「ふるさと歳時記」 【10月】

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 ▼この章のもくじ
 ・神無月(かんなづき) ・重陽 ・菊の節句 ・おくんち
 ・(5)みくにち ・寒露 ・田の神送り ・サノボリ ・農神あげ
 ・豆名月 ・芋煮会 ・霜降 ・秋祭り

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▼神無月(かんなづき)

 神無月と書いて「かんなづき」。旧暦の10月(11月ごろ)をいっ
た言葉ですが、太陽暦でも通用しています。日本中の神々が出雲(い
ずも)の国(いまの島根県の一部)に行ってしまうので各地の神社
やお宮に神はいないのだといいます。逆に出雲では「神在(あり)
月」と呼んでいるそうです。

 なぜ神々が旅行するという考えが生まれたのでしょうか。もとも
と日本の神さまたちは、神社や祠に1年中いるのではなく、春にや
ってきて、秋に帰るものだったそうです。

日本には「神去来」の伝承というものがあります。もともと日本
は農業国。神といえば農神(田の神)を指していました。春、農作
業がはじまるとき、神が天または山の上から下りてきて稲の生育を
見守り、秋にその収穫を見とどけてふたたび天に帰っていくという
考え方です。

 この伝承が、暦と結びついて、神のいない月・「神無月」の思想
ができてきたのではないかといわれています。あとになり、神が天
または(山の上)に帰るというのを「伊勢の大神宮に集まっている」
とか、「出雲に縁結びの相談に行く」とこじつけたのだといわれて
います。おまけに、神が全然いないのも不安なので「荒神さまだけ
は留守番で残る」などといわれるようになりました。

 神々が伊勢神宮に旅行をするという話については、兼好法師は「徒
然草」のなかで、世間では、神々が伊勢大神宮へ集まるなどという
が、いままでそんなことを書いた本もないし、根拠がない話だと書
いています。当時は、神は出雲ではなく伊勢に集まるとされていた
のですね。

 農作物の収穫行事の「イノコ」や「トオカンヤ」が盛んに行われ
ますが、これも農神と関連があるのだろうといわれています。

 そのほか、この月は新しくとれた穀物を神々に供える月であり、
「神嘗月(かんなめづき)」、「神奈月(かんなづき)」または「神の
月」が、「かみなづき」になり、神無月に転化したのだろうとする
説もあります。

 また、旧暦の10月は翌月の新嘗の準備として新酒を醸す月である
ため「醸成月(かみなんづき)」からきているもので、神無月は当
て字だとする説もあります。(01)

 

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▼ 重 陽

 かつて数の奇数は、陽(明るい)数字、偶数は陰数字という考え
方がありました。その中で1の位の一番大きい数字が9、それが重
なる9月9日は特別めでたい日だとされ、陽が重なる「重陽・ちょ
うよう」とか「重九」と呼んで祝いました。菊の節供、お九日(く
んち)などともいっています。

 中国では気品のある菊の花と香りが邪気をはらい、寿命をのばす
と考えられ、菊洒を飲む習慣があったという。それが日本に伝わり、
旧暦の9月9日に行うようになったのがもとという。重陽にはクリ
ごはんを食べたり、甘酒まつりをするところもあります。農家はモ
チをついて祝います。

 重陽の節供は五節句(五節供)のひとつでもあります。五節句と
は人日(じんじつ・正月7日)・上巳(じょうし・3月3日)・端午
(たんご・5月5日)・七夕(しちせき・7月7日)・重陽(ちょう
よう・9月9日)をいうそうです。

 昔から「節句働き」という言葉があり、節句の日には農作業など
の仕事を休む習慣があります。重陽の節供は最も早い収穫祭なのだ
そうです。

 クニチにオをつけて「オクンチ」ともいい、9日だけではなく19
日、29日もみなそうで、総称してミクニチ(三九日)。最初のクン
チ(マエクンチ)は菊の節句で神の九日ともいい、昔は赤飯に菊の
花を供えるところもあったそうです。このころは稲作の熟期の判定、
種もみとり、刈り取り、乾燥、脱穀、秋野菜の追肥と病害虫防除な
ど農作業が続きます。(02)

 

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▼菊の節句

 昔、中国の山中に大きな菊があり、その滋液が谷川の水にしみて
甘美な味がしこれを飲む下流の村人は、みな長生きしたという伝説
があります。この説話が日本に入り、更に話が大きくなり、周のぼ
王の待童が菊の露を飲んで不老不死になったという菊待童の伝説も
生まれます。

 そんなことから、菊は花の気品の高さと芳香が、邪気を払い寿命
をのばすのだと考えられ、重陽には酒に菊の花を浸して飲む風習が
生まれました。重陽とは、陽の数の九が重なる陰暦9月9日をいい、
この日はとりわけめでたいとされています。季節の花の菊を酒に浸
して飲むところから菊の節供とも呼ばれます。

 中国漢代のころから、酒の中にキクの花を入れて飲む風習があっ
たともいわれています。(03)

 

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▼おくんち

 長崎オクンチ、唐津オクンチなど有名なオクンチ祭り。オクンチ
は「お九日」で、秋祭りの陰暦9月9日の重陽の日に、「御」をつ
けていったもの。農家はモチをついて祝います。

 九日だけではなく19日、29日もみんなオクンチで、総称してミク
ニチ(三九日)と呼びます。最初のクンチ(マエクンチ)は菊の節
句で神の九日ともいい、昔は赤飯に菊の花をそえ、若夫婦が里帰り
をしたそうです(長野県)。

