第1章 誕 生
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▼中 扉
【誕 生】 この章の目次
・誕生 蒙古斑 へその緒 血液型 産湯 産飯
・お七夜
・命名 制限漢字 名付け親
・出生届
・宮まいり
・氏神−p11−
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・誕 生
ひとの一生は、やはり誕生から始まります。みんなの祝福と、暖
かいまなざしが待っています。
いままではお母さんのお腹の中。胎盤循環により呼吸し、栄養を
受けていた赤ちゃんは、誕生後は子宮の外でも生活できるよう、体
中の臓器を機械的、器質的に変化させなければなりません。
海の中に住み、陸に上がって現在の人類に変化するまで3億年。
赤ちゃんは羊水という「海」から出て一瞬のうちに進化してしまい
ます。それに比べ、成長後はナントなまけ者に退化してしまうこと
でありましょう。
赤ちゃんは「オギャー」という産声ではじめて肺呼吸し始めます。
しっかりした声は、肺呼吸が十分出来ている証拠です。民俗では、
かつては「ほうきの神」は安産の神サマだという信仰もありました。
−p12−
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・蒙古斑
赤ちゃんの背中やお尻に青いアザのようなものがあります。蒙古
斑です。東アジアの民族に多いので蒙古斑というのだそうです。真
皮の深い所にあるメラニンの色素細胞の色が表皮をとおして見える
ものだそうです。
日本ではウブ神さまや荒神さま、ショウヅカバアサンにお腹から
早く出ろとつねられたものだとか、お腹の中でしたイタズラを阿弥
陀サマに怒られて、やはりつねられたあとだなどというおもしろい
話も伝えられています。
日本人には99%も蒙古斑があるそうです。また、昔は逆に斑の
ない子は、カッパの生まれ変わりだなどといった地方もあったそう
です。
ヨーロッパでも、少数ながら色素細胞があり、蒙古斑のある人も
いるそうです。黒人にもある人もいるらしいのですが、表皮の色素
が多いのでわからないということです。
蒙古斑は日本人では99パーセントもあるといいます。また黒人
にも蒙古斑がある人もいるようですが、表皮の色素が多いので分か
らないのだそうです。
−p13−
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・へその緒
誕生と同時に、お腹の中でお母さんとつながっていたへその緒も
切られます。切るという言葉をいやがって「へその緒をつぐ」とい
うのだそうです。
昔、産まれてくる赤ちゃんをトリアゲバアサン(助産婦さん)が
とりあげたころは、竹刀でへその緒を切るのがしきたりだったそう
です。切ったへその緒は水でよく洗い、紙に包んで水引をかけ、大
切にタンスなどに保存しました。
へその緒は、本人が結婚するとき持たせたり、また死んだとき棺
(ひつぎ)に入れたりもしました。不治の病気にかかったときなど、
それを煎じて飲ませたりしたそうです。いまならへそで茶をわかす
ようなこともしたんですね。
そのほか、夜泣きのまじないだといってへその緒を道に捨てたり、
トイレにつるしたりした所もあったといいます。またへその緒をな
くすと精がぬけるとか、短く切ると小便が近くなるなどといいかげ
んな言い伝えもあったようです。
アメリカの先住民族でも、へその緒を革袋に入れて大切に保存す
ると悪い子にならないという考え方もあったそうです。
−p14−
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・血液型
生まれたばかりのかわいい赤ちゃんの血液型も気になります。特
に日にちがたつにつれ、だんだん隣のご主人に似てきたナンテいう
ときはなおさらです。
ジョウダンはさておき、19世紀までは、ヒトの血液はみな同じ
ものと考えられていたそうです。しかし1901年、オーストリア
のラントシュタイナーがA型、B型、C型(いまのO型)に分類し
ました。
その後1910年(明治43)〜11年(明治44)に、ドゥンゲルン
とヒルシュフェルトという人が、2対の凝集原と凝集素とがあるこ
とを発見、のちヒトの血液はO,A、B、ABの4群に分類されま
した。
血液型の区分の仕方はいろいろありますが、ふつう血液型という
と赤血球型をいい、ABO式血液型もこれに入るのだそうです。ち
またでは、その人の性格で血液型を判断する「血液博士」がたくさ
んいます。「あらこの子お調子ものだからきっとあなたと同じB型
ョ」などといわれたことはありませんか?
−p15−
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・産 湯
生まれた赤ちゃんは、胎脂や羊水で全身がよごれているため、産
湯(うぶゆ)を使わせて体をきれいにします。普通は助産婦さんの
手で行われ、37〜38度C、冬は40度Cくらいの温度が適当なの
だそうです。
ヨーロッパでは産湯のかわりにオイル・バスといい、へその緒が
脱落するまで入浴させずベビーオイルやオリーブ油でぬぐう所もあ
ったそうです。
産湯には特別の井戸や泉の水を使う所もありました。産湯はキリ
スト教の洗礼と同じような意味があり、産湯により、神の加護があ
ると考えたものだといいます。
ムカシは使った産湯を捨てる場所もきまりがあったそうです。捨
てる場所は日の当たらない所や産室の床下など。また方角をみて
決めるときもあったそうです。
誕生して3日目にする湯初めも「ウブユ」と呼んだりしました。
以前は生まれてから湯初めの日まで赤ちゃんを布きれでつつんでお
いて、湯初めのあと、はじめて産着を着せるならわしがあったそう
です。
−p16−
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・産 飯
かつてはお産のあとにご飯をたいて、産神(うぶがみ)さまや、
赤ちゃん、産婦に供え、助産婦さんやお手伝いの人たちにも食べて
もらったそうです。
生まれたての赤ちゃんにまで膳を供えたり、産神と赤ちゃんと同
じお膳だったりするのは、産神に食物の力で赤ちゃんの身と霊をこ
の世につなぎとめてもらおうとしたものだとか。はやくいえば産神
をご飯でつろうというわけです。また一生生活に不自由なく暮らせ
るよう、かつては一升の米を炊いて産神に供えたという。
このお膳に丸い小石を乗せて、赤ちゃんの頭が丸く、早く固くな
るようにおまじないをしたそうです。三角のものはダメだったとか。
西洋ではゲルマン民族などには、初めての食物は赤ちゃんを悪霊
から守るという考え方があるそうです。
産飯のことをウブタチ飯、ウブヤの飯、オビヤ飯などもいうです。
この産飯は、赤ちゃんが女の子だと高盛りの産飯を指でへこました
そうです。こうするとかわいいエクボができるんだとか。なるべく
たくさんの人に食べてもらうのがしきたりだったという。
−p17−
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・お七夜
誕生後7日目のお祝いです。普通この日に命名する人が多いよう
ですが、市役所などに正式に届けるのは14日までになっているよ
うです。
お七夜はムカシは親族や、ご近所の人を呼んで名前を披露、ごち
そうを用意して、お祝いしたそうです。また、この日を「ういで」
「いだしはじめ」「でぞめ」などといい、赤ちゃんに初めて太陽の
光をあてたという。
この初外出には、かまどの神、井戸神、便所の神、屋敷神などの
一風変わった神サマにお参りし、なぜか橋を渡って親類に立ち寄る
風習があったそうです。どんな意味があったのでしょうか。
−p18−
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・命 名
命名は誕生から7日目、お七夜と呼ぶ日に行います。これはサム
ライの時代の風習が残ったものです。以前は尊敬している人や会社
の上司などに名付け親を頼んだりしましたが、いまは自分の子の名
前ぐらいは自分たちでと、出産前から両親が決めているようです。
人の名前もその時代の流行があり、○○子が多かったり、一字名
がはやったりします。ムカシは赤子の死亡率が高かったので、なん
とか丈夫な子どもにと、強そうな獣の名前をつけました。熊吉、
虎之助、丑松、鬼吉、女の子ならとら、くま、たつなどみなそうで
す。
世の中には「姓名学」などというものがあり、字画がどうのこう
のとまどわされます。自分たちでナットクのいった名前をつけるの
が一番ではないでしょうか。姓名判断に7つも流派があり、一つの
名前でもいいとか、悪いとが流派でバラバラで判断の根拠などは
ないそうです。
よい字をあれもこれもと並べて寿限無寿限無(じゅげむじゅげむ)
にするのも、こどもの暗記力の向上によいのか見知れませんが。命
名書は神棚、床の間、赤ちゃんの枕元などにおいておき、産婦の床
上げのときに、へその緒といっしょにしまうのだそうです。
−p19−
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・制限漢字
赤ちゃんの名前にはどんな字を使ってもいいわけではありませ |
