■第5章 結 婚

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▼中 扉

【結婚】 この章の目次
 ・見合い
 ・仲人
 ・婚約(婚約指輪)
 ・結納(結納品)
 ・嫁入り道具(たんす)
 ・大安
 ・招待状
 ・花嫁(打ちかけ、つのかくし、ウエディング・
     ドレス)
 ・新郎
 ・結婚
 ・神前結婚式(神官、巫女、祝詞、三三九度、
        お神酒、結婚指輪、玉串奉奠)
 ・仏前結婚式
 ・教会結婚式
 ・家庭結婚式
 ・神式結婚式
 ・祝儀
 ・引き出物
 ・忌み言葉
 ・披露宴(ディナー形式披露宴、パーティー形式披露宴、
      和風披露宴、席次、乾杯、シャンパン、ウエ
      ディングケーキ、お色直し)
 ・婚姻届(戸籍)
 ・新婚旅行
 ・里帰り
 ・離婚

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・見合い

 いくら恋愛結婚が当たり前の世の中とはいえ、いざ結婚となるとお見合

いにする人もいます。お見合いは日本の誇る風習だという人もいます。



 以前はお見合いもせずいきなり嫁いでいきました。結婚など一切を家

長が取り決めた時代は、自分が結婚する相手の顔さえも知らず、式の夜

はじめて会ったナンテ話もよく聞きます。



 このようなやり方にだんだん見合いがとり入れられるようになったという

から数段の進歩だったんですね。明治のころには男性が女性の家に呼

ばれ、その席に相手の女性が茶菓子を運び挨拶に出る習慣だったとい

います。そして男性が、帰る時に扇子を残したりして、OKか否か、なんら

かのサインにしたのだそうです。



 明治9(1876)年5月22日の読売新聞に、「田舎にも開化の人」という

見出しで日本で最初の写真を使ってした見合いの記事が載っています。

内容は、「中山道桶川(いまの埼玉県桶川市)の栗原某の娘は、島根県

の星野という人と縁談が決まり、先日桶川を出立した。



 この相談は二百里以上もへだたるところでもあり、それではとお互いに

写真で見合い、双方とも気に入ったものでありますが、田舎にもなかなか

開化の人がありましょう」というもの。すごい文章ですがよく見ると誉めてい

るんですね。



 そこらへんの○○ギャルちゃん、どう思います?

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 いくら恋愛結婚が当たり前の世の中とはいえ、いざ結婚となるとお見合いにする人もいます。お見合いは日本の誇る風習だという人もいます。

 以前はお見合いもせずいきなり嫁いでいきました。結婚など一切を家長が取り決めた時代は、自分が結婚する相手の顔さえも知らず、式の夜はじめて会ったナンテ話もよく聞きます。

 このようなやり方にだんだん見合いがとり入れられるようになったというから数段の進歩だったんですね。明治のころには男性が女性の家に呼ばれ、その席に相手の女性が茶菓子を運び挨拶に出る習慣だったといいます。そして男性が、帰る時に扇子を残したりして、OKか否か、なんらかのサインにしたのだそうです。

 明治9(1876)年5月22日の読売新聞に、「田舎にも開化の人」という見出しで日本で最初の写真を使ってした見合いの記事が載っています。内容は、「中山道桶川(いまの埼玉県桶川市)の栗原某の娘は、島根県の星野という人と縁談が決まり、先日桶川を出立した。

 この相談は二百里以上もへだたるところでもあり、それではとお互いに写真で見合い、双方とも気に入ったものでありますが、田舎にもなかなか開化の人がありましょう」というもの。すごい文章ですがよく見ると誉めているんですね。

 そこらへんの○○ギャルちゃん、どう思います?

−p82−

 

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・仲 人

文章んが

 結婚式には仲人(なこうど)という人がいます。仲人は媒酌人ともいい婚姻のなかだちをする人です。仲人のことは「古事記」や「日本書紀」にも出てきてきます。「なかひと(媒)」という名で、男性の意向を代表して女性の返事を聞きに行く使者なのだそうです。

 時代が下ると、結婚が自分の意志でなく家と家との間のことになってまいります。おうなると仲人の活躍の場がひろがります。そこで話をなんとかうまくまとめようとするあまり、無理をする人も現れます。

 「仲人口」とか「仲立ちはさか立ち」、あるいは「仲人7うそ」というカンバシクない言葉もあるくらいですから、うますぎる話を持っていったのでしょうね。いまでも仲人は仮親的なものとして、長く夫婦のうしろだてを期待するふうが残っています。しかし一方、「仲人三年」という言葉もあり、その義理は3年で終わるともいわれています。

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・婚 約

文章んが

 婚約は、ふたりが結婚をしようとする契約です。これは通の契約のように、申し込みと受け入れで成り立つのだそうです。婚約のあらわし方には、A:結納をとりかわす方法、B:指輪やタイピンなどの婚約記念品をプレゼントしあう、C:形式的なことは一切やめて婚約通知を出す、D:簡単なパーティーを開いて婚約をみとめてもらうなどの方法があるようです。

 1の結納はムカシからの方法ですね。この場合は仲人をたてて結納金や結納品を交換します。これにはまた、仲人が両方を往復して取りかわす方法と、両家が集まって行う略式の方法があるそうです。このように婚約は、儀式によって成立する場合が多いのですが、口約束でも十分に成り立つのだそうです。

 しかし、心変わりした時はどうなるのでしょうか。婚姻はあくまで二人の意思で成り立つもの。結婚するのが嫌になったものを裁判所に訴えて、ムリヤリ結婚させるわけにはいきませんよね。婚約は破棄になってしまいます。でも、正常な理由がないときは、財産的精神的損害賠償をさせることができるそうです。

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・婚約指輪

文章んが

 婚約指輪はエンゲージメントリング。普通は婚約が成立した証として、男性が女性にプレゼントします。これは古代ローマ時代からの風習だそうで、男性の永遠に変わらない保護を意味するというから大変です。プリニウスの時代(1世紀)は、飾りがなにもない鉄の指輪、2世紀になると純金製になるというように発展していったという。

 当時の指輪は印形指輪だったという。これは重要書類に捺印するようなダイジな印。そんなことから婚約者に指輪を贈ることは、主婦の座と家政をまかせるという意味があるものだったという。

 指輪が日本に入ってきたのは江戸時代の天保年間(1830〜1844)。「シナから伝来、近ごろ江戸でもてはやされている」と「嬉遊笑覧」に出ています。「嬉遊笑覧」という本は、江戸時代の風俗に関する百科事典。随筆家喜多村?庭(きたむらいんてい)の著で、それによれば「シナ製のものは白銅などで粗末なため、近ごろは江戸では銀でつくらせているが、それがなんの役に立つかは知られていない」とあります。

 はじめは「ゆびがね」とか、「ゆびはめ」といっていたそうですが、明治になってからは「ゆびわ」と呼ぶようになったそうです。

 婚約指輪が結婚指輪というように変わったのははっきりしませんが、11世紀ごろから教会で牧師が結婚指輪に祝福を与えるようになりました。結婚指輪を左手のくすり指にはめるようになったのはこのころからだそうです。

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・結 納

文章んが

 婚約のしるしのあらわし方にはいろいろありますが、そのひとつに結納があります。結納は結納品や結納金を取りかわす方法です。結納は「ゆいもの=結い物」のことで、親類関係を結ぶための酒とさかなの意味だという説があります。

 もうひとつの説は、申し込みを意味する「いいいれ」がなまったものとしています。このごろは言い入れ、結い入れなどとも書かれます。「いいいれ」の説があるように、結納は本来、結婚を申し込むものでしたが、いつの間にか両方が約束を違えぬしるしとして祝儀物を交換するようになったのだそうです。

 もちろんこれは従来の古いしきたり。最近は婚約通知だけですませたり、婚約パーティを行うなど新しい方法が行われています。

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・結納品

文章んが

 時代は変わっても、とくに地方では古くからのしきたりの結納がまだ行われているようです。何事もそうですが、日本人はどういう分けか奇数の数字を好みます。そんなところから、贈り合う結納でも品物の点数を奇数にします。

 古い時代は男性側から帯地(おびじ)、女性側から袴地(はかまじ)を酒樽や魚に添えて贈ったのだそうですが、近年は帯地や袴地の代わりに現金を結納品に添えるのだそうです。

 結納品というのはアワビを伸ばした長熨斗(ながのし)、白い扇子の末広(すえひろ)、麻糸でできている友志良賀(ともしらが)、昆布の子生婦(こんぶ)、するめの寿留女(するめ)、かつお節の勝男武士(かつおぶし)、お酒を入れる家内喜多留(やなぎだる)の7品です。

 この品目にもいわれがあって長熨斗は長生不死、末広は潔白無垢と末広がり、友志良賀は共に白髪になるまで長生きの共白髪、昆布は子孫の繁栄、寿留女は、日持ちがすることから幾久しく。また噛めば噛むほど味が出るという意味。勝男武士は男性の強さの象徴をあらわしているのだそうです。正式にはこれに結納品の内容を記した目録と、結納金を入れた包・金包(きんぽう・女性には「御帯料」男性には「御袴料」と書く)の9点だそうです。

 しかし最近は結納金だけとか、結納金なしの結納などシンプルでおしゃれな結納になってきているようです。

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・嫁入り道具

文章んが

 結婚が「家」と「家」との間の儀式であったムカシは、たんす、長持ち、ふとんなど嫁入り道具の類はそろいの服装の人夫にかついでもらい、運んで行ったのだそうです。

 長持ち歌や道中歌をおもしろおかしく歌いながら、にぎやかに通る行列に近所の人たちは嫁入り道具を見ようと集まったのだそうです。また金持ちはそれをみてもらうのが自慢だったわけです。

 当時は、嫁入り道具の形式がひととおり決まっていたのだそうです。しかし、いまではそんな光景はほとんど見かけません。新婚生活はたいていが団地やアパートの一室。ゾロゾロ嫁入り道具を持ち込まれては人間さまの居どころがなくなってしまいます。かつては嫁入り持参として、クルマの免許、公認の資格などがは流行したこともありました。

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・たんす

文章んが

 いくら時代とともに嫁入り道具が簡略化してきたといっても、たんすくらいは持っていくようです。

 たんすというと、いまでは衣装だんすのことをいうようになっています。そもそもイニシエは衣類はふつう櫃(ひつ)や長持ちに納められ、たんすというと、「刀たんす」や茶の湯道具一式を納める「旅だんす」などの小さいものをいったのだそうです。

 しかし、引き出し形式のたんすは何かと便利なところから、江戸中期ごろからたんすを使うことがはやり出し、小袖(こそで)たんすと呼び、長持ちなどといっしょに嫁入り道具になっていったとのことです。

 かつてはたんすといえば桐(きり)のたんすと決まっていました。桐の材は湿気にあうと膨張して目がつまり湿気を通せんぼします。乾けば元にもどる性質があり、軽くて木目が美しいのでこの材のたんすが一番といわれてきました。

 以前は娘が生まれると桐の苗を植え、嫁にいく時のたんすの材料にしたそうです。

 太平洋戦争後、生活が様式化し、急激に堅木たんすが普及し出しました。いまでは化粧材として、カバノキ、サカキ、チーク、ケヤキ、クルミ、ナラ、シオジ、ハリギリなどが使われています。内面にはホオノキ、シナノキを使用しているそうです。

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・大安

文章んが

 結婚式など行事の日どりは、迷信とは分かっていてもやっぱり大安(たいあん)にこだわります。大安は大安日(たいあんにち)の略したもので大安吉日ともいいます。これは陰陽道の中でなにをするにもよいといわれる日。六曜(ろくよう)のひとつです。

 六曜はもとは時刻の吉凶占いに用いられたものという。日本には中国から14世紀ころ伝わりました。当時は大安(たいあん)、留連(りゅうれん)、速喜(そつき)、赤口(しゃっく)、小吉(しょうきち)、空亡(くうぼう)という順になっていました。

 それが寛政(1789〜1801)になると泰安(たいあん)、流連(りゅうれん)、則吉(そつきち)、赤口(しゃっく)、周吉(しゅうきち)、虚亡(きょぼう)となりました。

 いまも以下のように変わり、読み方もこの通り人によってまちまちです。先勝(せんしょう・せんかち・さきかち)、友引(ともびき・ゆういん)、先負(せんぷ・せんまけ・さきまけ)、仏滅(ぶつめつ)、大安(たいあん・だいあん)、赤口(しゃっく・じゃっく・じゃっこう・しゃっこう)。