 ドブザケを供え一日中飲んだくれる地方もあったとか(岐阜県)。
19日のチュウクンチは麦まきの目安にしたところもあり(長野県)、
29日のアトクンチを祝う農家も多かったそうです。

 またこの日に食べるナスをミクニチナスとかとクンチナスとい
い、なぜかこれを食べると病気や中風にかからないといわれます(茨
城県、埼玉県)。

 青森県では29日をカナゼック(刈り上げ節句)といって、田の神
さまがモチを背負って山に帰る日だという。福島県では田の神のお
使いのカエルがみやげのモチを背負って行くのだともいいます。

 岡山県では菊節句の夜、丸いものなら家の外の何を盗んでもよい
という風習があり、子供たちはカキやナツメを盗んで食べたりした
そうです。一方、京都では九(苦)の重なる厄日だとして一日仕事
を休んだ所もあったそうです。

 また「月の光で一五歳の女の子が袋物を縫うとよい」とか「月の
光で本を読めば利口になる」などといった岡山市のような例もあり
ます。(04)

 

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▼みくにち

 長崎オクンチ、唐津オクンチなどで聞きなれたオクンチ(お九日)
は重陽の日(陰暦9月9日)を秋祭りの日とする風習から尊んでい
ったっもので農家ではモチをついて祝う重要な日だったそうです。

 9日だけでなく19日、29日をみんなオクンチといい、総称してミ
クニチ(三九日)と呼んだという。最初のクンチ(マエクンチ)は
菊の節句で神の九日ともいい赤飯に菊の花をそえて若夫婦が里帰り
をしたり(長野県)、ドブザケを供えて一日中飲んだくれるところ
もあったという(岐阜県)。

 19日のチュウクンチは麦まきの目安(長野県)で29日のアトクン
チを祝う農家も多いようです。またオクンチにナスを食べると病気
や中風にかからないといい、ミクニチナス(茨城県)とかクンチナ
ス(埼玉県)と呼んでいます。

 青森県では29日をカナゼック(刈り上げ節句)といいますが、こ
の日は田の神さまがモチを背負って山に帰る日だとか、福島県では
田の神のお使いのカエルがみやげのモチを背負って行くのだという
そうです。

 岡山県では菊節句の夜、丸いものなら家の外の何を盗んでもよい
といい、こどもはカキやナツメを盗んで食べたそうです。京都では
九(苦)の重なるため厄日だとして仕事を一日休む風習があったと
いう。

 またこの夜、「月の光で15歳になる女の子が袋物を縫えばよいこ
とがある」とか「月の光で本を読めば利口になる」などという所(岡
山市)もあったそうです。愛媛県ではオモウシノセック(お申しの
節句)といい、特別に明神様をまつって長生きを祈ったそうです。
(05)

 

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▼ 寒 露

 カレンダーの10月7、8日の欄に「寒露」と書かれています。「寒露
(かんろ)」は、1年を24に区切ってそれぞれにその季節にふさわ
しい名前をつけた「二十四節気(せっき)」の1つ。

 次第に秋が深まってきて、露が冷たい空気にあたり、凝結して霜
になるころ。野の草についた冷たい露が「寒露」。野山は晩秋の気
配につつまれ、朝晩、そろそろ肌に寒気も感じられます。

 『改正月令博物筌』という本には「露凝(むす)んで霜とならん
とするゆゑ、寒露と名づく」とあります。また江戸時代の『暦便覧』
には「陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすればばり」と解説し
ています。

 このころは、五穀の収穫もたけなわ。混ざり穂抜き、稲刈り、乾
燥、脱穀、種もみ取りと農家は忙しい毎日をおくります。

 稲穂が黄金色に実った「稲穂田」。
「家をめぐる広き稲穂田次々に刈られゆきつつ冬近づきぬ」(清
和/松村満雄)

 いまは自脱式コンバインにより、刈り取りと脱穀を同時作業して
しまうのが大半ですが、それでも小さな稲田では、手刈りやバイン
ダーで刈り取っています。

 刈り取ったばかりのもみ米は、20〜25%もの水分を含んでおり、
脱穀には水分を14%以下にしなければならないため、地面にならべ
る「地干し」や杭や棒、竹などでつくった稲架(はさ)に干したり
します。

 「寒露」は太陽の黄経が195度になった時で、秋分から15日め。
立冬までの15日をさらに細かく分けた「七十二候」というものはり
ます。

 初候、二候、三候の3つに分け、初候(鴻雁来・かうがんきたる)、
二候(菊開花・きくくはひらく)、三候(蟋蟀・しっしゅつ・コオ
ロギ)在戸)ころだと解説しています(『宝暦暦』)。これは中国の
七十二候を日本の風土に合わせて解説しなおしたものだそうです。

 しかし日本は南北に細長い国。北と南では気候が違います。そこ
で現代では北日本、中部日本、西日本の3つに分け、それぞれの解
説をしています。

 北日本では、初候を初霜、二候をカエデ紅葉、三候を畜舎防寒。
また中部日本では、ガン渡来、キク開花始め、カモ渡来の順。西日
本では、山羊種付け、サツマイモ収穫、ツル渡来のころだとしてい
ます。(06)

 

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▼田の神送り

 春、農作業がはじまるとき、山上から山ノ神が田の神になって里
に降りてきて(農神おろし、サオリの行事をする)、田畑を守護し
稲作のでき具合を見守り、秋、さくもつの収穫を見とどけふたたび、
山の神になって田畑から山に帰るというおなじみの神去来の伝承が
あります。

 「田の神送り」はその田の神が、山に帰るときの祝いの行事です。
神へのねぎらいと感謝の祭りで、餅をついたり、あずきご飯を炊い
たり、だんご、甘酒、おはