■第6章 妊娠・出産
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この章の目次
・妊娠
・産科医
・妊婦
・出産予定日
・母子手帳
・母親学校
・着帯祝い(戌の日、岩田帯、助産婦)
・安産の神(水天宮)
・つわり
・陣痛
・出産
・出産祝い
・流産、早産−p
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▼妊 娠
▼妊 娠
文章んが
一番の注意点は「妊娠中は定期検診を欠かさないように」とのことで
す。以下は胎児の発育の目安です。
妊娠1ヶ月末、全卵はハトの卵大。胎児の身長0,7pくらい。2ヶ月末、
全卵は鶏卵大、身長3p。3ヶ月末、ガチョウの卵大、身長9p、体重
20g。4ヶ月末では胎児身長16p、体重100g。
5ヶ月末身長25p、体重250g。6ヶ月末になると30p、650g。7ヶ
月末35p、1000g。8ヶ月末、40p、体重1500g。9ヶ月末、45p、
2000g。10ヶ月末(成熟児)には身長50p弱、体重3000g弱になりま
す。
−p128−
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・産科医
文章んが
出産の時、誰でもお世話になるところです。産科学ともいう医学の一分
野だそうです。日本の産科学は、江戸時代の医学者・賀川玄悦(かがわ
げんえつ)という人が1766年「産論」2巻を著して、独自の医説、救護の
方法を発表。ガゼン有名になり、ついに賀川流産婦人科を確立し、それ
までの旧式な産科に大きな影響をあたえたのだそうです。
その賀川玄悦が壮年のころ、京都に出て、「針、灸、按摩」をしながら
医学を学んでいたころの話です。たまたまとなりの産婦に陣痛が起こりま
したが大変な難産です。源悦はとっさの機転で、そばにあったちょうちん
の柄の鉄かぎを使って難産を救ったという。エーッ、あんな針金で〜。
それがヒントになり、助産は手術によらなければ全うできないと確信し、
さまざまな工夫の結果、助産術をいくつも発明したという。
西洋医学としては、明治4(1929)年に来日、東大の全身・大学東校
の学頭になったミュラーが、婦人科の診察を行いながら、助産科の講義
をはじめたのが最初だそうです。センセイ、よろしくお願いします。
−p129−
……………………………………
・妊 婦
文章んが
大きなおなかをかかえた「お母さんのタマゴ」が、うしろにそりかえり、い
ばったように通ります。妊娠を「みもち」とか「みごもり」といいますが、栃木
県では妊婦を「おとした」、出産を「おとなし」というそうです。「おと」とは、
乙姫(おとひめ)や弟の「おと」のことで、年下のものとか幼いものという
意。「なし」は成すとか、作(な)すの意味だという。ムムッ。複雑!
妊娠を青森でははらびと、広島ではさんと、壱岐島でははらうち、三重
県ではおびやど、愛媛県ではにゅうなど、いろいろな方言があるものです
ね。また妊婦は食べてはいけない品(迷信の禁忌)もあったそうです。
それには、いま聞いたら笑っちゃうようなものばかりです。いわく、ふた
ごブリや二股ダイコンを食べると双子を生む。肉類など脂肪に富む物を
食べると生児が胎毒になる。ネギを食べるとワキガの子どもが生まれる。
コンニャクや酢の物を食べると骨なしの子を産む。四つ足を食べるとおな
かの子が四つ足になる。なま米を食べると赤ちゃんがしらくもになる…な
どというもの。いまの妊婦がきいたら、「バッカじゃないの〜」と一笑にふさ
れます。
−p130−
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・出産予定日
文章んが
妊娠から出産までの期間は、ふつう40週、280日といわれます。しか
し個人個人にかなりな相違があり、また同じ人でも妊娠ごとにその長さが
違うというから複雑です。
しかし一般的な出産予定日の簡単な計算方法があるそうです。最終
月経の月が1月から3月までの場合、その数に9を足します。また4月から
12月までなら3を引くと出産予定日がわかるのだそうです。そして最終月
経の第1日に7を足すと予定日になるという。その計算法は次の通りで
す。
@たとえば最終のものが2月11日からはじまった時。2月+9=11月
(出産予定月)。11日+7=18日(出産予定日)。つまり11月18日が予
定日になります。
Aたとえば最終が9月16日からはじまった時。9月−3=6月(予定
月)。16日+7=23日。つまり6月23日が予定日になります。
ただし、これには前後2週間の幅があるといいます。
この両方の計算で何月何日出産予定日とわかるそうなのでありまーす。
がんばってネーッ。
−p131−
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・母子健康手帳