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・名付け親
かつては日ごろ尊敬している人や長生きの人、会社の上司などに
名付け親を頼む人も多かったようです。
名付け親は名親、名添え親ともいい、ムカシは命名したことで親
子関係の役割と、赤ちゃんがおとなになるまでの保護を約束する意
味がありました。
また有力者に名付け親を依頼して、その人の力を分け与えてもら
おうともしました。昔の農家、商家、武家などは、名付け親を主人
や領主に依頼したり、成人名をもらったりしました。この場合は、
名前をもらうことで主従の関係をよりはっきりさせようとしたのだ
そうです。
昔はお七夜の正式な名付けとは別に、誕生直後または3日目に、
仮名(かりな)をつける風習があったという。もし仮名をつけない
と地震や雷があったりすると赤ちゃんは口が不自由になってしまう
などといった迷信があったそうです。
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・出生届
誕生したら、14日以内に出生届を役所に届けます。届け出場所
は本籍地か居住地または出生地の市町村役場。これは戸籍法とい
うなにやらムツカシイ法律の第49〜59条ほかに定められていて、こ
の期間を過ぎるといろいろめんどうになるそうです。
用紙は役所や病院にあり、届け出先が本籍地なら1通で、その他
なら2通。その時病院などでもらった出生証明書、母子健康手帳、
認め印が必要だそうです。
届け出義務者は父、母、同居者、出産に立ち会った医師、助産婦、
その他(戸籍法第52条)と順番までテイネイに決められています。
出生証明書は、誕生に立ち会った医者に記入してもらいます。期
間内に役所に届け出をせず催促されても放っておくと過料(最高3
万円)を徴収されるそうです。出生届に書く名前は、いっしょの戸
籍の人と同じ名前は使えません。
嫡出子(ちゃくしゅつし・正式な夫婦の間に生まれた子)は、父
母の婚姻中の戸籍に入り、非嫡出子(正式ではない夫婦の間に生
まれた)は、父母の戸籍がバラバラなので母方の戸籍に入るのだ
そうです。
−p22−
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・宮まいり
宮まいりとはいったいナンゾや?。これは生まれた赤ちゃんが、
その土地の氏神さまに、氏子として認めてもらうためにお参りした
昔の習慣が残っているのだそうです。そのとき、神さまの注意をひ
くために、わざわざ赤ちゃんをつねって泣き声を出させる地方もあ
ります。
宮まいりは生後何日でしょうか。男は30日か32日、女子は31
日か33日だと本によっていろいろです。なかには30日目はトリイ
の所まで、正式には100日目なんてのもあります。結局は、お七夜
から100日目くらいの日和のよい日ということにしているようで
す。
ところでなぜ何十日もたってから宮まいりをするのでしょうか?
それはかつては出産後、ある一定期間は産婦の身体がけがれてい
るとされていました。そのため産婦は、お産の神さま以外の神々か
ら遠ざかっていなければならなかったわけです。
また赤ちゃんの魂もまだ完全に神体についていないと考えたから
だそうです。お宮参りの時は、どういうわけか父方の祖母に抱いて
もらうのがしきたりだそうです。氏神サマ、よろしくお願い致しま
す。
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・氏 神
本来、氏神は同族や一族がまつる一門氏神、またある一定の地域
内の人が集まる村氏神、一軒の家が屋敷の中や自分の山林にまつる
屋敷神に分かれるという。
その字のとおり、もとは家々(氏族)の祖神であり守護神でした。
藤原氏の春日神社、橘氏の梅宮、秦氏の稲荷社、平家の厳島明神、
源氏の八幡社など氏を区別する祖神であったわけです。
しかし、だんだん田の神のことをも氏神と呼びはじめ、氏族のほか、
ひとつの地区・集落の神である村社や郷社の意味にもなってしまい、
いまでは神社の神さまの一種のようになっています。
現在のように転居するのも簡単な時代では、氏子も故郷といまの
居住地と二つの氏神をもつ人、自分が初宮まいりした神社ではなく、
移住地の氏子になっている人などさまざまです。いまでは氏子の観
念もうすれ、近くの有名な神社にお宮まいりに行っています。
−p24−
(第1章終わり)
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