹沢は、ここ以外は丹沢表尾根はおろ

か、ほかのコースもあまり知られていなかったという。昭和のはじめごろま

では「丹沢に行く」といえば、この主脈縦走をいったものだったそうです。



 いま主脈縦走するには、塔ノ岳から焼山をめざすのがふつうですが、

昭和15年(1940)ごろは逆のコースをたどったという。前日に、宮ヶ瀬湖

のすぐ北西にある相模原市津久井町鳥屋集落に入り、宿屋に泊まりま

す。そして翌朝早く出発、焼山から姫次、蛭ヶ岳、丹沢山の順序で、塔ノ

岳に向かって縦走したのだそうです。



 一方、いま「主稜」と呼んでいる蛭ヶ岳で分かれて、檜洞丸方面へ、縦

走するようになったのは、昭和30年(1955)ころ。この年になり国民体育

大会神奈川大会が行われます。山岳競技はもちろん丹沢山塊が舞台で

す。その時、新たにこのコースが開かれました。そこで丹沢の背骨である

この山稜を、何と名づけるかで問題になりました。



 主脈としたいところですが、すでに塔ノ岳、姫次、焼山のコースにつけ

てしまってあります。主脈とは、『大辞林』(三省堂)には「鉱脈・山脈など

の中心になるすじ」、『広辞苑』(岩波書店)にも「山脈・鉱脈などの中心と

なるすじ」とあります。



 とすれば、蛭ヶ岳から先、臼ヶ岳、檜洞丸、大笄・小笄、犬越路、大群

山、城ヶ尾峠を経て菰釣山、大棚ノ頭、高指山、三国山。あるいはさらに

そこから東方の湯船山、不老山に至る長大な尾根こそ、その丹沢主脈に

ふさわしい山稜と思われます。



 このような考えは相当以前からあったらしく、「山と溪谷」(143号)昭和

26年(1951)発行に、「従来丹沢主脈と称されている山稜は、塔ヶ岳・丹

沢山・蛭ヶ岳・焼山に至るいわゆる丹沢本町通りを呼称していたのである

が、実際の主脈は地形的に考慮しても、三国山稜から畦ヶ丸・大群山

(室)・檜洞丸・蛭ヶ岳・丹沢山・塔ヶ岳が正しいのではないか(天野誠吉

氏)」と、掲載されています。考えはどなたも同じようです。



 それはともかく、昭和30年(1955)の国体で、この山稜の名を何とつ

けるか、ああでもない、こうでもないと悩んだ末、浮かんできたのが「主稜」

の文字。ハタと膝をたたいてめでたくその名前に決まったとのことです。

ただ「丹沢主脈」と「丹沢主稜」ではいかにも紛らわしい。



 そこで羽賀正太郎氏は、「……この意味から私は、丹沢主脈を東丹沢

主脈と名づけ、犬越路から先、山伏峠までの間を西丹沢主稜の名をつけ

ておく。これは全く便宜的な考えによるものであるが、位置をあらわすに

は分かりやすいと思う」と提案しています。なるほど分かりやすいですね。



 当時この稜線には道もなく、昭和15年(1940)代に、川崎山岳会の

パーティが、猛烈なヤブこぎをしながら、トレースした記録があります。そ

れによれば、いまの標準タイム2時間50分の蛭ヶ岳−犬越路間を、10

時間30分かけて歩いています。このタイムから、いかに過酷な行程であ

ったか、その苦労が分かろうというもの。なお、大室山−三国山間の稜線

は、山梨県(甲斐国)と神奈川県(相模国)の境なので、「甲相国境尾根」

ともいうそうです。



▼丹沢主脈と丹沢主稜【データ】
▼蛭ヶ岳【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と相模原市(旧津久井郡津久井町)との境。
【位置】
・標高点:北緯35度29分10.76秒、東経139度08分20.05秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

▼【参考文献】
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)蔵
書:丹沢主稜・丹沢主脈の記載なし。
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成元)
・『丹沢』(アルパインガイド37)羽賀正太郎(山と渓谷社)1980年(昭和
55)
・『日本風景論』志賀重昂(政教社)明治27(1894)年

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画文
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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