第4章 4 月

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▼中 扉

4月(うづき) (この章の目次)
  ・如月(うづき)
  ・新学年
  ・エイプリルフール
  ・清明
  ・花まつり(灌仏会、甘茶)
  ・花見
  ・発明の日
  ・穀雨
  ・切手趣味週間
  ・潮干狩り
  ・昭和の日
  ・4月その他の行事

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・卯 月

 4月は1年の第4番目の月です。日本では旧暦(陰暦)を使っていた時代は、4月を卯月(うづき)と呼びました。卯月とは卯(う)の花(ウツギの花)の咲く月の意味だとも、また農作物の種の「植え月」の意味からきたのだともいわれています。

 江戸時代の「増山の井」という本(1663年・寛文3年)には「卯月は卯乃の花月略したもので、得鳥羽月、花残り月、正陽の月などとも呼ばれる」と書いてあります。
 英語ではエイプリルで「花咲く月」というのでつけられたといい、大地が開いてやわらかくなるという意味があるそうです。

 季節は春たけなわ。桜、レンゲ、チューリップなどいろいろな花が咲くころです。ちなみにフランスではアブリル、ドイツ語ではアプリル、イタリアはアプリレというそうです。

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・新学期

 ピカピカの1年生が待っていた入学式。お父さんお母さんなどの保護者は、子どもが満6歳になったら学校に入学させなければならないと「学校教育法」という法律できめられているのだそうです。そして、小学校は卒業したら満15歳まで中学校で勉強させなければならないとしています。

 小学校は明治5(1872)年「学制」という法律で初めてつくられました。それ以前は庶民のための初歩的教育機関は寺子屋がありました。

 かつて日本では、店や仕事を休む日は1の日と6の日と決められていたという。そのため西洋からの日曜日がお休みというのはなかなかなじめず、明治9年まで1の日と6の日を休日とする「一六休業体制」を実施

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していたというウソのような話もあります。

 小学校をつくりはじめの明治6年には全国の小学校は1万2558校で、先生方は2万5531人、生徒は114万5802人との記録が残っています。当時は親や親族が教育に対する意識が低く、子どもを小学校に入学させるよういくらすすめても納得しなかったという。当時、入学して勉強する生徒は男子がやっと40%、女子はたったの15%しかいなかったといいます。

 その後、尋常小学校とか国民学校とかに変わったりしましたが、戦後昭和22(1947)年の教育基本法、学校教育法でいまのような義務教育が9年となり、小学校、中学校、高校、大学および盲学校、聾(ろう)学校、幼稚園などに分けられ、「六・三・三・四制」に定められました。

 しかし最近は、小、中一貫教育の公立小学校もできて、8年生、9年生という耳慣れない言葉も聞かれはじめました。

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・エイプリルフール(1日)

 4月1日は「エイプリルフール」です。かつてからヨーロッパには万愚節といい、軽いウソで人をかついだり無駄足をふませたりする行事がありました。それにだまされた人を「エイプリルフール」といい、この日を「四月ばか」と呼ぶようになったという。

 昔西洋での新年はいまの暦の3月25日から4月1日に当ったといいます。それが新しい暦を採用した時、フランスのこれを喜ばない人たちが、新年の祭りの最終日に当たる4月1日に、でたらめな贈物をしたり悪ふざけたりした事がありました。それをエイプリルフールといったという説もあります。

 またインドで、春分の説教がおわる3月31日、いままでの修行の甲斐もなく、もとのもくあみになる人もあったことから、それを揶揄して無駄な使いに走らせてからかった風習がエイプリルフールの最初だともいわれます。

 そのほかキリストの4月の受難で、処刑をアンナス(祭司の長)からカパヤ(同じく祭司の長)に、またピラト(ユダヤの方伯)にそしてヘデロ王にとたらい回しにされたことから、人に無駄足をふませて喜ぶようになったという説があります。

 またフランスではこの日を「ポアソン・ダブリル」というそうで、その意味は4月の魚サバのことだという。サバは4月にたくさん(だまされて)釣れて、よく食べられところから、この日にだまされる人を「4月の魚」と呼ぶという説もあります。なかには4月になると太陽から「うお座」が離れるからというのや、4月には誘かいが多い月だからという説もあり、こちらがだまされそうになります。