文章んが
医師の診断で妊娠とわかったら母子健康手帳をもらいます。市区町村
役場に行き用紙に書き込めば交付してくれます。母子健康手帳は「母子
保健法」(昭和40年法律第141号)によって妊娠の届け出をすると、都道
府県知事から交付される手帳です。以前は母子手帳と呼ばれていたもの
です。
この手帳は出生届を出すときも必要で、妊娠中のお母さんの状態、出
産、出産時の児の記録から赤ちゃんの発育、予防接種などなど6歳まで
の健康に関することがら全部が記録されます。大切にしましょう。
−p132−
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・母親学級
文章んが
大きな病院、産院では、通院の人たちに独自に、母親学級を開いてい
ます。また保健所でもやっているそうです。妊娠4〜6ヶ月の体の安定し
ている時期、母親学級に出て、出産や育児について学ぼうというもの。
医師、保健婦、助産婦または栄養士が講師になり、妊婦の生理や衛
生、妊娠中や産後の栄養、妊娠経過や妊娠中のすごしかたなどのスライ
ドを見る、出産シーンのビデオを見る、呼吸法などの勉強、新生児と同じ
くらいの体重の赤ちゃん人形を使って、抱っこ、授乳、沐浴などの練習、
家族計画などわかりやすく話してくれるそうです。
また、父親学級や両親学級を開催している場合もあるので、パパにも
参加してもらいましょう、と物の本にありました。
−p133−
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・着帯祝い
文章んが
着帯祝いは、妊娠5ヶ月目の最初の戌(いぬ)の日に、妊婦が岩田帯
という腹帯を巻いて祝います。犬のようにお産が軽くすむようにとの縁起
だそうです。
鎌倉時代の「吾妻鏡」(幕府が編纂した幕府自身の歴史書)には、源
頼朝が妻のために着帯の儀を行ったことの記載があり、また江戸中期の
故実の解説書「貞丈雑記」(伊勢貞丈著)には夫が帯をまいてやる役目
だったらしいことが書かれてます。
また かつては、腹帯に夫のフンドシを使用するとお産が軽くてすむ
ナンテ言った時代もあったそうです。ウェーッ。いまは市販のガードルや
コルセット式のものになっています。
−p134−
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・戌の日
文章んが
帯祝いは、お産の軽い犬にあやかり、妊娠5ヶ月目、または7ヶ月目の
戌(いぬ)の日に行います。
戌の人とは十二支の中のひとつ。この十二支(じゅうにし)に十干(じっ
かん)を組み合わせ60の周期で日を数えます。これは十干十二支(干支
・えと)といい、中国では古い殷(いん)の時代からあったもの。十干とは甲
(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛
(しん)、壬(じん)、癸(き)。十二支とは子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯
(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅ
つ)、亥(がい)のこと。
これらに、わかりやすさをねらい動物名をつけたり、五行説と結びつ
け、複雑にし、いろいろな迷信や俗説を生んでいきました。
この十干十二支の組み合わせは、干と支が総当たりするわけではな
く、60だけの組み合わせにしています。
−p135−
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・岩田帯
文章んが
多産でお産が軽いという犬にあやかり岩田帯をしめます。これは白か
紅白のもめん、絹でつくられ、妊婦の実家の母親から贈られたものだった
という。
岩田帯というから岩田というメーカーか産地の名前かと思っていました
が、肌に結ぶ帯というので結肌帯(ゆいはだおび)を略したものだと古い
本「貞丈雑記」(江戸中期の故実の解説書・伊勢貞丈著)の記されていま
す。また斎肌(いはだ)帯がなまったものとう説もあります。
これは平安時代から使われていたといい、かつて妊娠の忌みに入った
のもこのころからで精神的、信仰的意義が強かったそうです。
室町時代には、正絹(すずし)の一幅八尺物(約2.4m)を耳をなかに
して4つにたたんで締めたとか。江戸時代には高貴な人は白綾(しろあ
や)を使用したそうです。
また江戸時代、生活が苦しく育てられないと間引きが行われたときも、
一度岩田帯を締めてしまうと、子どもは育てなければならない義務があっ
たそうです。
−p136−
……………………………………
・助産婦
文章んが
ムカシは産婆といっていましたが、いまは助産婦さんと呼んでいます。