 そもそも六曜は、中国の諸葛孔明六任時課(ろくじんときのうらない)とか、李淳風六任時課(りじゅんぷうときのうらない)という、五行にこじつけた時刻の吉凶占いがもとになっているのだそうです。

 その配列法は、まず旧暦1月1日を先勝にします。それから2月1日を友引、3月1日を先負……と順々にあてて、それを基点に順序どおり当てはめていくだけだそうです。

 この六曜は大昔から使われてきたように思われがちですが、六曜が盛んに使われだしたのは江戸時代も天保年間(1830〜44)のころから。とするとまだ150年位なんですね。

 ついでながら先勝は午前中が吉。友引は正午が凶で午前午後は吉だという。先負は午後が吉、仏滅は1日中が凶、大安は1日中が吉、赤口は正午が吉で、午前午後は凶としています。

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・招待状

文章んが

 挙式の日どりが決まったら招待状の印刷をしなければなりません。結婚式やパーティーなどにお客を呼ぶには電話やメールではなく招待状を出すことになっているそうです。

 招待状を出すにはだいたい決まった形があって封書に返信用のはがきを入れて出欠を問います。

 差出人の名前は「新郎と新婦の連名」、「新郎と新婦の父親の連名」、「新婦・新婦と父親たちの連名」、「世話人たちの連名」などの方法があるようです。体裁は招待状に「寿」の地を浮き出させたり、家紋を入れたり、最近は自由にデザインしたりする人もいます。

 招待状には必ず日時や場所、媒酌人の名前を記載し、遅くとも1ヶ月前には発送するのがマナーだそうです。

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・花 嫁

文章んが

 花嫁さんは、結婚式や披露宴の主役です。式のときの清純無垢(むく)を意味する純白衣裳、また神聖な式服から明るい感じの晴れ着に着替えるお色直しは、披露宴にはなやかな色どりをそえます。

 これからは嫁いだ家の家風に染まりますというこのお色直しも、最近は花嫁の方がシッカリモノが多く、新郎が新婦側の色にそまるべくお色直しをするご時世です。

 突然ですが日本人と結婚した白人の花嫁さん第1号は、明治5(1872)年に山口県出身の南貞介という人と結婚したイギリスのライザ・ピトメンさん。花婿が銀行支配人としてイギリスに滞在中のことだったそうです。

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・打ちかけ

文章んが

 花嫁衣裳の代表的なものは打ちかけです。着物の上に、もう1枚、帯をつけないきものをコートのように重ねて着ます。

 白無垢(しろむく)の打ちかけはもっとも格式のある正装とされています。また緋、緑、黄、紫などの色地に染めた模様、刺しゅう、金箔(きんぱく)、銀箔(ぎんぱく)などをほどこした豪華で、あでやかな色打ちかけは、もともと白無垢を着たあとのお色直し用だったそうですが、いまは式服として使われています。

 打ちかけは室町時代以後、武家の婦人が夏以外に着た礼服。羽織のように打ち掛けて着るのでその名があります。

 江戸時代になると、一般庶民のなかの金持ちが武家の真似をして、婚礼に打ちかけ姿を見せるようになりました。打ちかけは、丈が長く引きずって歩かなければならず、外を歩く時、褄(つま)をかいどるので介取(かいどり)とも呼ばれるそうです。

 いまでは清純無垢な花嫁でなくても、結婚式の時は白無垢を着て頬被りをしています。

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・つのかくし

文章んが

 「つのかくし」は角隠し。どんな角を隠しているのか中を確かめたくなります。つのかくしは、揚帽子(あげぼうし)とも呼ばれるかぶりものの一種だそうです。これは江戸時代に浄土真宗の門徒の女性たちが、報恩参詣(さんけい)のときにつけた黒いつのかくしがもとになっているそうです。

 元来、花嫁がつけていたのは丸綿の綿帽子(わたぼうし)だったという。野にも山にもワタボウシかぶり、枯れ木残らず花が咲く…のあれです。明治時代はまだつのかくしより、綿帽子の方が多く用いられていたそうです。

 時代を経るに従い、婚礼が挙式よりも披露に重点が置かれるようになります。披露宴は花嫁の顔を披露します。ところが綿帽子をかぶっていたのでは花嫁の顔がよく見えません。そこで綿帽子に変わって「つのかくし」が使われるようになったということです。決して夫にツノを出さないようにとのいましめではないのだそうです。

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・ウエディング・ドレス

文章んが

 白のロングドレスに白いベール、白い髪飾り、白い花のブーケ。清純な白を基調にした花嫁衣装のウエディング・ドレスです。これは、18世紀からキリスト教徒が守り続けてきた伝統的な形だそうです。

 ウエディング・ガウン、ブライダル・ガウンとも呼ぶそうで、カトリックの場合はなるべく花嫁の肌を見せないことが基本とか。

 そもそもウエディング・ドレスは中世ロマネスク期の婦人服、さらには古代近東諸国の婦人服が原型だとか。民族や宗教により細かな規定をなされたこともありましたが、いまでは花嫁の好みに応じ、カクテル・ドレス、ティタイム・ドレスまで登場するしまつです。

 ブライダル・アクセサリーは、真珠または清純な感じのダイヤのネックレスとイヤリングなどを用います。ブーケは本来はオレンジの白花だったそうですが、いまはカーネーション、フリージア、ラン、グラジオラス、ユリなどの白い花を使っているようです。

靴は白のサテンかドレスとの共布。

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・新 郎

文章んが

 花嫁の引き立て役は新郎です。和装の場合は紋付き羽織はかまが正式な衣裳だそうです。紋織り西陣か献上博多の無地の角帯、白のたび、ぞうりは畳表(たたみおもて)で、鼻緒(はなお)は白か黒だとか。

 洋装の場合はモーニング。昼間の新郎の正装という。白手袋、黒ぐつに黒のくつ下。衿のフラワー・ホールには花嫁の花束と同じ花を一輪さすのだそうです。

 なお前項にも書きましたが、外人との結婚第1号は南貞介という人。イギリス滞在中だったため、明治6年改めて届け出しました。法律もこの年、外人との結婚許可の布告が出たのだそうです。

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・結 婚

文章んが

 ムカシの結婚は当人たちの意志で行われるものではなく、「家」と「家」との結びつきの儀式として行われました。いまでも結婚式場へ行くと「○○家、△△家」という言葉が飛びかいます。もっともさすがに現在は○○家でも「家」の意味が違ってきているようですが。

 福沢諭吉たちが明治初(1868)年、本人たちの意思による「自由結婚」を主張しましたが、それでも明治31(1898)年施行の民法では「男30歳、女25歳までは父母の同意が必要」だとか、「家族が婚姻するときは戸主の同意が必要」などとあったそうです。

 また子どもができない妻と離婚することや、子どもを得るための愛人などを当然として認めていたようです。

 民法で定める以下のような条件が満たされると婚姻届が受理されます。「男満18歳、女満16歳以上のこと(同法731条)」、「重婚でないこと(同法732条)」、「再婚の場合、女は離婚してから6ヶ月経っていること(同法733条)」、「一定の近親間の婚姻でないこと(同法734条)」、「未成年の場合は父母の同意が必要(同法737条)」、「当事者間に婚姻する意思のあること」など。

 婚姻の効力は「同じ姓を名のる義務(同法750条)」、「互いに貞操を守る義務(同法770条)」、「同居の義務(同法752条)」などの義務が生じます。

 最近、「夫婦別姓」が叫ばれています。これについては、いまの時点では法律的に認められていませんが、1996(平成8)年以降、「選択的夫婦別姓」(結婚する際に夫婦同姓か別姓かのいずれかを選べる)導入へ向けた民法改正への動きが活発化しています。

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・神前結婚式

文章んが

 結婚式には神前・仏前・キリスト教式などありますが、簡素で個性的な新式結婚式も多く行われているようです。

 神前結婚式は、神さまの前で三三九度のサカズキを取りかわし夫婦の誓いをします。これには神社の神殿で行うものと、会館やホテルなどの仮神殿で行うものとがあります。

 神前結婚式のはじまりは明治5(1872)年、美濃国(いまの岐阜県)関村の山田平三郎サンと今泉村の渡辺れんサンがあげたのが第1号だという。イギリス人ブラックにより創刊された邦字新聞「日新真事誌」明治5年5月25日付けの紙面で、その報道によれば、「明治五年五月二日、美濃国武儀郡(ぶきぐん)関村の戸長(こちょう)山田精一郎の弟平三郎と同じく厚見郡今泉村の渡辺武八郎の三女れんが、関村の春日神社の祠官(しかん)跡部真志雄を監婚者とし、五儀略式の婚姻式により結婚式をあげたり」というものでした。その後ボツボツと行われるていどだったとか。当時は「奇妙な儀式だ」と新聞に書かれたりしたそうです。

 明治30(1897)年、大正天皇の結婚を契機に、東京日比谷公園前にあった日比谷大神宮が、結婚式場をつくって営業をはじめ話題になったという。ちなみにその時の看板は「区民のために結婚式を商売に致します」というようなものだったそうです。

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・神 官

文章んが

 神前結婚式に神官は欠かせません。神職、神主ともいい、神さまにつかえるのを職としています。神につかえる者としては、「日本書紀」などにも登場するのが祝(はふり)と禰宜(ねぎ)です。後に神職集団となって活動しましたが、中世末期に崩壊してしまいます。

 その変形として御師(おし)を先端とする態勢に移り変わりました。そして神仏混合が進むうち、京都の吉田神社の吉田家の吉田神社が勢力をもちはじめ、神官はみな吉田家の支配下になるほどだったという。

 しかし明治維新後、神仏混合と神官の世襲制は廃止になり、いまでは宗教上の身分になっています。

 明治のころは神職は官吏またはそれに準ずるものとされ、一時は国家試験に通った者だけが採用された時もあったという。

 ついでながら神前結婚式の式次第。1着席、2修祓、3一拝、4祝詞奏上、5三献の儀、6誓詞奏上、7指輪交換、8新郎新婦玉串奉奠、9媒酌人夫妻玉串奉奠、10舞、11親族杯の儀、12撤下(てつか)品の授与、13斎主の挨拶、14斎主一拝、15一同退出と進みます。

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・巫 女

文章んが

 三三九度などの御神酒(おみき)をついでくれるのが巫女です。日本の巫女は、神子とも書き、御子の意味だそうです。巫女には、神社の女神官や、神主(かんぬし)などの補助神職のなるものと、神社に属ささないで死霊などを口寄せして生計を立てているものに分けられるという。後者は昔、女神官だった人たちが職業化した者たちだそうです。

 結婚式にかかせない巫女は神社に属する方の人たちです。巫女サンは三三九度の御神酒のほか、玉串奉奠(たまぐしほうてん)のとき、新郎新婦に玉串を渡したりします。

 結婚式に活躍する巫女サンはいまはほとんどアルバイトの普通のオンナノコです。

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・祝 詞

文章んが

 祝詞(のりと)とはまつりなどの儀式ととき、神さまにささげることばだそうです。「古事記」には詔戸言(のりと)、「日本書紀」にも諄辞(のりと)との字で出ています。

 のりととは「宣(の)り説き」言(ごと)のきをとった形だとも「宣(の)り処(と)言」の言をとった形だけとの説、その他たくさんの異説があります。

 祝詞がいつごろからできたのかわかりませんが、いま残っている一番古いものは平安時代の本「延喜式(えんぎしき)」に載っている28編だそうです。

 明治になって神社祭式が制定され、一般の神社の祝詞文の構成も拝詞・由縁句・献饌句・祈願句・拝詞と決められました。

−p101−

 

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・三三九度

文章んが

 巫女(みこ)サンのつぐ御神酒(おみき)を飲んで結婚を誓います。三三九度(さんさんくど)は三献(さんこん)の儀ともいい大小三重(みつがさね)の杯を使います。一番小さい杯で新郎―新婦―新郎、二番目は中くらいの杯で新婦―新郎―新婦、最後は大きい杯で新郎―新婦―新郎の順に飲みかわします。両方の手で持って、3回に分けて少しずつ飲みます。

 三三九度の儀式は、もと大勢で同じ杯を飲み回した儀礼が発展したものという。まわってきた杯で1回飲むことを一度、これが一回りするのが一献です。三三九度は三献の酒礼を簡単に略したものだそうです。

−p102−

 

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・お神酒

文章んが

 お神酒(みき)とは神さまに供えるお酒の尊称です。神酒や大神酒(おおみき)・御酒(みき)などとも書かれます。「日本書紀」や「万葉集」にもたくさん出てきます。「お、おお、み」などはみんな酒をほめていう接頭語だそうです。お神酒は元来、その年とれた米をかもしてつくります。

 お神酒はもとは濁酒(にごりざけ)のことをいいました。濁酒にはムカシは白酒(しろき)と黒酒(くろき)があったという。黒酒はクサギという低木の灰を入れてつくったものとか。

 平安時代にはお神酒をつくる専門職・造酒司(みきづかさ)とかいう者もいたといいます。いまでは酒税法の関係で濁酒は特別にゆるされた神社だけが祭りなどに製造しています。また一般には普通の清酒を使っています。ウィーッ。

−p103−

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・結婚指輪

文章んが

 日本では古代の文献にも指輪に関した資料が見つからず、考古学の分野でも研究の対象になるようなものが出土していないそうです。学者も指輪をする必要がなかったのだろうとしています。

 婚約、結婚指輪を使いはじめたのはローマ人だろうといわれています。ローマ人の結婚指輪は認め印指輪で、ときには小さい鍵がつけられていて家の財産は一切あなたの管理下になりましたとの意味だという。

 結婚指輪を左手のくすり指にはめるのはこれが神聖な指だとするユダヤ人の習慣からといいます。心臓に直結しているというギリシャ人の信仰からきているのだとの説もあります。

 指輪をつける習慣が日本に伝わったのは江戸時代だったそうです。指輪は明治27(1894)年ころまで銀製のものだったそうですがその後金製になったということです。

−p104−

 

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・玉串奉奠

文章んが

 神さまの前で葉っぱのついたサカキの枝をくるくる回す玉串奉奠(たまぐしほうてん)。玉串とは、細長く物をつきさす串に玉をつけて美しくいった言葉だとか。手向(たむけ)け串、霊串などの意味だそうです。奉奠は謹み供えること。つまり謹んで玉串を神に供えることだといいます。

 玉串はもと祭神の標木で大地につき刺したものだったという。のちにサカキに木綿(ゆう)や紙垂(しで)をつけるように変わり、いまではサカキなどの枝の表に紙垂または紅白の絹をつけたものをいっています。

 玉串を奉げる作法は、神前にサカキのもとのほうを向け、紙垂などを表にし、二拝二拍手一拝(二度最敬礼し、二度拍手し、最後に一度最敬礼)するのだとか。

 詳しくいえば、1右手の親指が玉串の根もとの下になるように持ち、左手で支える、2右手を手前によせて玉串をたてにする、3左手を手前にし右手を中央に移して「の」の字の形にまわす、4右手が手前になり枝先は自分側に向く、5左手を手前にそえて玉串台において終わります。

 玉串奉奠の記録としては「日本書紀」神代紀の天石窟(あめのいわと)ごもりの段に「八十玉籤(やそたまくし)」とあるのが最初だそうです。

−p105−

 

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・仏前結婚式

文章んが

 仏さまの前の結婚式ですから数珠(じゅず)をし、焼香をします。式次第は宗派により少し違うそうですが、オルガンの前奏の中を参列者がお堂に入堂し着席します。新郎、新婦が媒酌人、媒酌人夫人にそれぞれ付きそわれて入堂着席。

 司婚者が入り、表白文(ひょうびゃくもん)を朗読し祖先の霊に報告。ブッポウソウ、つまり仏(明るさ)、法(正しさ)、僧(和合)の三宝を信じ守っていくことを誓います。

 ここで結婚指輪を交換、司婚者が供えてある数珠を授与、司婚の辞があり焼香に入るのが一般的。焼香は1回だけだそうです。

 次は式杯で、新郎新婦がすわったまま杯をかわします。新婦−新郎−新婦の順に杯を交わし、つづいて全員起立して一同で乾杯します。司婚者の説話があり合掌礼拝。司婚者が退堂(お堂から出ていく)してから雅楽オルガン演奏のなか、新郎新婦を先頭に参列者が退堂します。

−p106−

 

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・教会結婚式

文章んが

 「人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体とする。もはやふたりではなく一体である」マタイ伝第19章5節にある言葉です。

 結婚は、ふたりの愛情を神と参列者で誓約するするのが教会でのやり方だそうです。だから不義など神との約束にそぐわない結婚であったり、結婚に異議の申し出があったりすれば中止されることもあるという。

 教会を使って教会結婚式をできるのは、普通は新郎新婦の両方が、または一方が信者であることが条件とされていますが、最近はふたりとも信者でなくても、その教会の信者の紹介があったり、直接牧師にお願いすれば式があげられるそうです。

 式次第は宗派により以下のような違いがあります。
 A:カトリックの式次第。1参列者入場、2司祭入場、3入祭の儀(オルガン演奏など)、4み言葉の祭儀、5婚約誓約式、6聖体祭儀、7祝福、8ミサ終了の祈り、9診療新婦退場。

 B:プロテスタント式次第。1参列者入場、2賛美歌、3聖書朗読、4祈祷、5司式者式辞、6結婚の誓約、7指輪交換、8祈祷、9宣言、10賛美歌、11祈祷、12新郎新婦退場、13新郎または両家の代表者が挨拶。

 披露宴は教会の部屋を借りて、茶菓程度で行うのだそうです。

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・家庭結婚式

文章んが

 結婚式は結婚式場であげるのが普通になっていますが、かつては結婚式は自宅で行いました。自分の家ですから時間の制限もなく家庭的な反面、ダラダラと長くなりがちです。ムカシは何日がかりで披露宴行ったというのもあったそうです。

 やり方はその土地の風習により少しずつ違いますが、正面に、日の出、蓬莱山(ほうらいさん)、鶴亀、松竹梅などのめでたいかけ軸をかけ、まん中に三方(さんぽう)をおいて鏡もちをふた重ねのせてあります。

 式のやり方は、@正式(陰の式):新郎、新婦は女蝶(めちょう)、男蝶(おちょう)の飾りのついた酒器で結びの酌、つまり三三九度の杯事(さかずきごと)を行い、媒酌人は♪高砂や〜とうたいます。A色直しの式(陽の式)、B親子固めの杯、C外様見参式(両家が親類となる固めの杯)と進みます。

 雌蝶、雄蝶は、本当は折り紙でチョウの形をつくり、瓶子(へいし)に結びつけたものだそうです。チョウはカイコのガの意味で、カイコがまゆをつくり絹をつくり出すことから、生産的な家庭づくりを象徴しているのだそうです。

