続・山の神々いらすと紀行
第6章 中央アルプス・御嶽の山々
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■05:空木岳・吾妻鏡の木曽殿越
【略文】
空木岳の北西に「木曽殿越」という鞍部がある。木曽殿というのは
木曽義仲のことだという。源平合戦の時、義仲はこの鞍部を越え、
伊那谷に侵入。平家方の笠原吾頼直は逃亡したという。治承4(11
80)年旧9月7日のことだという。
・長野県駒ヶ根市と長野県大桑村との境
■05:空木岳・吾妻鏡の木曽殿越
【本文】
中央アルプスの名峰空木岳(標高2864m・長野県)の北西に「木曽
殿越」という鞍部があります。この木曽殿というのは木曽義仲のこ
とだという。
義仲誕生の翌年、父の源為義が甥の源義平との戦いで戦死します。
義仲は孤児になってしまいましたが、乳母の夫である木曽の土豪中
原兼遠のもとにかくまわれました。
治承4年(1180・平安時代)5月、高倉宮以仁王(もちひとおう)
と源頼政が平氏打倒の挙兵に応じて、伊豆に流されていた源頼朝が
たちあがりました。
しかし神奈川県小田原市の石橋山の戦いに敗れ、主従は離散、安房
国に逃れます。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」(巻一、治承四年九月
七日の項)におおよそ次のような記事があります。
伊那谷に住む平家方の小笠原平五頼直(「信州山岳百科2」では笠
原平吾照直)と木曽方の村山七郎義直らが戦いました。形勢不利と
みた木曽側は陣に飛脚を走らせました。
状況を聞いた木曽の義仲が大軍を率いて馳せ参じたため、小笠原平
五はその勢いに恐れをなして逃亡した…とあります。
この時、義仲はいまのJR中央本線倉本駅あたりから山に入り、空
木岳の鞍部の「木曽殿越」から断崖のような大田切本谷をまっしぐ
らに下り、伊那谷に侵入したということです。
小笠原平五頼直の名については参考文献によって多少差違があり、
この物語自体も歴史書や百科辞典などには「そういう伝説があるが
史実はない」と素っ気なく書いてあります。
しかし、そこはそれ山と伝説のなかで遊ぶ我々にとっては興味つき
ないことなであります。
▼木曽殿越【データ】
【所在地】
・長野県駒ヶ根市と長野県木曽郡大桑村との境。JR中央本線倉本
駅から6時間で木曽殿越(きそどのごし2580m)。木曾殿山荘があ
る。
【位置】
・木曽殿越:北緯35度43分23.33秒、東経137度48分29.12秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「空木岳(飯田)」
▼【参考】
・『信州山岳百科・2』(信濃毎日新聞社編)1983年(昭和58)
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『吾妻鏡』巻一・治承四年九月七日:岩波文庫「吾妻鏡」(1)龍
粛訳注(岩波書店)1997年(平成9)
・『日本架空伝承人名事典』大隅和雄ほか(平凡社)1992年(平成4)
▼05:空木岳おわり
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