山の歴史と伝承に遊ぶ 【ひとり画ってん】

山旅通信【ひとり画展】とよだ 時

▼076号「丹沢の黒部といわれた玄倉川と山神峠」

【前文】
丹沢湖畔の玄倉集落から雨山橋へ向かうの途中に山神峠があり、
「山神宮」と「水神宮」の石碑がこわれた祠の中にちん座。この
間降った雪で、桧洞丸、蛭ヶ岳がまっ白。峠から先は崩壊で通行
止めになっています。足元からキジやヤマドリが飛び立ち、鹿が
薮をわけ谷を越えて姿を消しました。
・神奈川県山北町。

▼076号「丹沢の黒部といわれた玄倉川と山神峠」

【本文】


【本文】

 神奈川県西丹沢の丹沢湖畔にある玄倉(くろくら)集落は、北と

北東に丹沢山塊の檜洞丸(ひのきぼらまる)、蛭ヶ岳(ひるがたけ)、

丹沢山、塔ノ岳などの峰が連なる山村。目前に広がる丹沢湖の誕生

とともに5つの地区が水没、玄倉集落もその一部が湖水の下に沈み

ました。いま残る地区も山のすそ野に階段状に家なみがならんでい

ます。



 その玄倉から玄倉川上流・ユーシン方面へ行くには、いまは林道

を歩けば簡単にいけますが、かつては両岸切り立った本流に沿いの

道はなく、苦労の通行だったといいます。当時玄倉川はきびしいV

字谷がつづき、丹沢の黒部といわれていました。また反面、樹林と

谷の美しさは、南アルプスに匹敵されるような秘境だったところ。



 玄倉川上流部には、玄倉集落に東側から流れ込む小菅沢に沿って

登りつめ、伊勢沢ノ頭(1177m)から北西ののびる尾根をたどり、

鞍部(いまの山神峠)に出て、さらにアッチ沢の源頭を横切り、蛇

小屋沢、板小屋沢などいくつもの沢を横切り、いまの第八隧道先の

付近に出たという。きびしいV字谷を迂回し、玄倉川源流部への最

短コースをたどっていたのです。



 明治38年(1905)の秋、武田久吉博士(明治、昭和時代の登山家)

が、日本博物学同志会の一行12人と、玄倉から諸士平、熊木沢出

合、尊仏の土平経由で、塔ノ岳へ登っていった記録をみてもその様

子がうかがえます。



 この道はまた、玄倉方面から塔ノ岳の尊仏岩にお参りするための

経路でもありました。5月15日の尊仏のおまつりには、村人はこ

こを通って、ことしの豊作や、これからまく作物の種の交換などに

往復したという。



 さて、その玄倉−伊勢沢ノ頭から北東への尾根上に山神峠があり

ます。階段を登ると大きな杉の木があり、その横には長い年月、風

雨にさらされ、朽ちた祠の中に花崗岩に刻まれた「山神宮」と「水

神宮」の石碑がちん座ましましています。



 この山神宮と水神宮は、江戸中期ころの明和6年(1769)、江戸

の回船問屋「紀ノ国屋」が寄進したものだという。峠の名もこの山

神さまをまつったところから名づけられたもの。



 山へ出入りする村人たちはその行き帰り山神さまに、一日の無事

を祈ったり、感謝の祈り捧げていたという。林業に携わる人たちに

とっては、やはり山を支配する山神が大切な存在であったわけです。



 この峠には山神といっしょに水神もまつられています。前にも述

べたように玄倉川は、丹沢の黒部とかいわれたこの渓谷。一度起こ

れば、大勢の犠牲者をともなう沢や川の氾濫を想像するに難くあり

ません。



 そんな悲劇が起こらないようにとの、村人の願いであったことで

しょう。山神さまの祠は1985年(昭和60)に地元猟友会の手で、

再建されたそうですが、いまは当時の面影はありません。



 峠の南側は、明るい雑木林ですが、北側は深いヒノキの植林。峠

の北側には丹沢の山なみが広がっています。右から順に、丹沢山・

不動の峰・蛭ヶ岳。荒々しいガレを見せているのは西丹沢の山。檜

洞丸は同角ノ頭に隠されてみえません。



 広い河原は玄倉川です。このあたりは変化に富んだ沢が多く、沢

登りの人気スポット。ポピュラーな表丹沢の沢登りから、西丹沢の

渓谷にあこがれてやってくるには、雨山峠とこの山神峠は、どうし

ても越えなければならない峠だったそうです。



 こんな峠を大きく変化させたのが、玄倉川沿いに開発された林道。

いまはすっかり訪れる人もなく、山神・水神の祠も朽ちたままにな

っています。山ノ神は、大山祇神(おおやまつみ)をまつったりし

ていますが、民間信仰の山ノ神はいろいろで、あるところでは男神

だったり、女神だったり、十二様という12人の子持ちの神だったり、

しまいにはコワ−イおかみさんをもいうようになっています。



 もう昔といえるほど遠くなったある年の4月。当時小学生だった

の息子と、ここからユーシンに抜けようと山神峠を訪れました。こ

の間降った雪で、檜洞丸や、蛭ヶ岳がまっ白になっています。峠か

ら先は崩壊していて通行止めです。足元から、キジやヤマドリが飛

び立ちます。突然ガサガサッと鹿が飛び出しました。



 人が通らないので安心しきっていたらしく、その驚きようったら

ありません。薮をわけ、谷を越えて姿を消しました。残ったのはそ

れこそ、「シーン」という音が聞こえてくるような静寂さだけでし

た。



▼山神峠【データ】さ
【所在地】
・神奈川県山北町、小田急新松田駅からバス、玄倉停留所下車、さ
らに歩いて2時間で山神峠(さんじんとうげ)。
【位置】
・山神峠:北緯35度25分55.17秒、東経139度05分46.8分
【地図】
・2万5千分の1地形図「中川(東京)」

▼【参考文献】
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
4月
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『日本山岳風土記3・富士とその周辺』(宝文館)1960年(昭和35)

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山岳漫画・ゆ-もぁイラスト・画文ライター
【とよだ 時】ゆ-もぁ-と事務所

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