続・山の神々いらすと紀行
第9章 近畿の山々

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■17:十津川村・南北朝大塔宮、吉野落ちゆかりの果無峠

【略文】
かつて大塔宮護良親王吉野落ちの時「果てがない」と親王を嘆かせ
たという果無山脈。高野山と熊野本宮大社結ぶ参詣道に立ちはだか
り、行けども行けども果てなく山道が続くため「果無道」と呼んで
いたものが山脈名になったのだという。その峠が果無峠(果無越)。
山麓には「果無集落」もある。
・奈良県十津川村

■17:十津川村・南北朝大塔宮、吉野落ちゆかりの果無峠


【本文】

紀伊半島の奈良県と和歌山県の境を東西に走る果無山脈(はてなし

さんみゃく)というとてつもない名の山があります。南北朝時代の

大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)吉野落ちの時

も「果てがない」と嘆かせたという山脈です。



高野山と熊野本宮大社を結ぶ参詣道(熊野古道・小辺路)に立ちは

だかり、行けども行けども果てなく山道が続くため「果無道」と呼

んでいたものが山脈名になったという。その峠が果無峠(果無越え)。



山麓には「果無」という名の集落(奈良県奈良県吉野郡十津川村)

もあります。峠への向かう石畳の道がコケが生えて古道の雰囲気を

漂わせています。



路傍には熊野側から1番、2番と三十三体の観音石仏が祭られ、果

無峠は第17番の十一面観音菩薩がまつられています。そばにつぶ

れてしまって、台座の上に屋根が乗っている宝篋印塔(ほうきょう

いんとう)の祠があるばかり。



ちょっとだけ開けた小平地「果無峠」は、熊野へ向かう小辺路(こ

へじ)道から直角西側・カヤノダン、安堵山(あんどやま)方面の

果無山脈縦走へいざなう道標が建っています。



一説には「はてなし」の名は、この山にすんでいたという怪物・一

本ダタラに由来しているともいわれます。一本ダタラは、一つ目一

本足の怪物で、目が血のようで、ハテノハツカ(十二月二十日)に

なると出没して峠を越える旅人を襲って食ったという。



そのためその日は人の往来がナシだった。果無山のハテナシはそこ

からきていると「山人の記・木の国果無山脈」(宇江敏勝著)にあ

ります。



▼果無峠【データ】はてなしとうげ
【所在地】
・奈良県吉野郡十津川村。JR和歌山本線五条駅からバス3時間蕨
尾口バス停下車、歩いて3時間で果無峠。三十三体の観音石仏の第
17番の十一面観音菩薩がある。地形図に峠名、標高ともに記載な
し。登山道の三叉路のみ。

【位置】
・果無峠:北緯33度54分36.07秒、東経135度44分41.15秒

【地図】
・2万5千分の1地形図「発心門(田辺)」or「伏拝(田辺)」(2図
葉名と重なる)


▼【参考】
・『山びとの記』木の国果無山脈(宇江敏勝)(中公新書)1980年(昭和55)
・『民間信仰辞典』桜井徳太郎(東京堂出版)1984年(昭和59)
・『日本伝説大系9』保仙純鋼ほか(みずうみ書房)1984年(昭和59)

 

17:果無峠おわり
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