第4章 秩父・奥多摩・房総の山々
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▼中 扉 【秩父・奥多摩・房総】 このページの目次 -81- |
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■秩父御岳山の祠と普寛行者 埼玉県秩父地方にある秩父御岳山(1080m)は、標高は低いが
−82− ―――――――――――――――――――――――― 霊薬といえば、いまは亡き私の祖母も御嶽教の信奉者で、よく御
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■奥武蔵・妻坂峠の一里観音 埼玉県の西部、武蔵野の西方(武蔵野の奥)をさす言葉だという −84− ―――――――――――――――――――――――― ここは今中高年のハイキングに絶好の場所。ポツンと立っている
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■奥武蔵・伊豆ヶ岳・子ノ権現の伝説
スリルのある鎖場があり、にぎやかな声が聞こえる奥武蔵の伊豆
ヶ岳(851m)。ここは、子の権現の奥の院になっており、かつて
は本堂・霊堂・庫裏・宝蔵などがならんで建っていたという。また
山頂の岩上には「知恵、学徳、福徳」に霊験ある虚空蔵菩薩や大日
如来、山の神である大山祇(おおやまずみ)の三体がまつられてた
そうです。村人はその神仏のなかでもいちばん有名で信仰が篤かっ
た仏の名をとり、伊豆ヶ岳を「虚空蔵岳」とも呼んでいました。
伊豆ヶ岳という名は昔、山頂に大きなユズの木があり、ユズヶ岳
といっていたのがユがイに変わったという説、西側山麓の湯ノ沢地
区を流れる沢の小さな池はかつて温泉が湧いたというので湯津(ゆ
づ)ヶ岳説、山の形「突峰」の意味でアイヌ語の「イズ」説。また
晴れた日には遠く静岡県の伊豆の山々が見えるから(実際には丹沢
の檜洞丸付近がじゃまになって見えないという)などさまざまな由
来説があります。
伊豆ヶ岳を奥の院にしている「子(ね)の権現」。平安時代のは
じめ、紀伊の国の阿字長者の阿字女という処女が、神から剣を口の
中に突き通された夢を見て懐妊し、子(ね)の年(天長九年)、子
(ね)の月の子(ね)の日、子(ね)の刻に出産。これが子(ね)
の聖(ひじり)でのちに、ここ子(ね)の山に子(ね)の権現を開
山したと、寺の縁起は「子づくし」を伝えています。
それによると、子の聖は、長ずるにあたり各地を遊行していまし
たが、自らの終焉の聖地を求め、東北羽黒山から「般若経」を投げ
たところ、奥武蔵の「子の山」に落ちました。聖は、お経の放つ「聖
光」をもとめてこの地を訪れ十一面観音をまつり、堂宇を創建しよ
うとしました。−86−
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あわてたのはここに巣をくう悪魔ども、聖(ひじり)を殺そうと
山に火をつけました。さいわい神威で聖は助かったものの、下半身
に大やけどを負ったが霊力により治癒したという。「我登山のおり、
魔火のため腰と足を痛めることあり。故に腰より下を痛めるもの、
一心に祈らばその験を得さしめん」と誓いをたて、いまでも子ノ権
現は足腰の守り神になっています。
・埼玉県飯能市と横瀬町との境 西武秩父線正丸駅から1時間30
分伊豆ヶ岳、2時間20分子の権現 2万5千分の1地形図「正丸
峠」
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第4章
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■奥多摩・石尾根七ツ石山の伝説
東京でいちばん標高の高い雲取山。そこから東南にのびる石尾
根上に、ご存じ「七ツ石山」があります。七ツ石山というだけあっ
て、たしかに大きな岩が、大ざっぱに数えて七つ立っています。
この岩が、将門七部将の化身だという。承平・天慶の乱で、藤原
秀郷(ふじわらのひでさと)らの連合軍に追われた平将門は、ここ
七ツ石山に陣取ります。そして、ひそかに6人の影武者をわら人形
でつくり、そのまん中に立ち、「さあ、どこからでも射てみよ!」。
追手の秀郷が矢を射ようにも、同じような将門がズラーッとなら
んでいます。どれが本物か分かりません。その時、「口から白いも
のがたなびくのが本物なり」という成田不動(千葉県成田市)のお
告げがあったという。
秀郷のはなった矢は、誤たず本物の将門に命中。とたんに7人の
武者は石になったという。山頂直下にある七ツ石神社は将門を祭り、
かつては勝負師の神として、各地から親分衆がおまいりに参集した
ということです。
石尾根をもう少し下った鷹ノ巣山東方に城山があり、となりには
将門の馬場があります。六ツ石山を越え、さらに東の三ノ木戸山は、
将門が築いた城(城地区)の三ノ木戸のあったところ(三ノ木戸地
区)だともいいます。
山梨県側の丹波山村、小菅村には将門が京都から敗退した将門と
その一族が落ちのびてきた時の説話によって交錯しています(「奥
多摩風土記」大館勇吉著 武蔵野郷土史研究会)。
石尾根に限らず、奥多摩には将門にちなんだ地名が多く散在しま
す。将門神社も棚沢、峰畑、城地区にあり、とくに棚沢には「将門」
という地名まであります。−88−
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また将門が秀郷・貞盛の追討軍に討たれたとき、その子で2歳だ
った良門が生母と共に秩父の山中に隠れ、成人後奥多摩に移住し、
繁栄してから亡父を棚沢神社に祭ったという伝説もあります。その