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・新式結婚式

文章んが

 ン百万円の結婚費用の負担。その上義理だ、人情だがからんで悩む招待する人の人選。結婚は神や仏、親や親せきのためにやるんじゃない……という人も多く、新しい形の結婚式も盛んに行われています。

 バスや電車を借り切って行う乗り物結婚式、かつてはやったテレビ結婚式、山の頂上で行う登山結婚式、その他水中結婚式などなどはアイデアを生かした個性的な結婚式です。

 しかし、一般的には公民館などの新生活様式の結婚式。費用も安く簡素ながらも厳粛な式があげられます。豪華好みの人には大いに一流ホテルでゴーセイに大金を使ってもらい、社会経済に寄与してもらいたいものです。

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・祝 儀

文章んが

 おふたりのめでたい結婚に心を込めてお祝いします。お金や品物の数は、1・3・5・7など、割り切れない数がめでたいのだそうです。

 お祝い金はのし袋に入れます。のしとは、「のしアワビ」の略したもの。袋にひな人形の着物のように折ったものが印刷してある、アレです。

 昔はホンモノの、のしたアワビを使っていたそうです。めでたいとき、海産物を食べて祝った習慣が、そのまま慶事の贈答にひきつがれて、のしをつけるようになりました。のしはのばすという意味で繁栄を祈るのだそうです。

 ちなみに結婚祝いの祝儀袋は「結び切り」水引がついています。結び切りは2度とその事がないようにとの意味があるそうです。何回も結婚式をするようでは困りますからね。これは弔事用にも使われます。ふつうのお祝い事に使われる水引は「ちょう結び」になっています。これは何回あってもよいようなめでたいことに使われます。くれぐれも結婚式以外に使います。

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・引き出物

文章んが

 引き出物は、客をもてなすときに出す贈物だそうです。これはムカシ客を呼んでもてなす時、庭先に馬を引き出して、客に贈ったことから出た言葉だと何かの本に出ていました。贈られた客も大変です。

 公家では引き出物に、馬にタカとか、タカに犬を添えていたという。のち、酒一献(いっこん)ごとに1品を贈るようになり、武士では五献とか七献の習慣ができたという。つまり五献は太刀、弓と征矢(そや)、甲冑(かっちゅう)、鞍置(くらおき)馬、銭の5品、七献は馬、太刀、鎧または腹巻き、弓と征矢、沓(くつ)またはむかばき、刀、小袖の7品だったそうな。

 これらは、婿入りや元服などの儀式には厳しく守られていたそうです。いまでも結婚披露宴などに引出物を出すのはそのなごりのようです。

 しかし、もともとお祝いをもらったとしても、披露宴に招待すればお返しをする必要はないとのこと、形式的な引出物は省いてもよいのだそうです。

 また、引き出物は後世になると功労に対して与える「かけずもの」や「禄」、また芸人などにくれる祝儀や「はな」などと混同されるようになったという。

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・忌み言葉

文章んが

 忌(い)み言葉とはめでたい席などで嫌われる言葉です。たいしたことではないと思っても、いまでも結婚式などでは縁起をかつぐ人たちは多くいます。しかし、あまりこだわるとうっかりお祝いの言葉もいえなくなります。

 そもそも忌み言葉なるもの、正月言葉や、猟師の山言葉、漁民の沖言葉などいろいろあって、いやがる人たちもまず使いこなせないほどの複雑なもののようです。

 忌み言葉は言霊(ことだま)思想(つまり言葉は記号ではなく、事物と一体化したものとする思想)からできたとされています。言葉には事や物を引き出す力があるといわれ、悪い言葉は悪い状態を呼び起こすと考えられました。また神仏などにはばかっていうことを避けたりもします。

 この忌み言葉、最初の記述は延喜式(平安時代)の神祗巻。斎宮(いつきのみや)の忌詞で、内七言や外七言などが出てきます。
 これは神事の時、仏の言葉を忌むことらしい。内七言は仏→中子(なかこ)、お経→染紙、塔→阿良良岐(あららぎ)、坊さん→髪長などと言い換えます。

 また外七言というのもあり、死→奈保留(なおる)、病→夜須美(やすみ)、哭く→塩垂(しおたれ)、血→阿世(あせ=汗)と言い直すなどです。そのほか、正月言葉、山言葉、沖言葉、女房言葉、武者言葉などがあり、手に負えなくなります。

 結婚披露宴の忌み言葉として次のようなものがあります(これは室町時代からすでにあったという)。
去る→去年を昨年という。帰る→中座・失礼、切る→ナイフを入れる。終わる→おひらき。その他退く、別れる、戻る、破るなど、また重ね言葉もいけないという。結婚披露宴に呼ばれても口はきかないことにしよう。

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・披露宴

文章んが

 披露宴は親せきや友人、センパイを招いて、新郎新婦を紹介して今後の指導などをお願いします。以前は婿側で宴会、つぎに嫁サンの実家で宴会と、何日もかかって披露、披露と疲労の連続の時代もあったようです。しかしいまではホテルや○○殿とかゴージャスな演出のもとで披露宴が取り行われています。

 披露宴ですから中心は新郎新婦。新郎の側には媒酌人、新婦の側には媒酌人の妻がつきそい、新郎新婦を来賓に紹介して主賓のあいさつなどに入ります。披露宴にもディナー形式、パーティー形式、和風形式などいろいろな形があるそうです。

 また予算の関係や勤めの都合で披露宴ができない場合があるはずです。そんなときは先輩や親類、友人、知人に結婚通知状を出します。披露宴をしても招待できなかった人たちに結婚通知状は出すわけです。もらった人もこちらで思っているほどこだわりなどありません。お祝いを戴いた人へは半返し程度のものを「内祝い」として贈ればいいのだそうです。

 披露宴を豪華にやりたい人は、ゴンドラに乗って登場するなり、魔法のホーキに乗るなり、大いにお金を使って経済効果にご協力をお願いします。

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・ディナー形式披露宴

文章んが

 ディナー形式披露宴は、洋風披露宴でフルコースの出る正式な形式だそうです。司会者のあいさつからはじまり媒酌人が式の報告をします。それから主賓あいさつ、乾杯とすすみシャンパンが抜かれます。そもそもシャンパンの発生は17世紀フランスのシャンパーニュというところ。日本では「三鞭酒」などと当て字をしたこともあったそうです。

