続・山の神々いらすと紀行』
第7章 南アルプスの山々
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■01:甲斐駒ヶ岳・名馬と八岐大蛇
【略文】
甲斐駒ヶ岳の伝説の神馬天津速駒。那須の国造は凶暴な八溝山の八
狹大蛇を退治しなければならなかった。速駒に乗り、乗鞍岳から借
りた天安鞍(決して落ちない鞍)、立山の天広盾(相手の数に応じ
て広がる盾)、槍ヶ岳の天日矛(矛先が燃える槍)を借り受け、八
岐大蛇を退治できたという。
・山梨県北杜市と長野県伊那市との境
■01:甲斐駒ヶ岳・名馬と八岐大蛇
【本文】
江戸時代の宝暦2年(1752)、甲府勤番の士、野田成方(のだ・し
げかた)が著した『裏見寒話』(うらみかんわ・甲斐の見聞記で、
歴史、地理、民俗、伝説等が書かれている)という古書があります。
それには「駒ケ岳戌方聖徳太子金蹄駒ニ召サレ、此絶頂ニ降リ玉フ、
其跡山ノ形駒ニ似タリト、天風吹々トシテ此巓ニ綿ノ如クナル雲カ
カル間モナク西北ノ大風落シ来ル是信州境也、峻嶺ナレハ人跡絶ユ
ルト、此山ニ雷鳥トイフ鳥アリ、大サ白鳥程有リテ黒毛ニ嘴ト足黄
色ナリト云フ」と、甲斐駒ヶ岳と聖徳太子やライチョウについて書
かれています。これは甲斐駒ケ岳のライチョウを紹介した最初の文
献だといわれています。
さて、山梨県北杜市(旧北巨摩郡白州町)の竹宇駒ヶ岳神社の言
い伝えによると、南アルプスの甲斐駒ヶ岳(2967m)には昔から、
神馬・天津速駒(あまつはやこま)という不老不死の白馬がすん
でいたという。天津速駒は建御雷神(たけみかづちのかみ・『日本
書紀』では武甕槌神)の霊から生まれたとされる勇猛果敢な名馬。
建御雷神とは『古事記』に出てくる国譲りの時、甲斐駒ヶ岳に縁
の深い大国主の子・建御名方神(たけみなかたのかみ)を諏訪湖
まで追いかけてきて降参させた神です。この馬は両方の肩に生え
た銀色の翼で天空を飛び、夜は山頂で眠るという不老不死の神馬
だとされています。
甲斐駒ヶ岳ふもとの竹宇駒ヶ岳神社の社伝では、山梨県北杜市を
流れる尾白川はこの白馬の尾から名づけられたという。尾白川渓谷
は甲斐駒ヶ岳に源を発する女性的な美しさを秘めた渓谷で千ヶ渕・
神蛇滝・不動滝など数多くの滝や渕があり、その清冷な水は、名水
百選に選定されています。
そんなことはともかく、この馬はひとたび出合えば、いくら病弱
な人でも、総身に活気がみなぎるといわれているほどの力を秘め
た神馬です。そのころ、栃木・福島・茨城県境の八溝山(やみぞ
さん)にはどう猛な八岐大蛇(やまたのおろち)がすんでいまし
た。この大蛇退治の勅命を受けた那須の国造(くにのみやっこ)
も相手が強すぎて手も足も出ません。
そこで国造は、かねてから聞いていた天津速駒を探しに甲斐駒ヶ
岳へやってきました。しかし、速駒は雪のあるときは峰々をさま
よっていてとても見つけられません。それでも水に不自由する夏
場になると、速駒にとって千古に秘められる泉である姫ヶ泉(秘
めが泉)に水を求めて出てきます。国造はさんざん徘徊の末、姫ヶ
泉で水を飲んでいる速駒を見つけました。しかしただ近づいたので
はとても捕まえられる相手ではありません。
国造は絹の衣を着て這って徐々に近づいて行きました。速駒はそれ
を雪だと思い油断しているすきをみて手綱をつけて捕らえることが
できたのでした。次に、北アルプスの乗鞍岳から天安鞍(あめの
やすくら)を借り受け、同じく立山から天広盾(あめのひろたて)
を、槍ヶ岳からも天日矛(あめのひぼこ)を借り受けました。
こうして暴れん坊の神馬からも決して落ちない鞍、相手の数に応
じて広がる盾(たて)、矛先が燃える槍を持った那須の国造は勇気
百倍千倍。天空を自由に飛翔する天津速駒に打ち乗って八溝山へ
と向かいました。すると八溝山から、すざましい大旋風が巻き起
こり、毒の霧が立ちこめました。
しかし速駒にとってはなんの障害にもなりません。毒霧の間をか
いくぐり大蛇に近づきついに退治してしまったという伝説があり
ます。その後甲斐駒ヶ岳にまいもどった天津速駒はいまも雪の積
もる峰々や谷々をさまよっているという。
なお、1928年(昭和3)発行された「旅と伝説」や、1930年(昭
和5)の『山の伝説』には、神馬天津速駒のすむのは中央アルプ
ス編(駒ヶ岳)としています。同書によれば「毎年、十二月二の
中(なか)の日には、神馬が風にかけて阿弥陀如来を乗せて善光
寺の駒返橋まで来ると伝えられて」いると記載されています。し
かし、北杜市の竹宇駒ヶ岳神社の社伝その他からここでは甲斐駒
ヶ岳と致しました。
▼甲斐駒ヶ岳【データ】
【所在地】
・山梨県北杜市(旧北巨摩郡白州町)と長野県伊那市(旧上伊那
郡長谷村)との境。中央線日野春駅の西14キロ。JR中央本線甲
府駅からバス、広河原乗り換え北沢峠、歩いて4時間20分で甲斐
駒ヶ岳。一等三角点(2965.6m)と、写真測量による標高点(296
7m)と、甲斐駒ヶ岳神社の奥宮がある。地形図上には駒ヶ岳の山
名と三角点の標高、すぐ西に標高点の標高のみ記載。三角点より東
方向直線約95mに鳥居の記号がある。
【名山】
・深田久弥選定「日本百名山」(第77番選定):日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる。
・岩崎元郎選定「新日本百名山」(第48 番選定)
・山梨県選定「山梨百名山」(第29番選定)
・清水栄一選定「信州百名山」(第92番選定)
・田中澄江選定(1995年)「新・花の百名山」(第75 番選定)
【位置】
・標高点:北緯35度45分28.63秒、東経138度14分12.4秒
・三角点:北緯35度45分28.97秒、東経138度14分11.93秒
【地図】
・2万5千分の1地形図:「甲斐駒ヶ岳(甲府)」
▼【参考文献】
・『裏見寒話』(うらみかんわ)宝暦2年(1752)野田成方(のだ
しげかた)
・『角川日本地名大辞典19・山梨県』磯貝正義ほか編(角川書店)1
984年(昭和59)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本三百名山』(毎日新聞社編)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系・山梨』(平凡社)1995年(平成7)
01:甲斐駒ヶ岳おわり
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