ために、明治末ごろまで、棚沢神社の祭りには利益に預かろうと秩
父側からも参詣者があったといいます。
また日の出町岩井の勝峰山は、藤原秀郷との古戦場とも伝え、将
門の名のついた坂や沢もあります。
・東京都奥多摩町 JR青梅線奥多摩町からバス雲取山登山口、さ
らに歩いて3時間15分七ツ石(1757m) 2万5千分の1地形
図「丹波」
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第4章
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■奥多摩・大岳山の神社 奥多摩の大岳山(1266m)は神官の冠の形に似た山容でよく目 −90− ―――――――――――――――――――――――― 大岳山の南麓檜原は修験道の道場としての神社が多く、ほとんど
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■奥多摩・御岳山奥ノ院の天狗祠 奥多摩の御岳山(929m)は、役ノ行者が奈良県吉野の金峰山
−92− ―――――――――――――――――――――――― しかし、昔の面影は宝仏殿にある蔵王権現の掲額や、奥ノ院峰の −93− |
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■奥多摩・三頭山の三頭御前祠 三つのピークがある三頭山(1531m)。いまはそれぞれの峰の −94− ―――――――――――――――――――――――― なお、三頭御前社と数馬地区との間に前御前という山の神の社が
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■房総・高宕山と源頼朝伝説 低山ながら360度の展望がきく房総の高宕山(たかごやま・3
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■房総・伊予ヶ岳、富山の伝説
房総半島の南部に位置する伊予ヶ岳(いよがたけ・337m)と富
山(とみさん・350m)。両方とも360度の展望で、御殿山から
鋸山など房総の山々、眺望のきく日には東京湾をはさんで富士山、
伊豆大島まで一望できます。
富山は形のよい双耳峰で、観音峰と呼ぶ南峰と、鞍部を隔てた広
場に展望台のある北峰があります。富山とは房州開拓の祖・天富命
(あめのとみのみこと)にちなんだ山だといいます。
南峰にはもと731(天平3)年、行基(ぎょうぎ)菩薩創建の
観音堂があったので観音峰の名がありますが、いまは仮堂がポツン
と建っています。山門で壊れかかった仁王様が迎えてくれます。北
峰は金比羅堂があるので金比羅峰とも呼ばれます。
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「十一州一覧台」と呼ばれる広場に立つ展望台で弁当を広げ、ザ
ックにしのばせた缶ビールを飲みます。さわやかな風が頬をなでま
す。眼下の東京湾に浮かぶ船、海岸にそって走る電車を見ながら、
しばしまどろんでしまいます。
この山は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の「富山(とやま)の洞
(ほら)に畜生菩提心を発(おこす)流行(ながれ)に泝(さかの
ぼり)て神童未来果を説く」の舞台としても有名で、鞍部を西側に
下った所に「伏姫の籠穴」があります。入口には観光名所として看
板が立ち、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字をつかって
の説明文もあります。洞窟の中には、祠や石塔があって異様な雰囲
気が漂っています。
ところが作者の馬琴は、ここに来たことがないというから面白い。
実は現地取材なしの創作洞窟が、後世になりそれこそ偶然に発見さ
れたものというのです。
伊予ヶ岳は千葉県内ではめずらしく岩峰の山で、上州の妙義山に
ちなんで「安房妙義(あわみょうぎ)」の異名を持ちます。伊予ヶ
岳と伊予(愛媛県)の大岳(石鎚山・いしづちさん)は関係がある
という人もいます。
昔から安房地方は四国や南紀地方との関わりが深く同じ地名も多
い。伊予ヶ岳には、千倉の小松寺で稚児が天狗にさらわれ、ここで
発見されたという伝説があって、石鎚山も修験道の山で天狗伝説も
共通する所です。
・千葉県富山町 JR内房線岩井駅からバス、芝入口バス停から歩
いて2時間で富山(350m)、天神郷バス停から歩いて1時間で伊
予ヶ岳(337m) 2万5千分の1地形図「保田」「金束」−99−
第4章
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■秩父・奥武蔵・奥多摩・房総の山 参考文献
・「奥多摩風土記」大館勇吉著 武蔵野郷土史研究会
・「子ノ権現 天龍寺」パンフ 埼玉県飯能市子ノ権現天龍寺
・「吉野拾遺」(上):(「群書類従」第27輯 巻485 雑部所収)
・「ものがたり奥武蔵」神山弘ほか(金曜堂出版部)
・「奥秩父の伝説と史話」太田巌(さきたま書房)
・「近世における武州御嶽御師の生活」木代修一(「山岳宗教史研究叢書8」名著出版 所収)
・「新編武蔵風土記稿」第一巻(大日本地誌大系)雄山閣
・「武蔵御獄山神社」パンフ(御獄山神社社務所)
・「南総里見八犬伝・第二輯巻の一、第十二回」曲亭馬琴(小池藤五郎校訂)岩波書店
▼【協力】
山梨県丹波山村教育委員会
東京都西多摩郡檜原村文化財専門委員−100−
(第4章 終わり)
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