昭和23年の法律第203号「保健婦女産婦看護婦法」により助産婦さん
の資格などが規定されているそうです。
助産婦になるには助産婦国家試験に合格しなければなりません。これ
は看護婦国家試験に合格した者、またはその受験資格がある者で、文
部大臣指定の学校で6ヶ月以上勉強した者など、かなり難しい規定にな
っています。
お産が始まってからは、産婦に対する処置、赤ちゃんのとりあげなど医
者よりも助産婦と接する時間の方が多くなるほどだという。
江戸時代、「トリアゲババ」と呼ばれていましたが、明治7(1874)年の
医制で「産婆」と名づけられ、昭和22(1947)年助産婦規則となり、23年
にいまの保健婦助産婦看護婦法になりました。明治末ごろまでの農村地
帯では、経験豊かな老婆が出産で大活躍していたそうです。
産婆には取り上げ婆、引き上げ婆、コズエババ、アライババ(産湯を使
わせる)、コシダキババ(産婦の腰を抱いて安産させる)、フスアジ(臍婆)
などいろいろな呼び名がありました。
−p137−
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・安産の神
文章んが
なんてったって、いざとなれば神頼みしかありません。ふつう安産の神
というと水天宮があげられます。ここにお参りする人も多く、またここで岩
田帯をもらう人もいます。
しかし、お産を守ってくれる神は、産神(うぶがみ)と呼ばれる神さまで
す。この神は、地方により山の神だったりほうき神だったりいろいろにいわ
れます。
ムカシ、岩手県では山の神とほうき神が集まらないとお産は始まらない
といいました。熊本県ではかつてお産のまじないとして、ほうきを産婦の
足もとに逆さに立てたりする風習があったそうです。そのほか、便所神、
道祖神、しゃもじ神なども欠かせない安産の神として信仰されてきまし
た。
−p138−
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・水天宮
文章んが
水天宮も安産の神のひとつで全国に散在しています。その総本社は
福岡県久留米市瀬下町にある水天宮。これがいわば全国の水天宮の元
締めであります。ここは安徳天皇と生母・建礼門院(平徳子)、そして外祖
母の平時子のほか天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を合祀(ごう
し)しています。
この水天宮の社伝では平家没落の際、建礼門院(徳子)につかえた按
察使局(あぜちのつぼね)伊勢が、筑後川鷺野原に逃れ安徳天皇の霊
を奉じてこの地にまつったのが最初としています。例祭は5月5〜7日。
一方、東京・中央区にも水天宮があります。これは1818(文政元)年に
久留米藩主・有馬頼徳が江戸の藩邸に建てた分社を、1872(明治5)年
屋敷といっしょにいまの所に移したものだとされています。5月5日、縁日
は毎月1,5,15日になっています。
水天宮は、江戸時代から水徳の神、安産や水難よけ、火災よけなどに
霊験あるといわれました。またその霊験伝承では「かっぱ」が水天宮の功
徳で、除災招徳の神のお使いになり、それがいつか神として崇拝される
ようになったといわれています。
−p139−
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・つわり
文章んが
「つわり」とは妊娠初期におこる吐き気だそうです。この症状のおこる割
合は約60%。妊娠1ヶ月では6・6%、2ヶ月で最高75・2%、3ヶ月で14
・3%にあらわれるという。これが起こる確率は初産婦の方が多いそうで
す。
1〜2ヶ月ほど続き、3、4ヶ月ころには自然になくなるのが普通とのこ
と。食欲は正常で、栄養状態が悪くなることないそうですから、ひとまず安
心できることではあります。
つわりのことを東北では「くせ」とか「くせやみ」といい、秋田では「こぐ
せ」とか「もちぐせ」と呼んでいます。男もつわりのようになることもあり「病
んでたすけるのはくせやみばかり」ということわざもあります。
−p140−
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・陣 痛
文章んが
出産予定日も近くなりいよいよ陣痛がおこります。女性の一世一代の
大事業の始まりです。陣痛とは、子宮体の平滑筋に定期的におこる不随
意な収縮をいうそうで、ほとんどは痛みを伴とされています。しかし人によ
って違うため、陣痛とは書きますがイコール痛みを意味するものではない
そうなのであります。
陣痛に伴う痛みは産痛で、陣痛発作に際して子宮筋そのものの収縮
や下向児頭と骨盤壁との間にはさまれた軟産道のこうむる強圧によって
おこるとかいうコムズカシイもので、男ドモにはとうていわからないシロモノ
であります。
−p141−
