『続・山の神々いらすと紀行』
第3章 関東の山々
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■20:箱根にもいた幻の山男
【略文】
神奈川県の箱根に山男というものがいたという。裸の上に木の
葉や樹皮をまとい、山奥に住み魚を捕るのを仕事にして市の立
つ日に来て、魚と米を交換していくという。無口でよけいな話を
しません。小田原の城主も人に害を加えることもないので絶対
に鉄砲などで撃ってはならないとしていたという。
■20:箱根にもいた幻の山男
【本文】
江戸時代後期の本『譚海』の「巻之九」に載っている話です。神
奈川県の箱根に山男というものがいたというのです。
本文によると、「相州箱根に山男と云もの有、裸体にして木葉樹
皮を衣とし、深山中に住て赤腹魚をとる事を業とす。市の有日を知
りて、里人へ持来りて米にかふるなり、人馴てあやしむ事なし。
交易の外多言する事なし、用事終ればさる、跡を認てうかがひし
人有けれども、絶壁の道もなき所を鳥の飛如くにさる故、つひに住
所を知たる事なしとぞ、小田原の城主よりも、人に害をなすものに
あらねば、かならず鉄炮などにてうつ事なかれと、制せられたる故
に、あへておどろかす事なしといへり」とあります。
つまりその山男は、裸の上に木の葉や樹皮をまとい、山奥に住み
魚を捕るのを仕事にしているという。市の立つ日お知っていて、魚
と米を交換して帰っていくという。無口でよけいな話もせず、どこ
に住んでいるのか分からないという。
小田原の城主もこれを知っていて、人に害を加えることもないの
で絶対に鉄砲などで撃ってはならないとしていたという。どこに住
んでいるのか確かめようと、あとを追ってみた人もいましたが、絶
壁のような道のないところを、鳥が飛ぶように走っていくので追い
つかなかったというのです。
話はただそれだけですが、ここにあるように、かつては山の中で
里人とは違う大男に出会ったという話がよくあったようです。『譚
海』とは江戸後期の随筆。津村正恭(淙庵)著。著者は和漢の学に通
じた江戸の歌人で,安永年間(1772〜1781)40歳ころから20年に
わたって見聞したことを記載したものだそうです。
ここに出てくる山人(やまびと)とか山男、?(やまこ)、大太
法師もような巨人や、小人、山童(やまわろ)などの記録は多く残
っており、確かに何かいたようです。あの柳田国男も「山の人生」
の中で山中に住む人たちに触れています。
古書の中の山男を見てみますと、江戸時代中期の百科事典『和漢
三才図会』(寺島良安)には、『本草綱目』など中国の本からの記事
を引いて、「山男」「山姥」、「山精・片足の山鬼」などを紹介してい
ます。
中国の山男は、山の精気が凝って生まれた妖怪で、その姿は後ろ
向きの足の甲を持った一本足の山丈(やまおとこ)として描かれて
います。それに対して日本の山男は、ふつうの人間のよう形で大男
が多いようです。
「秋田の早口沢と言ふは二七里の沢間也。……(中略)……。此
山中に折として童の鬼の如くなるを見ることあり。先(さき)つ年
或人の見る一人の大童は十人しても抱へ難き大石を背負ひ、うつ伏
してたに水(さんずいに閧フ字・たにみず)を飲み居たり。之を鬼
童と云ふ」のような、ざんばら髪で、童(わろ)と呼ばれ、大岩を
軽々と持ち上げる怪力の持ち主です。
また、江戸後期の『北越雪譜』(鈴木牧之)には、越後南魚沼郡
の池谷村や十日町に大男が現れて米の飯を欲しがり、やると荷物を
背負って送ってくれた話を載せています。また、柳田國男の「山人
外伝資料」(1913年・大正2)では、古書から山人の盛衰を五期に
分け、第一期を国津神時代・第二期は鬼時代・第三期は山神時代・
第四期は猿時代・第五期を山人史解明時代としています。そして「山
人とは我々の祖先に逐われて山地に入り込んだ前住民の末である」
としています。
山人とよく間違われるものに、?(やまこ)というものがいるそ
うです。これは猿のようで大きく黒い長い毛に覆われているという。
飛騨や美濃(岐阜県)の山奥にすんでいて、立って歩き、人の言葉
をよく話し、人の心を読むというから賢い。人には危害を与えない
という。
山童(やまわろ・やまわらわ)というのもいます。これは半人半
獣の動物といわれ、狒狒(ひひ)の類ともいい、裸で立って歩くと
いう。先の『和漢三才図会』では、俗に也末和呂(やまわろ)とい
うそうです。これは、西の方の深山にすんでおり、高さは約3mも
あるという。
いつも裸で歩き、沢のエビガニをとるという。人が焚き火をして
いるとエビガニをもってきて焼いて食うのだそうです。人がこれに
