第5章 5 月

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▼中 扉

5月(さつき) (この章の目次)
  ・皐月(さつき)
  ・メーデー
  ・八十八夜
  ・憲法記念日
  ・みどりの日(4日)
  ・こどもの日(端午の節供、こいのぼり、しょうぶ湯、柏もち)
  ・立夏
  ・母の日(カーネーション)
  ・愛鳥週間
  ・虫送り
  ・5月その他の行事

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・皐 月

 新緑が映え、5月は、晴れ晴れとして気持ちのよい月です。古い暦ではこの月の異名を、五月とか、皐月とかいて「さつき」といいました。これは、五月雨月(さみだれづき)の略だとか、小苗月(さなえづき)また幸月(さちづき)の略したものだなどの説があります。

江戸時代中期の「滑稽雑談」いう本には5月というのは「田植えが盛んなので、さなえ月というのを間違えてこういうようになった」というようなことが出ています。

 5月はどういうわけか悪い月だとされ、邪気をはらうため菖蒲酒を飲んだり、菖蒲場に入ったり、ヨモギを軒につるしたり、またチマキを食べたりしました。

 英語のメイはイタリアの「春の美しい女神」マイアからつけられたといわれます。万物の成長や繁殖を受けもつとの意味から出たといわれます。

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・メーデー(1日)

 5月1日に行われるメーデーは、大衆集会やデモンストレーションをする世界の労働者のお祭りです。

 1886年5月1日、アメリカの労働者がストライキを行い、警官との激突で大勢の死傷者を出した末、「8時間労働」を獲得しました。1889年、第2次インターナショナルのパリ大会は、アメリカの偉大な闘争を世界に広げようと5月1日を労働者階級の国際的祭日に定めました。

 日本でも政府などの弾圧を受けましたが、やっと大正9(1920)年にはじめて第1回のメーデーが行われました。しかし昭和11年に禁止され、戦後昭和21年になってやっと復活しました。

 1952(昭和27)年、禁止になった皇居前広場に向かったデモ隊に警官が発砲し、2名の死亡者と千数百人の重軽傷者を出した事件もあります。

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・八十八夜(2日ころ)

 ♪夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉がしげる……茶つみ歌にもうたわれる八十八夜(2日ころ)は雑節のひとつで、立春から88日目にあたります。八十八夜の別れ霜というくらいで、もう霜の心配もあまりないという。農家の人たちにとっては種まきのころとされています。

 日本では昔、太陰暦を使っていたために、暦の日付は季節といちじるしく食い違っていました。そこで季節を示すようなものが必要になり、太陽の黄経を24等分した二十四節気や五節供のほかに、その補助的な意味合いで雑節というものをつくったのだそうです。雑節は、いろいろの農作業の仕事をする目じるしに使われています。

 この日にお茶を飲むと寿命がのびるなどともいわれ、農家ではおかゆをたいて田の神に供える地方もあります。

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・憲法記念日(3日ころ)

 3日の憲法記念日は、自由と平和を求める国民がみんなで祝える日として、1948(昭和23)年、「国民の祝日に関する法律」が制定されました。憲法記念日はそのひつで、1947年5月3日に施行されたいまの憲法を記念して「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」という、こむつかしい趣旨で決められました。

 日本国憲法は天皇主権の明治憲法(大日本帝国憲法)にかわって公布されました憲法。1847年3月、日本政府はマッカーサー草案にもとづく憲法をおこし発表。これは国民主権をはっきり書いたことや、戦争の放棄など当時どの政党の憲法草案より民主主義、平和主義に徹底したものでした。

 しかし最近はマッカーサーから押しつけられた憲法だとして、改訂しようという声もあり、改訂するための国民投票の準備が行われています。また戦争放棄のこの憲法は世界にただひとつの誇るべき憲法。一度変えてしまえば二度と出てこないであろう貴重な憲法、絶対に残すべきであるという根強い声もあります。