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・出 産
文章んが
出産……これこそ、女性の大仕事です。オトコたちはただウロウロする
だけ。いまでこそ病院や産院で産みますが、ムカシは「産の忌み」をさけ
るため、お産をする部屋は産屋(うぶや)という特別の部屋を作ったり、母
屋とは別棟の部屋でお産をしたそうです。また、その地区の共有の産(う
ぶ)小屋があって、出産が近づくと産婦は小屋に入るしきたりだったことも
よく聞きます。
かつて男は産室へ近寄ることを避ける習慣があり、「古事記」や「日本
書紀」の神話のなかにも豊玉姫(トヨタマヒメ)が、鵜葺草葺不合命(ウガ
ヤフキアエズノミコト)を生んだとき父のもとで、お産をするための産室を
つくってもらい、なかをのぞくのを禁じたことが記載されています。
−p142−
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・出産祝い
文章んが
無事に出産して、赤ちゃんが元気な産声をあげています。親しい人た
ちから、お見舞いや出産祝いを戴きます。出産祝いはありがたいもので
すが、同じ品物がかち合ったり、赤ちゃんがすぐ大きくなるため、使いも
のにならない物が結構あるようです。
ぶつかりやすい品物としては、アルバム、下着セット、サックコート、ベ
ビー毛布、おくるみ、食品セットだそうです。ほんとうに必要でいくらあっ
てもよいものとしては、おむつカバーと、そして現金でしょう。どこのお宅も
大変ねーッ。
出産祝いのお返しは、お宮まいりがすんでから内祝いとします。子ども
の名前でお返しします。ふつうもらった品の2,3割程度の品というけれど
……。もらった品物により差をつけるのもなァ。ナントも頭の痛いことで
す。
−p143−
……………………………………
・流産・早産
文章んが
妊娠7ヶ月末(第28週末)までに出産した場合、胎児が生きていても、
また死んでいても流産というのだそうです。
これに対して、妊娠8ヶ月はじめから分娩予定の2週間前までの出産を
早産というそうです。そうならないために重い物を持たないよう、同じ姿勢
を長く続けないなど、家族の協力が必要なのだそうです。
また死産というのは満4ヶ月以後の胎児が、死んで生まれた時をいうと
いう。死産後7日以内に、医者の証明書をつけ、母子手帳と印かん持参
で役所などに届けるのだそうです。
−p144−
(第6章「妊娠・出産」終わり)一番の注意点は「妊娠中は定期検診を欠かさないように」とのことです。以下は胎児の発育の目安です。
妊娠1ヶ月末、全卵はハトの卵大。胎児の身長0,7pくらい。2ヶ月末、全卵は鶏卵大、身長3p。3ヶ月末、ガチョウの卵大、身長9p、体重20g。4ヶ月末では胎児身長16p、体重100g。
5ヶ月末身長25p、体重250g。6ヶ月末になると30p、650g。7ヶ月末35p、1000g。8ヶ月末、40p、体重1500g。9ヶ月末、45p、2000g。10ヶ月末(成熟児)には身長50p弱、体重3000g弱になります。
−p128−
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・産科医 文章んが |
出産の時、誰でもお世話になるところです。産科学ともいう医学の一分野だそうです。日本の産科学は、江戸時代の医学者・賀川玄悦(かがわげんえつ)という人が1766年「産論」2巻を著して、独自の医説、救護の方法を発表。ガゼン有名になり、ついに賀川流産婦人科を確立し、それまでの旧式な産科に大きな影響をあたえたのだそうです。
その賀川玄悦が壮年のころ、京都に出て、「針、灸、按摩」をしながら医学を学んでいたころの話です。たまたまとなりの産婦に陣痛が起こりましたが大変な難産です。源悦はとっさの機転で、そばにあったちょうちんの柄の鉄かぎを使って難産を救ったという。エーッ、あんな針金で〜。
それがヒントになり、助産は手術によらなければ全うできないと確信し、さまざまな工夫の結果、助産術をいくつも発明したという。
西洋医学としては、明治4(1929)年に来日、東大の全身・大学東校の学頭になったミュラーが、婦人科の診察を行いながら、助産科の講義をはじめたのが最初だそうです。センセイ、よろしくお願いします。
−p129−
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・妊 婦 文章んが |
大きなおなかをかかえた「お母さんのタマゴ」が、うしろにそりかえり、いばったように通ります。妊娠を「みもち」とか「みごもり」といいますが、栃木県では妊婦を「おとした」、出産を「おとなし」というそうです。「おと」とは、乙姫(おとひめ)や弟の「おと」のことで、年下のものとか幼いものという意。「なし」は成すとか、作(な)すの意味だという。ムムッ。複雑!
