■第9章 壮年・実年

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▼中 扉

【壮年・実年】 この章の目次
 ・厄年(厄よけ)
 ・定年
 ・敬老の日
 ・年祝い(赤いちゃんちゃんこ)

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・ 厄 年

 

 厄年(やくどし)は病気や災難がおこる年だとして、「忌(い)

みつつしむ必要がある」年齢だそうです。これは平安時代、陰陽(お

んみょう)家がいい出したものが、公家の間で流行していたという。

庶民はいつも身分の高い者の真似をしたがるもの。厄年を忌みつつ

しむこの風習がいつか一般に広まっていきました。



 いくつが厄年かについては時代によって変わるらしく、室町時代

の「拾芥抄」には13・25・37・49・61・85・99歳を

厄年としています。この時代は男性、女性とも同じだったという。



 厄年は、男性は25歳、42歳および、末尾に2・5・8のつく

年はみんな厄年だという。また女性では19歳、33歳および末尾

に3・7・9のつく年はみんな厄年だといいますから、毎年家族の

誰かは厄年になってしまいます。



 この数ある厄年のなかでも男の42歳、女の33歳は「本厄」だ

という。その根拠はナント、死に(四二)、さんざん(三三)の語

呂合わせからきたものといいからまいっちゃいます。



 日本の農村には一生に幾度かの節目となる年祝いがあります。そ

の節目を機会として「役年」として村の氏神祭りなどの神役をにな

う時、特別の物忌みが必要なこともあって厄年の概念ができあがっ

たのではないかということです。

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・厄よけ

 

 厄年には厄除けのお祓いをする人が多い。男性は25・42・6

0歳、女性は19・33・37歳が厄年だとされ、とくに男性42

歳、女性33歳は本厄で災難が多い年だとし、神社や厄除け大師

厄除け観音、厄除け不動などにお参りする人もいます。



 かつてはいろいろなおまじないをしたようです。たとえば節分の

夜自分の年の数だけ豆を捨てて年齢を分からなくしようとしたり、

年の初めに親類や近所の人を集めて年祝いをし、氏神にお参りして

帰り道で、櫛やお金を紙に包み後ろ向きに投げたりします。からだ

についていた災厄がそれらといっしょに落としてしまおうという呪

術です。

 また、お守りをもらったり、茅(ち)の輪をくぐったり、赤い者

を着たりします。女性はうろこ模様の衣類を身につけるものだとい

う。うろこから蛇や蝶を連想し脱皮、再生を意味するのだそうです。

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・定 年

 

 サラリーマンには定年があります。企業は定年という制度で年を

とった職員を退職させ、まだ若い人と交代させることで人事のロー

テーションを円滑にすることと、仕事の能率向上をねらうのだそう

です。



 この定年という制度は明治30(1897)年ごろからすでにあ

ったといわれます。大正も半ばにはもう大勢が55年定年制になっ

ていたらしい。しかし、戦前まではこの適用をうけたのは一部の大

企業に働く人たち。一般の労働者に適用されるようになったのは、

ズーッと下がって昭和30(1955)年代以降になってからだと

いう。



 しかし日本人の寿命が延びるに従い、50、60はな垂れ小僧、

手足ぴんぴん元気です。しかも厚生年金の支給開始年齢引き上げに

よる「年金空白期間」の問題もあり、まだまだ働きたいとの要望が

多く、政府は社員が65歳まで働ける制度を段階的に導入するよう

義務づける改正高年齢者雇用安定法が06年4月1日に施行しまし

た。これにより、公的年金の支給開始年齢を段階的に引き上げられ

ることに対する、サラリーマンのの不安を取り除こうとしているよ

うです。



 定年の制度があるということは、定年になるまでは本雇いとして

保証されていることになるはずです。しかし近ごろはいつリストラ

されるか、雇われ人のつらいところでしょうか。

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・敬老の日(9月)

 