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・みどりの日(4日)

 日本の国民の祝日のひとつ。もとは4月29日でしたが、2005年(平成17)の祝日法改正で、2007年(平成19)以降は5月4日に移し、4月29日を「昭和の日」になりました。
 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としています。

 

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・こどもの日(5日)

 こどもの日(5月5日)は「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」という趣旨でつくられた国民祝日のひとつです。日本では子どもの祝日として、古くから女児のための桃の節供、男子のための端午の節供がありました。

 それとは別に1948(昭和23)年に法律で「こどもの日」が定められ、この日を中心に児童福祉週間が設けられています。また「児童は人として尊ばれる。児童は社会の一員として重んぜられる。児童はよい環境のなかで育てられる」とする児童憲章も昭和26年に制定されています。

 1954年10月、国連の第9回総会でインドなどの提案で「世界こども

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の日」がきめられ、1956年から各国それぞれ適した日を「世界こどもの日」として、世界の子どもの友愛を育てることになりました。

 日本では5月の5日をこの日に当てていますが、アメリカは5月1日、イギリスは3月の第1月曜、インドは11月14日、ソ連・ポーランド・ハンガリーは6月1日を各々おのおのあてています。

 「こどもの日」はまた端午の節供でもあります。大空にこいのぼりが舞い、家の中には武者人形やかぶとなどが飾られています。五月晴れのもと、休みが続くゴールデンウイーク、行楽地もにぎわっています。

 端午とは月のはじめの午(うま)の日のことですが、いまでは5月5日をいっています。5月はなぜか悪い月だといわれ、悪気をはらうためしょうぶ湯に入ったり、ちまきを食べたり、ヨモギを軒につるしたりしました。

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・端午の節供(5日)

 5月5日は端午(たんご)の節供でもあります。端午の端は、はじめという意味で月のはじめの午(うま・十二支)の日のこと。また午は5のことで月はじめの5日をいうのだという説もあります。

 昔の中国では端午の日には野外に出て、野草を摘んだり野あそびをする習慣があったそうです。その時ヨモギで人形や虎をつくったり、ショウブを入れた酒を飲んで病気や災難をお祓いしたという。それが次第にヨモギやショウブを門口にさすようになります。

 これが日本に伝わり、日本固有の習慣「五月忌み」といっしょになります。「五月忌み」とは5月の大切な田植えの時期、心身を清めて田の神を迎えます。女性は家にこもって神をまつり、若者たちも青年としてのい

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ましめを受けたという。早乙女たちも一夜の忌(い)ごもりをして早苗(さなえ)を手にする日でした。端午の節供はもともとは女性の節供だったというのです。

 端午の節供が男のものになったのは武家の時代になってから。この時代になると武家流に流鏑馬(やぶさめ)や凧(たこ)あげなど勇ましいことが節供行事の中心に行うようになります。さらに植物の菖蒲と尚武が共通することから、桃の節供と対照させ、菖蒲(尚武)の節供として男の節供に定着していくのでありました。

 昔からこの日に行われていた行事に、徳川時代から盛んに行われている長崎のペーロン(競渡)。鎌倉時代から行われていたショウブ打ち。いまもショウブで束ねたもので地を打って音の大きさを競います。

 神奈川県のたこあげや静岡県の浜松市のたこあげも昔から伝わる行事。畳3畳くらいの大だこで糸を切り合います。そのほか端午の節供の行事は各地にいまでも残っています。

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・鯉のぼり

 端午の節供が近くなるとさつき晴れの空に鯉のぼりが泳ぎはじめます。これは男の子の出世や健康を祈って立てる外飾りです。

 日本では江戸時代武家階級が菖蒲の節供・尚武の節供を重んじ、家紋をしるした旗さしもの、幟(のぼり)、吹き流しなどを玄関前に飾るのが流行したという。一方町人たちは、武家が武具を飾るかわりに鯉の幟(のぼり)をたてる習慣が生まれます。