妊娠を青森でははらびと、広島ではさんと、壱岐島でははらうち、三重県ではおびやど、愛媛県ではにゅうなど、いろいろな方言があるものですね。また妊婦は食べてはいけない品(迷信の禁忌)もあったそうです。
それには、いま聞いたら笑っちゃうようなものばかりです。いわく、ふたごブリや二股ダイコンを食べると双子を生む。肉類など脂肪に富む物を食べると生児が胎毒になる。ネギを食べるとワキガの子どもが生まれる。コンニャクや酢の物を食べると骨なしの子を産む。四つ足を食べるとおなかの子が四つ足になる。なま米を食べると赤ちゃんがしらくもになる…などというもの。いまの妊婦がきいたら、「バッカじゃないの〜」と一笑にふされます。
−p130−
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・出産予定日 文章んが |
妊娠から出産までの期間は、ふつう40週、280日といわれます。しかし個人個人にかなりな相違があり、また同じ人でも妊娠ごとにその長さが違うというから複雑です。
しかし一般的な出産予定日の簡単な計算方法があるそうです。最終月経の月が1月から3月までの場合、その数に9を足します。また4月から12月までなら3を引くと出産予定日がわかるのだそうです。そして最終月経の第1日に7を足すと予定日になるという。その計算法は次の通りです。
@たとえば最終のものが2月11日からはじまった時。2月+9=11月(出産予定月)。11日+7=18日(出産予定日)。つまり11月18日が予定日になります。
Aたとえば最終が9月16日からはじまった時。9月−3=6月(予定月)。16日+7=23日。つまり6月23日が予定日になります。
ただし、これには前後2週間の幅があるといいます。
この両方の計算で何月何日出産予定日とわかるそうなのでありまーす。がんばってネーッ。
−p131−
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・母子健康手帳 文章んが |
医師の診断で妊娠とわかったら母子健康手帳をもらいます。市区町村役場に行き用紙に書き込めば交付してくれます。母子健康手帳は「母子保健法」(昭和40年法律第141号)によって妊娠の届け出をすると、都道府県知事から交付される手帳です。以前は母子手帳と呼ばれていたものです。
この手帳は出生届を出すときも必要で、妊娠中のお母さんの状態、出産、出産時の児の記録から赤ちゃんの発育、予防接種などなど6歳までの健康に関することがら全部が記録されます。大切にしましょう。
−p132−
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・母親学級 文章んが |
大きな病院、産院では、通院の人たちに独自に、母親学級を開いています。また保健所でもやっているそうです。妊娠4〜6ヶ月の体の安定している時期、母親学級に出て、出産や育児について学ぼうというもの。
医師、保健婦、助産婦または栄養士が講師になり、妊婦の生理や衛生、妊娠中や産後の栄養、妊娠経過や妊娠中のすごしかたなどのスライドを見る、出産シーンのビデオを見る、呼吸法などの勉強、新生児と同じくらいの体重の赤ちゃん人形を使って、抱っこ、授乳、沐浴などの練習、家族計画などわかりやすく話してくれるそうです。
また、父親学級や両親学級を開催している場合もあるので、パパにも参加してもらいましょう、と物の本にありました。
−p133−
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・着帯祝い 文章んが |
着帯祝いは、妊娠5ヶ月目の最初の戌(いぬ)の日に、妊婦が岩田帯という腹帯を巻いて祝います。犬のようにお産が軽くすむようにとの縁起だそうです。
鎌倉時代の「吾妻鏡」(幕府が編纂した幕府自身の歴史書)には、源頼朝が妻のために着帯の儀を行ったことの記載があり、また江戸中期の故実の解説書「貞丈雑記」(伊勢貞丈著)には夫が帯をまいてやる役目だったらしいことが書かれてます。
また かつては、腹帯に夫のフンドシを使用するとお産が軽くてすむナンテ言った時代もあったそうです。ウェーッ。いまは市販のガードルやコルセット式のものになっています。
−p134−
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・戌の日
文章んが
帯祝いは、お産の軽い犬にあやかり、妊娠5ヶ月目、または7ヶ月目の戌(いぬ)の日に行います。