 9月の第3月曜は「敬老の日」です。長い間、社会に尽くしたお

年寄りを敬愛し、長寿を祝う日です。昭和26(1951)年につ

くられた「としよりの日」が同38年「老人の日」を経て、同41

(1966)年「国民の祝日に関する法律」の改正で「敬老の日」

となり「国民の祝日」になりました。



 もともと敬老の日は9月15日だったのですが、2003年から

体育の日や成人の日と同様に移動祝日になりいまのようにに設定さ

れした。



 各都道府県知事や市長が長寿者の家をまわって記念品を贈りま

す。日本人の平均寿命はどんどん伸び大正時代から約40年間、6

5歳以上の人は総人口の4〜5%だったものが、いまでは日本中高

齢者ばかり。



 まして団塊の世代といわれてきた人たちが定年を迎えるとあって

政府は大慌て。その上国自体が大変な借金国。生産性のない高齢者

は「厄介者」扱いです。医療費・介護保険料など大幅な値上げが次

々と実施されています。

 「敬老の日」の趣旨は覚えておいででしょうか。

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・年祝い

 

 年祝いは、本来は厄年と一連のもので、厄落としや呪法の意味を

持っているものらしい。年祝いには、還暦・古希・喜寿などがあり、

意味は次のようです。



 還暦:60歳の祝い。中国の暦で、亥・子。丑など十二支(じゅ

うにし)と、甲・乙・丙・丁・戊(ぼ)など十干(じっかん)の組

み合わせが、60年で一巡し、もとへ還るというので還暦というの

だそうです。



 古希:70歳。唐の詩人の杜甫の「曲江詩」の一節「人生七十、

古来稀(まれ)なり」という格言によってつけられたもの。平安時

代の本にすでに古希が記載されています。



 喜寿=77歳。喜という字を草書体で書くと七の下に七がふたつ

ならぶことから、七の重なるところから七重七で77。喜の字の祝

いともいっています。喜寿の起源は平安時代といわれています。



 傘寿(さんじゅ)=80歳。傘の字が「八十」に似ているのでつ

けられました。

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 半寿=81歳。半の字を分解すると八十一になります。これは熊

本県で行われているお祝いだそうです。



 米寿=88歳。米の字は八十八が組み合わされてできているので

名づけられました。



 白寿=99歳。百という字の上の一をとると白。百に一つ足りな

いという意味だそうです。



 上寿=人の寿命の長いこと。長生きの段階を上・下に分けた時の

いちばん上です。100歳。120歳をいうこともあるそうです。



 このほか初誕生や七五三、成人祝いも年祝いの一種だそうです。

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・赤いちゃんちゃんこ

 

 60歳になると「還暦」になったといわれ、そのお祝いには、赤

い頭巾やちゃんちゃんこを着たりします。還暦の「還」は「かえる」

とか「もどる」という意味。また「暦」は十干十二支(じっかんじ

ゅうにし=干支)を意味しています。



 十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。十二支は子・

丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。これを組み合わせ

たものを十干十二支(干支)といい、60通りの組み合わせがあり

ます。そのため60年で干支が一回りして、生まれた年の干支に戻

ることから、「還暦」というようになったということです。



 早い話が、人間は60年たつと生まれた年と同じ干支(暦にある

「つちのえ」とか「みずのと」いうあれです)に還るということか

ら60歳で赤ん坊に還る……、つまり生まれかわった気持ちで赤い

ものを身につけようとするわけです。



 また赤い色には魔よけの力があるとも信じられ、イニシエには4

0歳の「賀」や、また42歳、77歳、88歳でも赤い着物を着た

といいます。



 昔は還暦といえば、老年として扱われはじめる転機の祝い、公職

を退き隠居の年齢とされていました。しかし寿命がどんどん伸びて

いるいま、まだまだ元気。第二の人生、長生きするにもエネルギー
S
が必要です。

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(第9章「壮年・実年」終わり)

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