 中国には黄河の上流にある竜門まで泳いでのぼることができた鯉は、竜になることができるという言い伝えがあります。このことから鯉の滝のぼりが立身出世のたとえにされていました。

 このたとえから端午の節供に立てる幟に鯉の絵が描かれるようになります。のちこの鯉の絵が小さな紙で鯉の形につくられ幟の小旗がわりにつけられます。さらに吹き流しとして発展、次第に大きくなり独立。はじめは「こいの吹き流し」と呼んでいたらしく、安永(1772〜1781)のころ、すでに立てられていたとものの本に書かれています。

 明治時代になるとこいのぼりや吹き流しに、真ごい、ひごいをとりまぜるようになりました。このころはほとんどが紙製でしたが、いまは木綿や化繊性のものが大半だそうです。

なおこいのぼりの生産は埼玉県加須(かぞ)市が有名です。

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・ショウブ湯

 5月5日にはショウブ湯に入ります。旧暦の5月は物忌(い)みが必要な悪い月だといわれ、昔は災いをさけるためにショウブ湯に入り、チマキをたべたそうです。

 その昔、蛇が化けた美青年と契った美女がその子を宿したという。困りきった女性はショウブ湯に入ったところ流産し、蛇からの難をのがれたという伝説があります。これがショウブ湯に入る習慣になったもとだともいう説があります。

 中国で5月5日、欄の葉を入れた湯に入り邪気をはらう古い習慣があり、欄湯とか沐欄といい、この日を浴蘭節と呼んだという。ここからショウブ湯の起源はこの蘭湯であるとされています。日本では室町時代からショウブ湯が文献に見られ江戸時代に宮中でもショウブが使われたそうです。

 ショウブは「菖蒲」と書き、川岸や池などに生える大形のサトイモ科の多年草です。葉はアヤメやハナショウブに似ていて、昔は「アヤメ」と呼ばれていました。

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かしわ餅

 5月の節供にはかしわ餅を供えます。かしわ餅は、新粉餅でみそ餡やあずき餡をくるみ、ふたつ折りにてカシワの葉でつつんだ餅菓子で、カシワのかわりにナラの葉を使う所もあります。平安時代にツバキの葉を使った「椿餅」というものがあったそうで、かしわ餅はこの流れをひくものではないかとともいわれています。

 かしわ餅が節供に使われるようになったのは16世紀中ころ。流行しだしたのは江戸時代中期で、みそ餡の柏餅ははじめ江戸独特のものだったという。

 カシワの葉は古来食べものを盛るのに使われ、お盆の精霊たちに供える食べものをカシワの葉に盛ることなどから、五月節供に使用されたのだろうといわれています。

 またちまきも端午の節供には欠かせません。ちまきも古く、平安時代の本「延喜式」(927年)にも記載があるほど。ちまきはもと中国のものではじめは茅(ち、ちがやのこと)で巻いたので茅巻きの名があるといわれています。

 東北ではササの葉でつつんだ笹巻き・笹餅があります。

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・立夏(6日ころ)

 毎年5月6日ころは立夏(りっか)に当たります。立夏は二十四節気のひとつで、黄経(天球の太陽の位置)が45度のときをさしているという。暦のうえでは夏に入ります。春がようやくあせて、山野に新緑が目立ちはじめ、風もさわやかになるころだとしています。

 またこれをさらに細かく分けた七十二候では第十九候から第二十一候に当たります。第十九候は新暦の5月6日から10日ころで「蛙始めて鳴く」ころ、第二十候は11日から15日ころで「蚯蚓出る」ころ、また第二十一候は16日から20日ころで「筍(たけのこ)生ず」のころなのだそうです。

