第9章 中央アルプス・木曽御嶽山
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▼中 扉 【中央アルプス・木曽御嶽山】 このページの目次 -201- |
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■木曽駒ヶ岳の馬と祠 風化がはげしく「三十六峰八千谷」の異名もある木曽駒ヶ岳(2
−202− ―――――――――――――――――――――――― 1338年(
暦応元・南北朝時代)に木曽側から8社の大神を山
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■木曽駒ヶ岳・聖職の碑 中央アルプスの駒ヶ岳は、南アルプスの駒ヶ岳や各地の駒ヶ岳と
−204− ―――――――――――――――――――――――― 1913(大正2)年8月、一行37人は、麓を元気に出発しま −205− |
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■木曽駒ヶ岳・濃ヶ池の伝説
木曽駒ヶ岳の北東、馬の背尾根の伊那側はカールになっており、
そこからにじみ出る水は濃ヶ池をつくっています。木曽駒ヶ岳は昔
ながらの信仰の山。山頂の駒ヶ岳神社は別として、江戸時代後期の
文化年間あたりから天台宗の行者たちが修行入峰(にゅうぶ)の道
を開いたところで池辺には濃ヶ池天台大神の石碑と祠がまつられて
います。
濃ヶ池は雨乞いの池としても著名で、江戸時代、伊那小出村の村
人が、権現づるねからのぼり、雨乞いの儀式を行ったという。
ま1756(宝暦六年)、木曽駒山頂付近の調査の命を受けた高
遠藩の郡代官坂本秀臣は、大勢の人足を伴って八月、宮田村から北
御所谷、前岳経由で登頂し詳細に見聞した。
それをまとめた「駒ヶ岳見聞復命書」のなかで「濃ヶ池の水は毒
水というが、飲んでみたが何でもなかった。また大声を出したが何
の変化も起きなかった」などと報告しています。当時は濃ヶ池は毒
水で、大声を上げると山が荒れると噂されていたらしいことがわか
ります。しかし実際に私もこの水を飲んでみましたがいまだに生き
ているところからどうやら噂だけだったようです。
また濃ヶ池にはこんな伝説もあります。濃ヶ池には蛇身のヌシが
すんでいたという。ヌシは北西麓の大原(いまの木曽福島町)の里
を見下ろしているうち、そこに住む娘に恋をしてしまいました。そ
の娘が婿を迎えることになり式を挙げましたが、翌朝なぜか婿が逃
げ帰ってしまいました。また婿を迎えても翌朝になると逃げてしま
います。−206−
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何回式を挙げても同じでした。そのうちあの娘は夜中になると髪
が逆立ち、恐ろしい顔になるといううわさがたちました。娘はそれ
を聞き、柳の枝を杖にして何かに惹かれるように濃ヶ池めざして山
に登りはじめました。
やっと濃ヶ池に着き、月の明かりで池に写った娘はびっくりしま
した。自分の顔が蛇のように恐ろしい顔になっているではありませ
んか。嘆き悲しんだ娘は柳の枝を地面にさすと、池に身を投げてし
まいました。
夜中に娘の顔が変わり、婿たちを追い出したのはみな蛇身の仕業
で「わしがおまえを池に呼び寄せたのだ」池のヌシはいいました。
いまもこの池の底からは娘の機を織る音がし、池の畔に生えてい
る柳は娘がさした杖が地面について育ったものだと伝えています。
・長野県宮田村と木曽福島町との境 JR飯田線駒ヶ根駅からバ
ス、しらび平ロープウエイ、千畳敷駅から歩いて1時間30分で濃
ヶ池 2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳」
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第9章
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■麦草岳山頂の祠
中央アルプス木曾駒ヶ岳から長野県木曽福島側へ下り、玉ノ窪小
屋下で水場方面へ行かず、西側へ行くと、スリルのある岩場を越え
て麦草岳(2733m)へ出ます。
麦草岳の山頂は、ハイマツの広い尾根で、麓の長野県上松町の人
たちがハイマツを麦草に見立てたといわれています。木曽福島では
山頂直下にある駒石から駒石岳と呼ぶそうです。5月ごろこの山の
斜面に残雪でできる大蛇の雪形があらわれ、上松町の風物詩になっ
ています。
木曽前岳から山姥の奇岩を通り、麦草岳に行ってみたのは7年前
