続・山の神々いらすと紀行
画と文・とよだ 時
第5章 北アルプスの山々
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■15:水晶岳の大銅鉱山
・【概略】
雲ノ平高天原にある坑道は、水晶岳に埋蔵されている?金の大鉱脈
を当てようと掘った跡だという。結局鉱脈に突き当たる前に中止に
なってしまいました。この穴を掘った「大同鉱山事務所」は、終戦
直後一時は大勢の人夫を雇い、大々的に事業を展開したということ
です。
・富山県富山市
■15:水晶岳の大銅鉱山
【本文】
北アルプス最奥の高層湿原・雲ノ平。さらにまた3時間の山奥に高
天原という所があって、温泉が流れる温泉沢があります。沢すじに
は露天風呂もあって、訪れる人は自由に入れます。
東側には水晶岳(2978m)があって、金の大鉱脈が埋蔵されている
という噂がありました。ここにはいまでも大鉱脈を掘り当てようと
した坑道があります。
かつては「大銅鉱山事務所」の建物があったという。これは星勇九
郎という人の持ち物だったという。
勇九郎は仙台で官吏をしていましたが、どこでどう思いついたのか、
金の鉱脈があるこの場所を掘り出します。
「埋蔵量は無尽蔵。水晶岳と三ツ岳(2845m)にトンネルを掘り、
長野県大町市まで金鉱運搬の鉄道を引く」と息まいていたという。
「あと25m掘れば鉱脈にぶつかる。もう一息だ」と発破をかけま
す。
この話にのったある資本家がスポンサーになり、大勢の人夫を雇い、
いくつもの坑道を掘削、大々的に事業を展開しました。しかし結局
金鉱は出ずじまい。何人もの資本家が食い物にされたといいます。
1949(昭和24)年ごろのおはなしです。
ある年の8月、誰もいない高天原水晶沢ほとりにつくられた露天風
呂に入りました。真っ青な空、ゆっくりと流れる雲。お金儲けに関
係ない身の上を有り難く感じたものでした。
ちなみに水晶岳の名は、ここから水晶がとれることに由来するとい
います。
「この辺は履(ふ)みくづす砂利の中から、石榴石と水晶が多量に
表れる、結晶は一般に小さく、形の明瞭なものは二十四面体が多く、
菱形十二面体のものはやや大きいけれど不完全である」と、明治42
年(1909)水晶岳に登った、明治中後期の日本山岳会のパイオニア
の一人、辻村伊助は『飛騨山脈の縦走』(第四日紀行)の中で書い
ています。
水晶は、六角結晶体をなすところから六方石(ろっぽうせき)の異
名もあります。昔はこの山を「六方石山」と言っていたらしく、富
山県立図書館に残る江戸時代の絵図はその名で記載されているとい
います。
水晶岳は、黒々とした色から黒岳の異名(長野県側の呼び名)もあ
ります。すぐ南に赤褐色の断崖をもつ赤岳、西北にみえる薬師岳の
灰白色の山肌との対比がおもしろい。
▼【データ】
【所在地】
・富山県富山市旧大山町各地区名(旧上新川郡大山町)。大糸線信
濃大町の南西24キロ。JR大糸線信濃大町駅からタクシー、高瀬
ダムから歩いて延べ11時間半で水晶岳南峰、さらに5分で北峰。
南峰には写真測量による標高点(2986m・標石はない)があり、
北峰には三等三角点(2977.7m)がある。南峰(標高点)の方が北
峰(三角点)より高い。南峰から北91mに北峰がある。地形図に山
名水晶岳(黒岳)の文字の記載あり。(or付近に何も記載なし)。
【位置】
・標高点:北緯36度25分34.84秒、東経137度36分9.93秒
・三角点:北緯36度25分37.57秒、東経137度36分8.9秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「薬師岳(高山)」
▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典16・富山県』(角川書店)1991年(平成3)
・『黒部の山賊・北アルプスの怪』伊藤正一(実業之日本社)1995
年(平成7)
・『富山県山名録』橋本廣ほか(桂書房)2001年(平成13)
・『日本歴史地名大系16・富山県の地名』(平凡社)1994年(平成
6)
・「飛騨山脈の縦走時探訪」辻村伊助(『日本山岳風土記・1』宝文
館 所収)
▼15:水晶岳おわり
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