戌の人とは十二支の中のひとつ。この十二支(じゅうにし)に十干(じっかん)を組み合わせ60の周期で日を数えます。これは十干十二支(干支・えと)といい、中国では古い殷(いん)の時代からあったもの。十干とは甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)。十二支とは子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)のこと。
これらに、わかりやすさをねらい動物名をつけたり、五行説と結びつけ、複雑にし、いろいろな迷信や俗説を生んでいきました。
この十干十二支の組み合わせは、干と支が総当たりするわけではなく、60だけの組み合わせにしています。
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・岩田帯
文章んが
多産でお産が軽いという犬にあやかり岩田帯をしめます。これは白か紅白のもめん、絹でつくられ、妊婦の実家の母親から贈られたものだったという。
岩田帯というから岩田というメーカーか産地の名前かと思っていましたが、肌に結ぶ帯というので結肌帯(ゆいはだおび)を略したものだと古い本「貞丈雑記」(江戸中期の故実の解説書・伊勢貞丈著)の記されています。また斎肌(いはだ)帯がなまったものとう説もあります。
これは平安時代から使われていたといい、かつて妊娠の忌みに入ったのもこのころからで精神的、信仰的意義が強かったそうです。
室町時代には、正絹(すずし)の一幅八尺物(約2.4m)を耳をなかにして4つにたたんで締めたとか。江戸時代には高貴な人は白綾(しろあや)を使用したそうです。
また江戸時代、生活が苦しく育てられないと間引きが行われたときも、一度岩田帯を締めてしまうと、子どもは育てなければならない義務があったそうです。
−p136−
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・助産婦
文章んが
ムカシは産婆といっていましたが、いまは助産婦さんと呼んでいます。昭和23年の法律第203号「保健婦女産婦看護婦法」により助産婦さんの資格などが規定されているそうです。
助産婦になるには助産婦国家試験に合格しなければなりません。これは看護婦国家試験に合格した者、またはその受験資格がある者で、文部大臣指定の学校で6ヶ月以上勉強した者など、かなり難しい規定になっています。
お産が始まってからは、産婦に対する処置、赤ちゃんのとりあげなど医者よりも助産婦と接する時間の方が多くなるほどだという。
江戸時代、「トリアゲババ」と呼ばれていましたが、明治7(1874)年の医制で「産婆」と名づけられ、昭和22(1947)年助産婦規則となり、23年にいまの保健婦助産婦看護婦法になりました。明治末ごろまでの農村地帯では、経験豊かな老婆が出産で大活躍していたそうです。
産婆には取り上げ婆、引き上げ婆、コズエババ、アライババ(産湯を使わせる)、コシダキババ(産婦の腰を抱いて安産させる)、フスアジ(臍婆)などいろいろな呼び名がありました。
−p137−
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・安産の神
文章んが
なんてったって、いざとなれば神頼みしかありません。ふつう安産の神というと水天宮があげられます。ここにお参りする人も多く、またここで岩田帯をもらう人もいます。
しかし、お産を守ってくれる神は、産神(うぶがみ)と呼ばれる神さまです。この神は、地方により山の神だったりほうき神だったりいろいろにいわれます。
ムカシ、岩手県では山の神とほうき神が集まらないとお産は始まらないといいました。熊本県ではかつてお産のまじないとして、ほうきを産婦の足もとに逆さに立てたりする風習があったそうです。そのほか、便所神、道祖神、しゃもじ神なども欠かせない安産の神として信仰されてきました。
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・水天宮
文章んが
水天宮も安産の神のひとつで全国に散在しています。その総本社は福岡県久留米市瀬下町にある水天宮。これがいわば全国の水天宮の元締めであります。ここは安徳天皇と生母・建礼門院(平徳子)、そして外祖母の平時子のほか天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を合祀(ごうし)しています。
この水天宮の社伝では平家没落の際、建礼門院(徳子)につかえた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢が、筑後川鷺野原に逃れ安徳天皇の霊を奉じてこの地にまつったのが最初としています。例祭は5月5〜7日。