 昔使っていた暦は太陰暦であったため、季節と日にちが合わなかったので季節の変わりの目安として二十四節気をつくったという。

 二十四節気と立春、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)、春分、清明(せいめい)、穀雨(こくう)、立夏、小満(しょうまん)、芒種(ぼうしゅ)、夏至(げし)、小暑(しょうしょ)、大暑(たいしょ)、立秋、処暑(しょしょ)、白露(はくろ)、秋分、寒露(かんろ)、霜降(そうこう)、立冬、小雪(しょうせつ)、大雪(たいせつ)、冬至(とうじ)、小寒(しょうかん)、大寒(たいかん)の24をいいます。

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・母の日

 5月の第2日曜日は母の日です。かつては母親のいる人は赤、いない人は白のカーネーションを胸につけて歩いたものでした。

 母の日の起源については、古代ギリシア時代に神々の母リーアに感謝するための春祭りから発祥したとする説があります。また、17世紀イギリスで、復活祭(イースター)40日前の日曜日は、家から離れて仕事をしている人が家に帰って母親と過ごすことが許される日(マザーズ・デイ)だったという。

 またアメリカのフィラデルフィアで母子で幸福な生活を送っていたアンナ・ジャービスという少女が1905年母の死に遭遇しました。やがて彼女は、「亡き母を追悼したい」という気持ちから、1908年フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配ったのが起源との説もあります。

 1912年西バージニア州で祝日に決定後、各州でも賛同され、1914年にウイルソン大統領が、5月の第2日曜を「母の日」と定め、国旗を掲げてお母さんに感謝の意を示す公式の祝日に制定。それから世界中に広まったという。

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 日本で初めての母の日を祝う行事が行われたのは明治の末期ころといいます。のち1915(大正4)年ころから教会で祝われ始め、次第に一般に広まっていったと伝えられていきました。昭和に入ると3月6日が母の日だったという。

 これは当時の皇后の誕生日にあたっていたためとか。いまのようになったのは戦後しばらく経ってから。さらに、一般に広く普及したのは1937(昭和12)年に森永製菓が宣伝をはじめたのがきっかけだといわれています。

 母は奈良時代にはファファ、平安時代にはファワと発音され、院政期の写本の「元永本古今集」には「はわ」と書いた例まであります。母の字は女と「点々」が合わさったもので、点々は左右の乳房をあらわしているという。
 また、母親の呼び方にはいろいろあり、古くは「おも、おもとじ、あも、あもどじ、かもじ」など。そのほか「おっかあ、かかあ、おかか、おかあ、おふくろ、かかさま、おっかさん、かっかあ」など。
 方言では「だだ、あば、あひい、おたあさん、かが、おかん、ののかかさん、ががちゃ、おかはん、かく」。その他母堂、尊母、賢母、母公、母儀、などなど数えあげたらきりがありません。

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・カーネーション

 母の日のカーネーションは、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」がの母親が好きだった白いカーネーションを教会の祭壇に飾ったことからはじまります。母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを胸に飾るようになり、母の日にカーネーションを贈る習慣へ変化していきました。

 カーネーションは、オランダナデシコ、オランダセキチクともいい、南ヨーロッパの原産です。カーネーションの語源は、肉(ラテン語でカロ、カルニス)の色に似ているからだとも、ローマ時代この花の祖先に当たる植物で、花の冠(コローナ)をつくったからだともいわれています。

 この花の祖先はセキチクやナデシコで、いまから2000年も前から栽培され、16世紀の初めにはピンク、赤、白などの品種ができました。日本へ渡ってきたのは江戸初期で、貝原益軒の「大和本草」(1709年)に「オランダセキチクは大きくて、香りがある……」と出ています。

 ローマ時代はブドウ酒にいれて飲んだり、宴会に花冠を頭にのせる風習があったそうです。

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・バードウイーク

 5月10日から16日はバードウィーク(愛鳥週間)です。森林や農作物を害虫からまもったり、自然環境での大切な役割を占める野鳥を保護し、愛護精神を高めるために作られました。