危害を与えると、寒気をもようさせたり、発熱させたり仕返しをす
るという。山童は、川太郎を河童というように、これは山の童なの
でそうです。
巨人、大入道なども登場します。『常陸風土記』にある巨人(ダ
イダラボッチ)などもこの仲間です。また東北・吾妻連峰にも大人
(おおひと)というものがいて、「その長(たけ)一丈五六尺、木
の葉を綴りて身を蔽(おお)う」(「今斉諧四」から)。それによる
と住民は大人を神のように畏敬し酒や食事を備えるように置いてお
いた。大人はそれを食べずに包んで持ち帰るという。こんな話が全
国の山々、またいろいろな見聞録、目撃談が堪えません。
★【栃木県庚申山】:埼玉県のいまの北川辺町麦倉に住んでいた
医師・鈴木弘覚が薬草採りに入山して数日、谷川の岩陰で不思議な
親子連れが水浴びをしているのを目撃しました。長い髪を垂らし、
腰には木の葉のようなものをまとっているだけの裸です。息を呑ん
で見入っているうち、やがて3人は連れだって木立の中に消えてい
ったという。
同行の土地の老案内人は、「30年前木こりの先輩と彼らを見たが
その時は子どもはいなかった」と話したという。どうやらその後、
怪人たちの間に子供が産まれていたらしい。鈴木弘覚は江戸後期の
人。庚申山弘覚坊とも呼ばれた篤志家で医療のかたわら、師弟に学
問を教え、農林振興にも寄与、大いに慕われ敬われたという。明治27
年、72歳で没すると里人はその徳を讃え、功徳碑を建てたそうで
す。
★【山梨県茅ヶ岳】:ここにも仙人とも天狗ともつかぬ怪人の話
が伝わっています。怪人は茅ヶ岳孫右衛門と金ヶ岳新左衛門といい
『本朝神仙記伝』(平安後期・大江匡房選録)などに詳しい。孫右
衛門は茅ヶ岳西麓の江草地区に住んでいましたが、ある日、山中で
仙人の碁を見ているうち、家に帰ったらすでに三代もの時が流れて
いて知る人が誰もいなくなっていました。そこで世を捨てて山に入
ったという。
それから約200年たった正徳年間、村人が山中で真っ白な頭髪と
頬ひげを胸までたらし、草の葉や木の皮でつづった着物を着ている
孫右衛門を目撃した話が古書にあります。一方、新左衛門は、いつ
のころからかこの山に棲み、すでに数百年。空を飛び、雨風、雷雨
など自由にあやつる神通力の持ち主。
怒る時は鬼の形に変わり、それを見た人は死ぬこともあるといい
ます。このふたりが仲が悪いというから面白い。『孫右衛門などは、
まだまだ自在変化の術など使えない、未熟者だ』といいたい放題と
いうから笑わせます。
★【奥秩父金峰山】:江戸後期の紀行本『遠山奇談』に、「金峰山
には山夫(やまおとこ)がいて、人間の3倍もの大きさで、乱れ髪
が腰までのびている。若いのは髪の毛が赤黒く、白けて艶がないの
は歳のとったものらしい。ある時他国から盗賊たちがここに来て隠
れすんでいたが、山夫につかまり連れて行かれた。
残った3人が麓に逃げてきて取り押さえられた。役人に引き渡さ
れそのまま江戸へ送られたという。だから「必此山へは行べからず
と、おしとゞめける故、やめけり」とあります。かつては奥深い山
中にはたしかに何かいたようですね。
▼【参考文献】
・『お化け図絵』粕(はく)三平編(芳賀書店)1974年(昭和49)
・「山人外伝資料」柳田國男(1913年):ちくま文庫『柳田國男全
集4』(筑摩書房)1989年(昭和64・平成1)
・『図聚天狗列伝・東日本編』知切光歳(三樹書房)1977年(昭和52)
・『仙人の研究』知切光歳(大陸書房)1989年(平成元)
・『譚海』員正恭 著(国書刊行会)1917年(大正6)国会図書館電
子デジタル
・『天狗の研究』知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)
・『遠山奇談』日本庶民生活史料集成『遠山奇談』(山一書房)(1972
年)
・『日本庶民生活史料集成・第8巻』見聞記(三一書房)
・『日本大百科全書23』(小学館)1989年(平成1)
・『日本未確認生物事典』笹間良彦著(柏美術出版)1994年(平成
6)
・『南方民俗学』(南方熊楠コレクション・2)中沢新一(河出書房)
1991年(平成3)
・『柳田国男全集・4』柳田國男(筑摩書房)1989年(昭和64・平
成1)
・『和漢三才図会』大阪の医師・寺島良安著(江戸中期初頭・1712
(正徳2)年の図入り百科事典):東洋文庫466『和漢三才図会・
6』(巻第四十寓類恠類の項)島田勇雄ほか訳注(平凡社)1989年
(昭和64・平成1)
▼20:箱根おわり
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