 それはともかく、新郎新婦がウエディングケーキにナイフを入れ、披露宴はクライマックス。料理が運ばれお色直し、祝辞、祝電披露、お礼のあいさつ、お開きと、まずは無事終わるのでありますが、この費用はだれがですのか気にかかります。

 ディナー形式披露宴の席は馬蹄形にならびます。メインテーブルに新郎新婦と媒酌人夫婦がんらびます。そして新郎側、新婦側ともに、たてにならんだ席のメインテーブルに一番近い内側の席が最上席になるのだそうです。

 

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・パーティー形式披露宴

文章んが

 パ−ティー形式の披露宴(立食式)は、席次などで悩まなくてすみ、都合のよい時間だけ出席でき、また人数以下の費用でできることなどがこの披露宴のよろこばれるところ。パーティー形式には下記のようなものがあります。

 @ビュッフェパーテイー(立食式) 乾杯のすんだあと、招待客はテーブルの間を歩いて、自由に好きな料理を取って食べ、新郎新婦が会場をまわります。前菜や一品料理、すしなどでもてなします。

 @カクテルパーティー このパーティーでは招待客は途中での入場・退出は自由なのだそうです。ただ披露宴ですから、挨拶や祝辞、乾杯の時間には出席しているのがマナーだという。各種飲み物を中心にオードブル、サンドイッチなどでもてなします。

 Bティーパーティー 一番気軽な披露宴で、媒酌人のあいさつなども抜くようです。ティーパーティーといいますから、やはりコーヒー、紅茶などとケーキ類を用意します。
その他ガーデンパーティーなどあります。

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・和風披露宴

文章んが

 宴会場で行う披露宴と違って和室で行うため、宴が長びきやすいやり方です。いまでは地方でもよほどの事でない限り行われないようです。和風披露宴の会場では、新郎新婦、媒酌人、両親は入り口で来客を迎えます。全員が席に着いたら自分たちも定められた席につきます。

 中心の新郎新婦、付き添いの媒酌人夫妻は床の間を背に座ります。接待人のあいさつで開宴。男の子の雄蝶(おちょう),女の子の雌蝶(めちょう)の手でお酌をして乾杯。媒酌人のあいさつ、祝宴の食事がはじまり、祝辞、余興とすすみ、親族代表のあいさつ、おひらきで宴は終わります。和風披露宴はその土地土地の風習が取り入れられ、地方色に富んだ宴のようです。

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・席 次

文章んが

 招待客の席順を決めるのも頭のイタイことでう。こちらを立てればあちらが立たず。シンドイことではあります。

 ま、とにかく席順が決まったら席を決めます。洋風披露宴で多いのは、くし形と馬蹄(ばてい)形。メインテーブル右側に新郎、左側に新婦、その両わきに媒酌人夫妻。来客はメインテーブルに近い方が上席で、家族は末席になります。

 和風披露宴では床の間の前に同じように新郎新婦、媒酌人夫妻。新郎新婦に近い方が上席です。女性の場合、年長者から上席に座りますが、ミセスはミスより上席にするそうです。

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・乾 杯

文章んが

 披露宴にかぎらず酒席では、やたらと乾杯をします。乾杯は英語でトーストといい、健康を祝う儀式だそうです。起源は古代に神や死者のために、神酒を飲んだ宗教的儀式だという。それがキリスト教が盛んになるにつれ、キリストや聖母、聖人に乾杯するようになります。そしていつの間にか生きている自分たちの健康のためにするようになっていきました。

 乾杯のときグラスを触れあいます。これはムカシ、客にすすめる酒に毒の入っていない証明として自分もいっしょに飲む習慣があありました。それが次第にこのようになったのだそうです。

 ついでながら、乾杯の時は杯のなかの酒をいきに飲み干します。これにもいわくがあるのだそうです。昔の酒器は貝殻や獣の角でできていました。そのため飲み残すとテーブルの上に杯を置くと不安定でこぼれてしまうからだという。

 イギリスでは乾杯をトーストやプーロージット(おめでたい時)、チェリオ(別れの時)などと使い分けるという。またフランスでは、ブラボー(賞賛)やア・ボートル・サンテ(健康を祝す)なのだそうです。

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・シャンパン

文章んが

 披露宴もたけなわになり、シャンパン(シャンペン)が抜かれ乾杯をします。シャンパンはフランス・シャンパーニュ地方特産の発砲性ワイン。フランスの法律では、ここ以外のものをシャンパンと呼ぶことは禁止しているそうです。シャンパーニュ協会(日本にも日本支部がある)というのがあり、シャンパンの正式名称を「シャンパーニュ」の名を使うよう推奨しているようです。

 シャンパーニュのホーピェー僧院の酒倉係のドム・ペリニョンさんが、ある年、発酵がまだ残っているワインをビンにつめて栓をしておきました。翌年あけて飲んでみると炭酸ガスが酒に含まれ、なんともうまい味になっていました。1694年のことでした。これがこの地方に広まりシャンパンのもとになったものだそうです。

 かつて日本では、これに似せてつくった清涼飲料水を「シャンパン」と名づけて販売していたことがありました。これに対してフランス政府から抗議があり、名前をシャンメリーと変えたこともありました。

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・ウエディングケーキ

文章んが

 ホテルや専門結婚式場などのディナー形式の披露宴には、必ずウエディングケーキが出てきます。乾杯のあと新郎新婦が進み出て、新婦がナイフを持ち新郎が手を添えて、ほんの少しケーキにナイフを入れます。

 ケーキにナイフを入れることが日本で行われるようになったのは戦後からだという。新郎新婦が客といっしょに同じ物を食べるところに意味があるのだそうです。

 そもそもケーキなど多くの菓子は、フランスでもイギリスでも宗教的行事に付随して作られていましたが、次第に商業的発達をとげていきました。果物と香料を十分に使うプラムケーキはキリストへの賢人の贈り物を象徴したもの。ウエディングケーキは、ハニーケーキの子孫になるケーキで、ハニー(ハネ)ムーンという言葉はそこから出たのだそうです。

 ウエディングケーキの由来には諸説あって、結婚式にケーキらしきものが登場したのは古代エジプトにおいてのことともいわれます。現在の形に最も近いウエディングケーキの基本はシュガーケーキで、18世紀にイギリスのビクトリア女王ご成婚のときに登場したのが最初という説もあります。