でした。お花畑をわずかな踏み跡が続きます。山頂は訪れる人もあ
りません。麦草からの下る途中、直下でいつ道に迷ったものか木曽
福島へ降りるつもりが、いつか上松町についてしまいました。
この麦草岳山頂にも、赤い屋根の祠があって、北西側を向いてい
ます。
祠は上松町のもので、駒ヶ岳神社の末社という。祭神は天之御中
主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびの
かみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)など、宇宙創造の「造化
三神」ともいわれるソウソウたるメンバーです。里宮は、上松町大
字小川にある駒ヶ岳神社。祭神は自分の死体から五穀を生やしたと
いう保食神(うけもちのかみ)。
駒ヶ岳神社は、その祭神から衣食住や農業、蚕、牛馬の守護心と
して、特に馬や養蚕農家の信仰があつかったという。
この里宮は、いまでも太々神楽の神事が行われ、国の無形文化財
にも指定されています。−208−
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一方、木曽福島町大原にも駒ヶ岳神社があり、1929(昭和4)
年、木曽福島山岳会(宗教的性格の強い会だったか?)の規約で、
翌1930(昭和5)年、木曽駒ヶ岳山頂福島口と駒石岳(麦草岳)
に、神々を移す遷座式を行っています。
その記録によると、駒石岳には駒石神社を奉祀し、その祭神に同
町の「水無神社」の高照姫命(たかてるひめのみこと)と事代主命
(ことしろぬしのみこと・エビス神ともいう)などをまつったとあ
ります。
当時はこれらの神を木曽福島山岳会で、祭りをしたといいますが、
いまではすたれてしまったということです。
・長野県木曽福島町と上松町との境 JR中央本線上松駅から6時
間で麦草岳 2万5千分の1地形図「木曽駒ヶ岳」
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第9章
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■宝剣岳山頂の祠 宝剣岳(2931m)は中央アルプス駒ヶ岳周辺の主峰で、木曽 −210− ―――――――――――――――――――――――― そんなことから、宝剣岳と手力雄尊の関係ははじめ木曽側で成立
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■南駒ヶ岳の祠 南駒ヶ岳(2841m)は中央アルプスのほぼ中央にあり、北に
−212− ―――――――――――――――――――――――― 祠は伊那側を向いており、明らかに飯島町の人たちによって建て −213− |
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■木曽御嶽山の祠 木曽御嶽山(3067m)は各所に霊神碑(れいじんひ)がなら
−214− ―――――――――――――――――――――――― 御嶽山には、登山口ごとにそれぞれ奥宮があり、最高峰の剣ヶ峰 −215− |
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■木曽御嶽山の天狗たち 1979(昭和54)年に突然爆発し、いまだに噴煙が止まらな −216− ―――――――――――――――――――――――― 御嶽行者の経文の中にも「恐れ乍ら之の座に勧請し奉るは…大己
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■中央アルプス・木曽御嶽山 参考文献・ご協力
「飯島町誌」(下巻)長野県飯島町
「駒ヶ岳研究」(第一輯)長野県上伊那教育委員会編
「宝暦六年駒ヶ岳一覧記」蕗原拾葉(「日本山岳風土記2」宝文館
所収)
「徳原讃岐支配釦」明治2年5月
「上松町の神社と仏閣」(町誌別編)長野県上松町教育委員会
「信濃奇勝録 巻四・駒ヶ岳」(「駒ヶ岳研究」第一輯)上伊那教育
会編
「駒ヶ岳由来記」木曽上松町駒ヶ岳社務所
「木曽御岳の霊神碑」児玉充(「山岳宗教史研究叢書9」名著出版
所収)
「信州山岳百科3」信濃毎日新聞社
▼ご協力
長野県上松町教育委員会
長野県飯島町教育委員会
長野県伊那市教育委員会社会教育科
長野県木曽福島町教育委員会文化財ご担当
長野県宮田村教育委員会−218−
(第9章 終わり)
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