一方、東京・中央区にも水天宮があります。これは1818(文政元)年に久留米藩主・有馬頼徳が江戸の藩邸に建てた分社を、1872(明治5)年屋敷といっしょにいまの所に移したものだとされています。5月5日、縁日は毎月1,5,15日になっています。
水天宮は、江戸時代から水徳の神、安産や水難よけ、火災よけなどに霊験あるといわれました。またその霊験伝承では「かっぱ」が水天宮の功徳で、除災招徳の神のお使いになり、それがいつか神として崇拝されるようになったといわれています。
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・つわり
文章んが
「つわり」とは妊娠初期におこる吐き気だそうです。この症状のおこる割合は約60%。妊娠1ヶ月では6・6%、2ヶ月で最高75・2%、3ヶ月で14・3%にあらわれるという。これが起こる確率は初産婦の方が多いそうです。
1〜2ヶ月ほど続き、3、4ヶ月ころには自然になくなるのが普通とのこと。食欲は正常で、栄養状態が悪くなることないそうですから、ひとまず安心できることではあります。
つわりのことを東北では「くせ」とか「くせやみ」といい、秋田では「こぐせ」とか「もちぐせ」と呼んでいます。男もつわりのようになることもあり「病んでたすけるのはくせやみばかり」ということわざもあります。
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・陣 痛
文章んが
出産予定日も近くなりいよいよ陣痛がおこります。女性の一世一代の大事業の始まりです。陣痛とは、子宮体の平滑筋に定期的におこる不随意な収縮をいうそうで、ほとんどは痛みを伴とされています。しかし人によって違うため、陣痛とは書きますがイコール痛みを意味するものではないそうなのであります。
陣痛に伴う痛みは産痛で、陣痛発作に際して子宮筋そのものの収縮や下向児頭と骨盤壁との間にはさまれた軟産道のこうむる強圧によっておこるとかいうコムズカシイもので、男ドモにはとうていわからないシロモノであります。
−p141−
……………………………………
・出 産
文章んが
出産……これこそ、女性の大仕事です。オトコたちはただウロウロするだけ。いまでこそ病院や産院で産みますが、ムカシは「産の忌み」をさけるため、お産をする部屋は産屋(うぶや)という特別の部屋を作ったり、母屋とは別棟の部屋でお産をしたそうです。また、その地区の共有の産(うぶ)小屋があって、出産が近づくと産婦は小屋に入るしきたりだったこともよく聞きます。
かつて男は産室へ近寄ることを避ける習慣があり、「古事記」や「日本書紀」の神話のなかにも豊玉姫(トヨタマヒメ)が、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を生んだとき父のもとで、お産をするための産室をつくってもらい、なかをのぞくのを禁じたことが記載されています。
−p142−
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・出産祝い
文章んが
無事に出産して、赤ちゃんが元気な産声をあげています。親しい人たちから、お見舞いや出産祝いを戴きます。出産祝いはありがたいものですが、同じ品物がかち合ったり、赤ちゃんがすぐ大きくなるため、使いものにならない物が結構あるようです。
ぶつかりやすい品物としては、アルバム、下着セット、サックコート、ベビー毛布、おくるみ、食品セットだそうです。ほんとうに必要でいくらあってもよいものとしては、おむつカバーと、そして現金でしょう。どこのお宅も大変ねーッ。
出産祝いのお返しは、お宮まいりがすんでから内祝いとします。子どもの名前でお返しします。ふつうもらった品の2,3割程度の品というけれど……。もらった品物により差をつけるのもなァ。ナントも頭の痛いことです。
−p143−
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・流産・早産
文章んが
妊娠7ヶ月末(第28週末)までに出産した場合、胎児が生きていても、また死んでいても流産というのだそうです。
これに対して、妊娠8ヶ月はじめから分娩予定の2週間前までの出産を早産というそうです。そうならないために重い物を持たないよう、同じ姿勢を長く続けないなど、家族の協力が必要なのだそうです。
また死産というのは満4ヶ月以後の胎児が、死んで生まれた時をいうという。死産後7日以内に、医者の証明書をつけ、母子手帳と印かん持参で役所などに届けるのだそうです。
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(第6章「妊娠・出産」終わり)
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