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・清 明(5日ころ)

 カレンダーやこよみの4月5日ころのところに清明(せいめい)という字が書かれています。これは二十四節気のひとつで、春先のいきいきした清らかなようすをいった「清浄明潔(せいじょうめいけつ)」という語を略したものだといわれています。

 二十四節気は1年を24に分けてそれぞれの季節にふさわしい名前をつけたもの。昔の暦では季節と無関係な月日が決められていたため、実際の季節とずれたりするのをおぎなうために考え出されたのだそうです。

 清明は、地球から太陽を見た時の太陽の軌道(黄道)が15度の時をいっています。二十四節気をさらに3つに分け、1年を72等分して季節にあった名前をつけた七十二候では、清明は第十三候から第十五候に当たります。

 第十三候は太陽暦の4月5日から9日ごろをいい「玄鳥(つばめ)来る」ころ、第十四候は10日から14日ころで「雁(かり)北に行く」ころ、第十五候は15日から19日ころで「虹始めてあらわる」ころだとしています。

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・花祭り・灌仏会(8日)

 4月8日(本当は旧暦)は花祭り。お釈迦さまの誕生をお祝いする日で、お寺では灌仏会(かんぶつえ)の法会を行います。仏生会、浴仏会、竜華会とも呼ぶそうです。これは宗派に関係なくどの寺院でも行われます。ただお釈迦さまを本仏としない浄土真宗、日蓮正宗は除かれるそうです。

 各地の寺院では境内に花御堂といういろいろな花で飾った小堂をつくり、これに銅でつくった誕生仏の像を浴仏盆の上に置きます。
 お参りにきた人は竹のひしゃくでお釈迦さまの頭に甘茶を3回注いで拝みます。甘茶は参拝した人にもふるまわれこれを飲むと無病息災でいられるとか、甘茶で墨をすり「千はやふる卯月八日は吉日よかけさけ虫を成敗ぞする」という言葉を紙に書いて張ると、子どもの疳(かん)の虫よけになるといわれています。

 お釈迦さまの誕生日には4月8日と2月8日(インド暦第2の月・ヴェーサーカ)のふたつの説があるという。これが4月8日になったのは仏教が中国に伝わってからの話で、本家本元のインドではいつでもよかったというから以外です。

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 日本に仏教が渡ってきてからは国内でも行われるようになります。「日本書紀」(推古天皇14年)というから西暦606年・飛鳥時代、「元興寺に斎を設け……」とあり潅仏会が行われた事が記載されており、これが日本での最初の記録ではないかという。

 灌仏会を花まつりといったのは明治時代に浄土宗で使ったのが最初だそうです。花盛りの時期にふさわしい名前なので、宗派を問わず取り入れたという。お寺が経営している幼稚園や保育園では子どもたちにも甘茶がふるまわれる日でもあります。また稚児行列を出すお寺もあります。

 この日には各地でいろいろな行事が行われます。兵庫県では山からとってきた花を竹ざおの先につけて、庭に高く立てる「高花」とか「天道花」という風習があります。これがもとになり4月8日を花祭りというようになったとの説もあるとか。

 また山形県では「あられ餅」から「オミヤカッコゴリ」というものをつくったり、長野県のように「ハナクサモチ」をつくって食べるところもあったようです。

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・甘 茶

 花まつりに仏像にそそぐ甘茶は、その昔お釈迦さまが生まれた時、9つの竜が喜んで天から甘露の雨をふらせ、産湯(うぶゆ)に使わせたという伝説からきているという(中国の「荊楚歳時記」6世紀)。このことから本当は甘茶ではなく「天茶」(てんちゃ)が正しいとの説もあり、日本に関心を持ったドイツの博物学者シーボルトもその説をとっていると聞きます。

 甘茶をかける風習はいつごろから始まったかははっきりしませんが、室町時代には単にお湯や香湯をかけていたという。のち五香水または五色水という5種類の香水を使ったという。いまのように甘茶に変わったのは江戸時代になってからというということです。