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・お色直し

文章んが

 花嫁が式服をほかの着物に着がえます。いまは新郎もお色直しをするのが当たり前になりました。そもそもこのお色直し、ナント室町時代までは男女共に行うのが普通だったというから元にもどっているのでしょうか。

 結婚式後2日目までは新郎新婦とも清浄な気持ちで白無垢の着物を着つづけていたそうです。3日目になってお色直し、お互いに贈りあった着物をつけて両親にあいさつをしてまわったという。

 古式では、結婚の式は陰陽2つあげたようで、陰の式では花嫁は白無垢を着、陽の式では婚家の家風に染まるとという意味で色つきの着物にお色直ししたのだそうです。

 お色直しを式の当日にするようになったのは江戸時代からだそうです。明治以後は形式化され、ただのファッションショー。

 なお、お色直しは産後の白装束や白い喪服の着がえにも使われました。

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・婚姻届

文章んが

 法律上正式な夫婦になるには婚姻届を出さねばなりません。いまの婚姻法は昭和23年1月1日から施行されされている民法によっていて、重婚や直系姻族、女性の場合離婚した日から6ヶ月間(寡居期間)の結婚は禁止されています。役所に届けるのは、結婚式の当日にするのが普通。日曜祭日でもどこの役所でもまた代理人でも受け付けるそうです。

 ちなみに世界で最初婚姻届を実施したのはカナダで、1621年、出生届、死亡届などといっしょに制度化しました。

 以下は婚姻届の注意点だそうです。
@新婚旅行中、不慮の事故にあっても婚姻届を出していなければ法律上は他人になってしまいます。A書き損じても大丈夫なよう役所から用紙を余分にもらっておきます。B夫の本籍地に届けるときは婚姻届2通と妻の戸籍謄本(抄本)を1通。C妻の本籍地に届けるときは婚姻届2通と夫の戸籍謄本(抄本)を1通。Dその他の役所に届けるときは婚姻届3通と夫と妻の戸籍謄本(抄本)各1通が必要なのだそうです。

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・戸 籍

文章んが

 婚姻届を役所に出すとその夫婦について新しい戸籍ができます。子どもが生まれ、その子が結婚するとまた別の戸籍ができます。同じ戸籍には、親と結婚する前のこの2代までしか認められていないのだそうです。

 戦前の戸籍は「家」単位、戸籍ではなく「家籍」のようなものでした。戸籍をけがすことは家を汚すこと。戸籍を「離婚」の字で汚すことなどとんでもなきことでした。嫁サンはいくら夫や家人とそりが合わなず離婚したくても、ただただ耐えるのみだったそうです。

 例によって「最初病」。記録では645年(大化元)というからあの「大化の改新」の年、孝徳天皇が戸籍をつくるよう命じたと「日本書紀」に書いてあるのが最初です。

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・新婚旅行

文章んが

 新婚旅行は、明治以後外国から入ってきた風習です。戦後、とくに一般化して最近はハワイ、グアム、ヨーロッパなどは当たり前。日数も4泊、5泊は普通。なかには1週間、10日というゴーカ版ももあります。

 新婚旅行第1号は、明治16(1883)年、井上勝之助夫婦が熱海に行ったのが最初という。東京日々新聞に「新婚まもなき旅行は琴瑟(きんしつ)和調の本(もと)にて西洋にはつねにさするものと聞けり」と出ています。

 明治22年刊の井上円了の「欧米各国政教日記」に、イギリスでは結婚式のあと、二人は旅装をつけて旅行に出る。この旅行のことをホネムーン(甘月)という」とあります。このころはまだ新婚旅行とかハネムーンという言葉がなく、ホネムーンとかホニーモーンといっていました。

 明治28年刊「娘姿十五区」(大橋音羽著)には「いずれ位などある家の令嬢なりしや新婚旅行(ハネムウン)の道中に若い者を羨ましめたるは近ごろか」とあり、やっと新婚旅行の文字があらわれます。明治30年にもなると、続々と熱海に新婚旅行に行くようになり、昭和3(1928)年には東京駅発午後9時15分発の熱海行列車が新婚サンに大人気。新婚旅行列車などと呼ばれるものもあったそうです。

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・里帰り

文章んが

 結婚後、嫁サンが実家へはじめて帰る日です。あくまで嫁サンのことですから、婿入りには里帰りはありません。婿さんが実家に帰っても里帰りとはいわなかったそうです。ムカシは嫁に行っても、農閑期はかなり長い間里帰りして実家の洗濯を手つだったり、夫婦で妻の実家に行き親類などに夫を紹介する宴会などを開いたそうです。

 それが武家社会になると結婚後の嫁は、全生活を婿方に従属させようとするようになります。ひんぱんに実家に帰したり、長期の里帰りはさせなかったという。結婚して3日目あるいは5日目に行われる初里帰りが重要な儀式になっていたそうです。

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・離 婚

文章んが

 「古事記」の中に「コトドヲワタス」という離婚を意味する言葉がでてきます。この神話のなかでは、まだ男神と女神は対等な立場であったようです。

 上代の離婚は、@和離といって夫婦が協議して離婚すること。A義絶といい当時の法律に違反し強制的にさせられる離婚。B棄妻といい、夫が一方的に妻を離縁できる規定もあったそうです。また当時の結婚は夫が妻の所へ通うことで成り立っていたため、夫が行かなくなれば自然に終わったという。

 中世、武家時代になると、家は夫権的な性格が強まり、夫方で行われる嫁入り婚が普及します。嫁さんは夫の家に嫁ぐわけですから、離婚になれば妻が夫の家から出されることになります。当時は「離別」、「暇(いとま)をやる」、「去る」などといって、理由などなく妻を離縁できたという。

 江戸時代は三行半(みくだりはん)という離縁状を妻に渡せば勝手に離婚できたそうです。「其方事我等勝手に付此度離縁し候然る上は向後何方へ縁付候共差構無之仍如件」の文字を3行半に書いたのだそうです。慰謝料などもちろんありませんよ。

 いまでは離婚するのには、夫婦で協議の協議離婚、家庭裁判所での調停離婚、同じく審判離婚、地方裁判所での判決離婚の4つの方法があるそうです。

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(第5章「結婚」終わり)

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