山の伝承伝説に遊ぶ
山旅通信
【ひとり画ってん】とよだ 時

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▼1010号峠の石仏・馬頭観音

【略文】
その昔、水田の耕作や運搬など力仕事はすべて馬に頼っていました。
農家は、馬を大切にし住まいと一緒に厩屋をつくり、寝起きをとも
にして、家族同様の生活をしました。いまでも「馬力」は、力の単
位につかったりしています。峠などにずらりとならんだ石仏のなか
に馬頭観音があるのはこのような大事な馬の供養塔。変化観音のひ
とつです。

(本文は下記にあります)

1010号「峠の石仏・馬頭観音

【本文】

 山深い峠や、道ばたに馬の顔を彫った石像がこけにまみれて建っ
ています。かたむきかけた塔に馬頭観音と文字を彫ったものもあり
ます。馬頭観音は「変化観音」のひとつで、馬の供養塔です。文
字通り馬の頭を持つ観音さまです。

 形はただの文字塔だったり、馬の顔を頭に乗せた像などいろい
ろです。馬頭観音は馬頭観世音の略で、馬頭菩薩、馬頭大工、馬
頭明王ともいい、「六観音」のひとつで、また八大明王のひとつで
もあります。魔障を払い、慈悲をくれる菩薩だそうです。

 農業がまだ機械化されていなかった昔は、水田の耕作から作物
の運搬、人の運送まですベては馬を頼りにしていました。農家は
馬をそれは大切にし、厩舎(うまや)を住まいと一緒に建て、共
に寝起きして家族同様の生活をしました。いまでもカの単位に「馬
力」を使ったり、「馬力のあるヤツだ」などといったりします。

 昔から武士は、「槍一筋は百石の侍、馬一頭は二百石の侍」とい
われてきましたが、武士に限らず農家でも馬がいるかいないかで、
その家の裕福さの度合いがわかったという。祭りなどにも、腹か
けをかけをして着飾り、祝いの行列に参加させるなど、馬は特別
な待遇を受けていました。

 こんな大事な馬ですから、死んだら峠や山道、死馬捨て場など
に馬頭観音塔を建立して供養、同時に他の馬の無病息災を祈りま
す。馬頭観音塔の中でも、個人の家で飼っていた馬を、供養する
ために建てた塔はだうたい小型な塔です。

 これに対して大型のものは、馬持ち講中など牛馬に関係のある
職業集団や、馬頭講、観音講の講中の造った像が多いようです。
この場合は、不特定の馬の供養をするもので、馬の無病息災の祈
願が込められているのだそうです。

 馬頭観音は、「馬頭金剛明王」ともいい、もともとは馬の守り神
とは関係ない仏さまだとか。観音のなかではめずらしくこわい顔
をしていて、3つの顔にそれぞれ3つの目があり、ひとつはは眉
間にたてについています。口からは牙までつきだしています。

 これは悪に染まった人々の度胆を抜き、威力で魔性を打ちくだ
き、導こうとする「勧善懲悪」の姿だといいます。馬頭観音は、
紀元前1200年にインドで編さんされた、『リグ・ベーダ』というも
のに出てくる「ペードウ王」の神話が起源だといいます。

 いつも毒蛇に苦しめられていたペードウ王を、神から授かった
駿馬が毒蛇と戦い退治してくれたという神話です。馬頭観音の恐
しい顔は、その時の奮闘の姿をあらわしているといいます。また、
ヒンズー教神話の、シバ神とならんで有名なビシュヌ神は、悪魔
を退治するため10の動物や英雄神に姿を変えるという。

 その化身のひとつが仏教にとり入れられ、馬頭観音になったと
もいわれています。頭に馬をのせている馬頭観音塔もあります。
これは世界を統一する力をもっているという「転輪聖王」(てんり
んじょうおう)の馬が、四方をかけめぐって魔性を蹴散らし、邪
悪な心を喰いつくす意味だという。のち、六道(地獄、餓鬼、畜
生、阿修羅、人間、天上)の畜生道救済の意味から、いつの間に
か馬の守り神にされ、塔に建立されるまでになったという。

 馬頭観音は悪人をこらしめ、諸病をとり除き、天変地異を防ぎ、
悪人との論議得勝を祈るためにもまつります。また天台大師の「摩
詞止観(まかしかん)」第二では、「師子無畏観世音」と名づけ、六
観音(聖観音、千手千眼観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪觀音、
准胝(じゅんてい)観音)のひとつ、六道の中の畜生道の救済にあ
たる仏尊になっているというからムズカシイは話になってきまし
た。

 しかし、そんなことはさておき、農山村の馬頭観音はあくまでも
わが家の労働力であり、働き手である馬の供養と安全と健康を祈る
ためのものです。馬頭観音の信仰は、弘法大師の入唐以来、日本
に伝来したといい、大分県大分市の平安時代の五尊磨崖仏の中に
も馬頭観音雪石仏があったという。鎌倉時代、武家社会のなかで、
馬が大事な武器であったことからこの信仰が流行し出したらしい。

 江戸時代になると馬頭信仰はすっかり定着。馬の守り神として
民間に広まり、江戸時代中期には、峠や道ばたに石像が建てられ
るようになりました。路傍の馬頭観音の像は、「一面二臂」、「三面
六臂」や「三面八臂」像が多く、両方ともに立っている像と、座
っている像があります。

頭の上の馬は一頭のものがふつうですが、栃木県那須町には頭上
に5つ、馬の頭を刻んだ塔があるとか。こんな複数のものは、そ
の刻んだ頭数だけの馬を供養する意味があるのだという。また、
一基に「一面二臂」像を2体彫った、「双体馬頭観音」像も山梨県
塩山市にあります。

馬頭観音には像だけでなく、角柱や自然石に馬頭観世音、馬頭尊、
馬頭宮、馬頭大士などと、文字だけのものも多く、これらは像の
ある塔より新しく建立したものという。馬とならんで人間の役に
立ったのが「お牛サマ」。馬ばかりでは片手落ちです。

そこで「牛頭観音」というのを作りまして同じように道ばたにまつ
ってあります。牛馬一緒の石碑も時折り見られ、牛馬観音と書かれ
て牛、馬の絵が彫られています。なかには「豚頭観音」や、ペッ
トブームで死んだネコに石塔をつくり供養した「猫觀音」を山梨
県大菩薩連嶺「ハマイバ丸」西ろくの、甲州市大和町の「竜天宮」
の神社で見つけました。

▼【参考文献】
・『信州の石仏』曽根原駿吉郎(文一総合出版)1980年(昭和55)
・「石仏紀行・日本発見」(暁教育図書)1980年(昭和55)
・『日本石仏事典』庚申懇話会(雄山閣)1979年(昭和54)
・『日本の石仏』(全10巻)監修・大護八郎(国書刊行会刊)
・『日本の民俗・全47巻』(第一法規出版)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『宿なし百神』川口謙二著(東京美術刊)1979年(昭和54)
・「山島民譚集」:『柳田國男全集・5』1989年(昭和64・平成1)
所収

 

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【とよだ 時】 山と田園風物漫画
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 (主に画文著作で活動)
【ゆ-もぁ-と】事務所
山のはがき画の会

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