 甘茶はアジサイに似た落葉低木のその名もアマチャからつくります。夏や秋にアマチャの葉をつんで日干しにし、半乾きの時よくもむと甘味が出てきます。これをさらに十分に乾燥して仕上げます。生の葉にはほとんど甘みはありませんが、この葉を煎じると甘味が出てくるそうです。甘い味はフィロズルチンとイソフィロズルチンという成分だそうで、長野県や奈良県、山口県などで栽培しています。

 アマチャの木は醤油をつくる時にも利用され、糖尿病の人の飲みものにも使われているといいます。

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・花 見

 飲めや歌え、花よりだんごでドンチャンさわぎ。思い思いにサクラの木の下に陣どっています。しかしこの花見ももとは、村などで定まった日に行った神聖な行事だったのだそうです。

 この日は九州などで行われる磯遊び(潮干狩りもそのひとつ)や山行きと同じもの。野山に出かけごちそうを食べたりお酒を飲んだりして、自分の罪やけがれを清める(祓え)行事だったというのです。この日は家に残っていてはならぬ決まりだったともいいます。

 関東では旧暦4月8日、関西ではシガの悪日といい桃の節句におこなったといいます。この日はシガヨウカ(4月8日)といって弁当かついで薬師さまにおまいりしたり、花見八日といって、なぜかこの日は悪い日なので山に花見に出かける風習がいまも残っている所があります。

 昔は稲作は神のもとの作業だと考えられていました。春、山の上から山の神が田の神になって田んぼに降りてきて、稲の収穫までを見守るとの思想があります。つまり花見は神聖な農作業をはじめるに先立って農家が自分自身の身を清めるために行ったという。

 このような花見はいつのころか、だんだん個人が勝手に行うようになったということです。

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・発明の日(18日)

 発明の日(4月18日)という記念日があるのをご存じですか。これは、1885(明治18)年4月18日にいまの特許法のもとになった法律「専売特許条例」の発布を記念して、70周年目にあたる1954(昭和29)年に制定されました。通産省、科学技術庁、特許庁などが中心となって、広く国民に発明や新しい考案について、認識し関心をもってもらい、また奨励する目的でつくられたもの。

 特許法でいう発明とは、「自然法則を利用した技術的思想創作のうち高度なもの」なのだそうです。また科学技術について一般の関心と理解を図り、科学技術の振興を高めるため、1960年2月の閣議の了解に基づき、この「発明の日」を含む1週間をとくに「科学技術週間」と定めてあります。

 ちなみに、江戸時代にはもちろん発明や工夫が奨励されるようなことはなく、1721(享保6)年の「新規法度」のお触れのように、逆に発明はしないよう押さえる政策がとられました。その内容は「呉服物、諸道具、書物類は申すに及ばず、諸商売物、菓子類にても、新規に巧出し候事自今以後堅く停止たり……」というものでした。

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・穀 雨(20日ころ)

 4月20日ころは二十四節気のひとつ穀雨(こくう)です。いまごろ降る雨は穀物全般を潤すという意味でつけられ、潤った田や畑は種まきのちょうどよい時期になります。

 1年を24等分し、それぞれの季節にふさわしい名をつけたものが二十四節気で、穀雨は地球から見た太陽の軌道(黄経)が30度の時をいうそうです。二十四節気をさらに3つに分けた七十二候では第十六候から第十八候に当たります。

 第十六候は太陽暦の4月20日から24日ころで「葭(あし)始めて生ず」のころ、第十七候は25日から29日ころで「霜やみて苗出る」ころ、第十八候は30日から5月5日ころで「牡丹(ぼたん)咲く」ころとしています。

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・切手趣味週間

 切手収集家は結構多く見られ、記念切手が発行されると郵便局の前に行列ができます。切手趣味週間(いまは20〜26日)の第1回目は1947(昭和22)年11月29日からの1週間で、この時発売された記念切手は菱川師宣の「見返り美人」でした。1958年から切手趣味週間は4月に移りました。

