第5章 高尾・道志・丹沢の山々
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▼中 扉 【高尾・道志・丹沢】 このページの目次 -101- |
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■東京・高尾山の天狗は烏天狗 東京都民に親しまれている高尾山(599m)。休日にでもなると
−102− ―――――――――――――――――――――――― その後600年たった、永和年間(1375〜79)京都醍醐寺
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■山梨県都留市・秋山二十六夜山の月待行事碑 かつて特定の月齢の夜、夕方から村人が集まり飲食をしながら月 −104− ―――――――――――――――――――――――― 二十六夜塔は、山頂へ3分ほど手前の広場にあり、東側が開けて
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■道志・御正体山の妙心上人
たいていの山では山の上に祠を建てて、山の神などを祭っていま
すが、中には山そのものが「御正体」として信仰の対象になってい
るものがあります。
道志山地の最高峰、山梨県都留市の御正体山もそのひとつ。この
山はゴゼンノ丸とも呼ばれ、山頂には御正体権現を祭ってあり修験
の山・山伏の道場でした。
当時は山中に寺院も建ててあって、明治の廃仏毀釈の時代までは
信仰登山でにぎわいましたが、いまではすっかりすたれ山頂近くに
峰宮跡が残っているだけです。
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ここはかつては「ご聖人」と呼ばれる僧たちが修行した所で、三
代目のご聖人・妙心上人は、ソバ粉などを水でといたものを主食に
し、木食に似た修行の末、ついに即身成仏(「日本の民俗山梨」)し
ました。都留市東桂地区には上人の写真も載っています。
そのミイラ(これも御正体といっている)は妙心上人の故郷・岐
阜県神原に安置されており、江戸期には、御正体山にまだ上人がこ
もった小屋が残っていたといいます。
都留市側、北麓の登山口、細野集落では、秋に麦まきが終わって
も、長雨で発芽しないときには、村人が参道の草を山頂まで刈って
いき頂上の権現さまにはお神酒を供える「お苅分け」の行事があっ
たといいます。そして天気の回復を祈願し下山。村に帰るころには
晴れるとの言い伝えがあります。
また南西麓の忍野村内野にある天狗社は、「古くは宇天神木に祭
祀されていたが、寛文年中(1661〜1673年)に現在地に移
転しました。その後、美(御)正体権現を勧請併祀し、御正体山下
の宮と称した」と社伝にあります。
明治初年の身仏分離令で、国譲りの神話で建御名方神(たけみな
かたがみ)と力くらべをしたという建御雷之男神(たけみかづちの
おのかみ)を祭神と定めましたが、戦後、次第に従来の天狗信仰が
よみがってきているといい、正面入口に新しい大天花面が、その両
わきには年代物の二つの天狗面が飾られています。
・山梨県都留市 富士急行都留市駅からバス、細野から3時間20
分で御正体山(1682m) 2万5千分の1地形図「御正体山」−107−
第5章
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■丹沢・塔ノ岳の尊仏岩
丹沢の銀座・塔ノ岳。山の名前が塔ノ岳でそこある小屋の名前が
尊仏山荘。これは昔、山頂の北側にあった「お塔」とか「尊仏岩」
と呼ばれた大岩にちなんだものだという。
尊仏とは拘留孫仏(くるそんぶつ)のこと。尊仏岩は高さ15、
6mもあり、修行僧が座禅する姿、または仏像の形にも似ていたい
う。しかし、1923年の関東大震災の翌年の1月15日、再び起
こった地震にもろくも、コナゴナになって北西側の大金沢にくずれ
落ちたという。いまは岩の根元だけが残って、その上に苔むした首
のない2体の石仏と「尊佛」と彫られた石碑が残っているだけです。
拘留孫仏は過去七仏のひとつ。悟りを得て仏陀になったのはお釈
迦さまを含め、過去に7人いたとする説で、拘留孫はその第4の仏
陀なのだといいます。仏教では過去、現在、未来の3つの住劫(じ
ゅうこう)に、それぞれ一千仏の出世ありとしているそうですが、
拘留孫仏は現在の住劫(賢劫)に出現する一千仏の第一仏だという。
ちなみにお釈迦さまは第四仏だとものの本に書いてありました。
尊仏岩は、五穀豊饒の神でもあった。5月15日のお祭りには、
近郊の農民が作物の種やもみをもって登り、尊仏岩に供え、お互い
に交換し合ったという。また塔の下の土を掘りだし、自分の田畑に
まいて豊作を祈願しました。岩に生えたコケは薬にもしたといいま
す。
また、祭りには賭博も行われ、昭和20年代まで近隣の村人がそ
れぞれの登山道から参集。警察も大目に見たのか登山口で引き
返したと聞きます。−108−
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この岩には雷神が住むともいわれ、ひでりの年には雨乞いとして
岩の穴に棒を差し込み突っついたという。中に住んでいる雷神を怒
らせ、雨を降らせようというあんばいです。
何年か前の春、尊仏山荘で「山のイラストはがき通信」の個展を
開かせてもらったことがありました。訪れた尊仏岩には、かれんな
