続・山の神々いらすと紀行
第6章 中央アルプス・御嶽の山々
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■10:御嶽・普寛行者とライチョウ
【略文】
普寛行者といえば御嶽山の王滝口を開いた人としても知られてい
る江戸中期の修験者。その行者が、御嶽山の王滝口を開くため5
人の行者を従えて頂上へ登る途中、道に迷って立ち往生してしま
いました。そこへひとつがいの鳥があらわれ、一行を山頂へ案内
しました。これこそ山の人気者ライチョウだったということです。
・長野県王滝村と木曽町との境
■10:御嶽・普寛行者とライチョウ
【本文】
普寛行者といえば江戸中期の修験者。木曽御嶽山を霊山とあがめる
御嶽教の教祖でもあり、コマクサからつくる腹痛の霊薬「木曽百草」
の創始者。また御嶽山の王滝口を開いた人としても知られています。
埼玉県秩父市大滝村の生まれで幼名は木村好八丸。
「日本六十余州」の遍歴で、三峯山の奥ノ院から武甲山、上州武尊
山、越後八海山、木曽御嶽山王滝口などを開山、三笠山、筑波山、
羽黒山、戸隠山、立山、白山、阿蘇山、国見岳、桜島などなどにま
で足をのばしました。こうしてついに52歳の時、伝燈大阿闍梨に
まで登りつめました。
その行者が寛政4年(1792)の夏、5人の行者を従え登った時のこ
と。未開の山は厳しく山中で行くも帰るもできなくなってしまいま
した。
そこへひとつがいの瑞鳥(ずいちょう・めでたいことがおこる鳥)が
あらわれ、一行を案内するかのように歩き出したという。「あの鳥
こそ文殊菩薩の化身の違いない」行者たちは2羽の鳥のあとを追
い、ついに頂上を極めたといいます。
普寛行者はその鳥を捕らえて下山。大切に飼ってみると、鳥は冬に
なると白くなり、春になると羽の色が変わります。
人々は珍しがっていましたが、ある日ついに死んでしまったという。
行者は哀れんで鳥の羽を身から離さなかったという。これこそ山の
人気者ライチョウだったということです。
▼木曽御嶽剣ヶ峰【データ】
・【所在地】
長野県木曽郡王滝村と長野県木曽郡木曽町(旧木曽郡三岳村)との
境。中央本線木曽福島駅の北西20キロ。JR中央本線木曽福島駅
からバス、田の原から歩いて4時間20分で木曽御嶽剣ヶ峰。一等
三角点(3063.4m)とすぐ西隣に写真測量による標高点(3067m
・標石はない)がある。御嶽神社の奥社がある。山頂北直下に一の
池がある。地形図に山名と三角点の標高、標高点の標高と神社(鳥
居)記号の記載あり。
【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定)第60番選定:日本二百名山、
日本三百名山にも含まれる。
・「花の百名山」(田中澄江選定)第71番選定
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定)第63番選定・長野県
【位置】
・標高点:北緯35度53分34.74秒、東経137度28分49.55秒
・三角点:北緯35度53分35.06秒、東経137度28分50.3秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「御嶽山(飯田)」
▼【参考】
『山の傳説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)1930年(昭
和5)
▼10:御嶽おわり
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