 郵便切手がはじめて発行されたのは1840年イギリスのブラックペニーだという。当時の切手は目打ちがなく、いちいちはさみで切って使ったということです。日本では1871(明治4)年、ヨーロッパにならって新式郵便を実施、日本最初の48文、100文、200文、500文の4種類の和紙に銅販で印刷した竜の模様の切手で、「竜切手」と呼ばれているもの。このうち500文切手には75万円の子がつているものもあるそうです。

 切手を楽しみに集めることは、すでに19世紀後半からはじまっていて、日本でも1906(明治39)年に「日露戦役凱旋記念切手」が売り出され、東京の郵便局は買う人で長蛇の列ができたといいます。なおこの1週間は郵便週間でもあり、「一日郵便局長」などの行事もあります。

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・潮干狩り

温かい春の一日、潮風に吹かれながらの潮干狩(しおひがり)。一家そろって海に入ります。江戸時代から江戸や大阪などの人たちは、雛祭りの前後に磯に出て貝などをとる習慣がありました。

 海岸の村々でも旧暦3月3日の行事として、海辺に行ってごちそうを食べる磯遊びの習慣がありました。これは山村では同じ日に山に登り、飲んだり食べたりして過ごしたそうです。

 以前は、旧暦3月3日の日にはなぜか家にいてはいけないといういい伝えがあったそうです。この時期、大潮(3月3日から7日まで)といい一年中でいちばん満潮、ひき潮の差が大きく潮干狩にもってこいのこの時期です。

 そんなところからこの潮干狩りの習慣は、磯遊びがもとになっているのだろうといわれています。潮の満ち引きはおもに月と太陽の引力が引っぱって、地球の海面の水位を毎日ほぼ2回昇降させます。

 よく人間は満潮の時生まれて、干潮の時死んでいくといわれます。でもこれは潮の満ち引きに世の中に影響を与える力が働くからだとの考えからきたもので迷信であると解かれます。しかしこの考えは根強く、またかなり高い割合で叶っているともいわれます。

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・昭和の日

 もともとは昭和の「天皇誕生日」という祝日でした。それが、1989年(平成1)から「みどりの日」の改名。しかし、2005年(平成17)、国会で「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正され、2007年(平成19)から「昭和の日」に再度改名しました。さらに「みどりの日」は5月4日に移動しています。

 

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・4月 その他の行事

▼緑の週間(1日〜7日)

▼日光強飯式(2日)栃木県日光市輪大寺。裃(かみしも)を着た頂戴人(ちょうだいにん)に、山もりご飯の大きなお椀を山伏姿の強飯僧がむりやりたべさせようとします。

▼一の宮かんか祭(10日) 新潟県糸魚川市天津神社。狩衣(かりぎぬ)姿の警護長の合図で2つのみこしが激しくぶつかります。

▼メートル法公布記念日(11日)
 長さにメートル、質量にキログラムを基本にしたメートル法は18世紀の末にフランスでつくりあげられました。

 日本では1921年4月11日、すべての計算をメートル法に統一する法律が公布されました。しかしすぐにはなじめないといういうことから猶予期間をとり、完全に実施したのは昭和41年になりました。

 ところが、建築にはメートル法は不便だとの声があがり、いまは尺や寸を使ってもよいことになっています。

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▼山王祭(14日) 滋賀県大津市坂元町日吉(ひえ)神社。日吉(ひえ)祭ともいいます。7台のおみこしを乗せた船が潮を渡る行事があるが、夜に入ると数百の燈火が湖上を照らします。東京の日枝神社は代表的な末社で、お祭りをやはり山王歳といいますが6月15日に行われます。

▼春の高山祭(14、15日) 岐阜県高山市。しし舞いなどとともにみこしがねりあるき、各町内から12基の山車(だし)がくりだされます。屋台の上でのからくりもみごとです。

▼みどりの日(29日) 1989年、自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊か心をはぐくむ日として「国民の祝日」に制定。それまでは昭和天皇の「天皇誕生日」で、戦前の旧祝祭日では「天長節」(昭和天皇の誕生日)という祝日でした。

▼春の交通安全運動(4月の1週間)

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(4月終わり)

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