続・山の神々いらすと紀行
第5章 北アルプスの山々

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■18:雲ノ平祖母岳の昼寝

・【略文】
北アルプス最奥・文字通り雲の上にある台地の高層湿原。この別天
地でいつもの生活リズムで過ごすのはもったいない。俗界のせせこ
ましさを放り投げ、祖母岳のベンチで昼寝ときめこみました。さわ
やかな風が頬をなで、白い雲がゆったりと流れていきます。このあ
たりでは時計の針の動きが遅くなるらしい。
・富山市

■18:雲ノ平祖母岳の昼寝


【本文】

北アルプス最奥の雲ノ平は標高2500〜2700m、面積23万平方mもの

高層湿原。文字通り雲の上にあるような溶岩台地です。別名を奥ノ

平といい、展望が広がるお花畑の中の木道を歩けます。



その最高地点は火山の祖父岳(2821m)。山頂は草木一本なく、た

だ赤茶けた礫岩とケルンがあるだけです。このあたりは越中側(富

山県)の領域にもかかわらず、昔は猟や木材伐採に信州(長野県)

の人たちが入ることが多かったらしく、雲ノ平や祖父岳の名前は信

州側の呼び方だといいます。



どうしてそうなったかというと、それはどうやら明治時代、いまの

日本山岳会系の登山者たちが、信州側の猟師の案内で入山し、東京

に帰って、雑誌などに信州側の呼び方で雑誌などに発表、紹介した

のがそのまま広まってしまったのが原因らしいという。



雲ノ平の名が、加賀藩の記録にあるなかで古いのは、江戸前半の元

禄10年(1697)の調査録「黒部奥山と黒部廻り役」という文書だそ


うです。それには雲ノ平を「大中原」と書き、祖父岳周辺の国境の

山々のことが記されているそうです。



また、享和3年(1803)の「奥山御境目筋等略絵図」(中島正文収

集)でも「大中原」と記載されているという。さらにほかの文書も

祖父岳をカベキガ岳とか「中山」の名で記したものが多いという。

カベキガ岳とは雲ノ平の台地が、黒部川に壁のように切れ落ちてい

るからつけられた名とされ、河童伝説のあるいまの「カベッケが原」

はこのカベキガ岳の名の名残という説もあります。



また中山の名は、享和3年(1803)の「奥山御境目見通山成川成絵

図」などにもあり、黒岳山塊(水晶岳を中心とした山塊)と、薬師

岳山塊の中間にあるから「中山」だという。そのほか黒部平には、

なだらかな丘・祖母岳もあります。



そういえば黒部川源流の支谷・祖母岳、祖父岳の南側直下には祖父

谷(沢)・祖母谷(沢)の関連した地名もあります。明治43年(191

0)、小島烏水が黒岳(水晶岳)から雲ノ平に踏み込み、紀行文を残

してもいます。



そんなことはどうでも、この別天地でいつもの生活リズムで過ごす

のはもったいありません。俗界のせせこましさを放り投げ、祖母岳

のベンチで昼寝ときめこみました。真っ青な空を見ていると、さわ

やかな風が頬をなで、白い雲がゆったりと流れていきます。



こんなノンビリとした時間を過ごすのは何十年ぶりだろう。このあ

たりでは、時計の針の動きが遅くなるらしい。



▼祖母岳【データ】
【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)。JR大糸
線信濃大町からタクシー・高瀬ダムから歩いて延べ14時間30分で雲
ノ平祖母岳。(ばばだけ・2555m)地形図に山名、標高数字なし。

【位置】国土地理院「電子国土ポータルWebシステム」から検索
・緯度経度:北緯36度25分9.4秒、東経137度34分15.99秒)

【地図】
・2万5千分の1地形図「三俣蓮華岳(高山)」or「薬師岳(高山)」
(2図葉名と重なる)


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典16・富山県』坂井誠一ほか編(角川書店)1
979年(昭和54)
・『富山県山名録』橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成4)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成6)

 

▼18:雲ノ平祖母岳おわり
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