 1947(昭和22)年に、4月10日をバード・デー(愛鳥の日)と制定していました。しかし4月ではまだ冬鳥が多いころということもあり5月10日に変更。

 1950年からは、毎年5月10日から1週間をバードウィーク(愛鳥週間)と呼ぶことにし、野鳥が人間社会に果たす役割について理解を深め、野鳥と人間の住みよい環境をつくろうと当時の環境庁(いま環境省)が改変したもの。

 野鳥を単に益鳥だ、害鳥だと分けていいますがほんとの害鳥はごく少数だという。田畑を荒らし害鳥視されがちなスズメなども、こどもの育すう期には盛んに昆虫をつかまえ、雑草の種子をついばむという。スズメを絶滅させ、サクランボの収穫がなくなったドイツのフリードリヒ大王の話もあります。

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・虫送り

 農薬がなかった昔は、稲にとりつく害虫は稲作農家にとっては死活問題でした。そこで鐘や太鼓をたたいて害虫を追い払ったり、たいまつで焼き捨てようとする今からみればバカバカしいような行事もありました。江戸時代の記録にも見えています。

 虫送りの行事は、斎藤別当サネモリさんと呼ばれるわらで作った人形を先頭に、行列をつくり鐘・太鼓をうち鳴らし称えごとをしながら害虫を村はずれまで送り出します。

 なぜ齋藤実盛(さねもり)が虫送りと結びついたかについては、いろいろな説があって「サナブリがなまってサネモリになったのだ」とか「イナゴ類をベットウと呼ぶところからきたのだ」とか、なかには「女性自身が盛りあがった時のことで、豊作(生産)を意味する」という人もいます。

 青森県ではヘビ形をした「虫」をつくり松の枝にかけます。これも今ではわずかに祭りとして残っています。

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・5月 その他の行事

▼高岡関野神社御車(みくるま)山祭(1日) 富山県高岡市堀上町。華麗な山車(だし)が市内を列をつくりねり歩きます。

▼博多どんたく(3、4日) 福岡市櫛(くし)田神社。松ばやし、稚児(ちご)などの行列が町をねり歩き、町は見物人があふれます。

▼たこあげ合戦(3〜5日) 静岡県浜松町。中田島の砂丘で60あまりの畳3畳から8畳もある大だこが、他のたこの糸を切ろうと荒々しい合戦をくりひろげます。

▼日立まつり(3〜5日) 茨城県日立市宮田町。6階だての豪華な山車(だし)の上で、からくり人形が芝居を演じます。世直し祭ともいいます。

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▼大地主(おおとこぬし)神社青柏祭(せいはくさい)(13〜15日) 石川県七尾市古府中。歌舞伎人形を飾りつけたデカ山という大きな山車(だし)が出ます。3台のだしの上の若者たちの木遣(きやり)音頭にあわせて市内をねり歩きます。

▼東宮神社祭典(14日) 栃木県栃木市皆川城内町。源義家にちなんでやぶさめや草競馬を行います。

▼浅草三社祭(さんじゃまつり)(18日) 東京都台東区。みこしや芸妓(げいぎ)の手古舞い、木造り音頭、獅子(しし)舞いなどでにぎわいます。東京3大祭の1つです。

▼小満(しょうまん)(21日ころ) 新暦の5月21日ころから6月5日ころは小満に当たります。このころは野山の草や木の実がつきはじめ、麦の穂が成長します。陽気が次第に盛んになり、万物が満ちてくる季節としています。二十四節気のひとつです。太陽の黄経(天球の太陽の位置)が60度になる時をいうのでそうです。

 小満から芒種(6月6日ころ)までをさらに3つに分けた七十二候では、第二十二候にから第二十四候に当たります。第二十二候は5月21日から25日ころで「蚕(かいこ)起きて桑を食う」ころ、第二十三候は26日から30日ころで「紅花咲く」ころ、第二十四候は31日から6月5日ころで「麦の穂出る」ころとしています。

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(5月終わり)

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