コイワザクラがびっしりと咲き誇っていました。
・神奈川県秦野市と山北町、清川村との境 小田急線渋沢駅からバ
ス、大倉から歩いて3時間30分で塔ノ岳(1491m) 2万5千
分の1地形図「大山」
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第5章
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■丹沢大山の天狗伯耆坊 石尊大権現の山として有名な丹沢・相模大山は信仰の山。近県は
−110− ―――――――――――――――――――――――― 二世光増和尚の時代になり、不動明王の像を刻み本堂の本尊とし −111− |
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■丹沢・不動の峰の不動さま 丹沢山から蛭ヶ岳へ向かう途中、ササ原の中を歩き休憩所を過ぎ
−112− ―――――――――――――――――――――――― 早戸川の源流大滝沢には、早戸大滝があって峰入りをする山伏た −113− |
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■丹沢・檜洞丸の祠 西丹沢にどっしりと落ちついた山容を誇る檜洞丸(1601m)。 −114− ―――――――――――――――――――――――― そういえば、丹沢大山の阿夫利神社の主祭神は大山祗神になって
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■丹沢・蛭ヶ岳の祠 丹沢山塊最高峰の蛭ヶ岳(1673m)。ヒルという名前につい −116− ―――――――――――――――――――――――― 現在、山小屋の前にあるの祠は、木曽の御嶽山から御嶽大神の分
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■西丹沢・菰釣山のむしろばた
菰釣山(1379m)は西丹沢の奥まった場所にあり、訪れる人
も少なく比較的静かな山。神奈川・山梨県境で東海道自然歩道が通
っているせいか、避難小屋や登山道も整備されています。
ブナの大木が多く、以前はこの木につく大きなサルノコシカケが
みごとでしたが、これがガンに効くとか健康によいといわれ、大山
の土産物屋でも売っているほど。誰かに採取されたのか最近はすっ
かり見かけなくなってしまいました。
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避難小屋から山頂に登ってくると、一歩一歩進むごとにブナ林の
なかに富士山が頭をもたげます。ここからの富士山も見事です。三
角点は山頂の南に降ったヤブの中にあります。菰釣山は相州(神奈
川県)側の呼称で、甲州(山梨県側)ではブナの丸とか大丸尾と呼
ぶという。江戸時代の甲斐国四郡の地誌「甲斐国志」には入会山の
名で出ています。
この山にも伝説があります。戦国期、武田信玄が小田原城を攻め
た時、進軍の信号旗やのろしのかわりにこの山に菰を吊るし、むし
ろばたで味方の軍に合図したという。山の名はそれに由来するとい
う。
また山村では山は木材伐採や炭焼き仕事など生活に密着した入会
の場。西丹沢に連なる峰々の相州・甲州の国境尾根の所有権争いは
1000年にも及びました。天保12(1841)年の国境争いで
は、甲州平野村の名主・長田勝之進が幕府に告訴して、その期間菰
を吊るして山頂にこもって生活したという。
裁判の結果は平野側が敗訴、その時現在の県境が決定しました。
この山は四季を通じ、雲や霧に覆われがちなことから雲吊山がなま
ったとする説もあります。
昔のガイドでは、山頂から三角点を通り、織戸峠(おりどとうげ)
へ出る道がありました。それを一歩進めて岳友の鈴木盛彦氏と椿丸
から尾根沿いに丹沢湖に近い浅瀬橋へ抜けるルートを歩きました。
驚いたことに椿丸が丸坊主になっていました。造成を進めている法
行沢林道がすぐ下まできています。林道造りが問題になっている丹
沢で、せめてもの救いだった西丹沢の原生林にも開発の波は押し寄
せています。
・神奈川県山北町と山梨県道志村との境 小田急新松田駅からバ
ス、西丹沢から畦ヶ丸経由で6時間20分で菰釣山(1379m)
2万5千分の1地形図「御正体山」−119−
第5章
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■高尾・道志・丹沢の山 参考文献・ご協力
・「道志七里」伊藤堅吉(山梨県道志村役場)
・「尊仏」1号(さがみの会)
・「尊仏」2号(さがみの会)
・「塔ノ岳の今昔」山岸猛男(「ときわ木」所収)昭和55年7月1日
・「丹沢夜話」ハンス・シュトルテ(有隣堂)平成2年12月25日
・「丹沢の五月十五日」山岸猛男
・「丹沢の絵本」池原昭治
・「高尾山の山岳信仰」山本秀順(「山岳宗教史研究叢書・8」所収)名著出版
・「かながわの山」植木知司(神奈川合同出版)昭和56年4月
・「大山信仰と講社」沼野嘉彦(「山岳宗教史研究叢書・8」所収)名著出版
・「丹沢・桂秋山域の山の神々」佐藤芝明(中央公論事業出版)
・「新編相模風土記稿・1」(大日本地誌大系)雄山閣
▼ご協力
丹沢塔ノ岳・尊仏山荘
さがみの会・栗原祥氏−120−
(第5章 終わり)
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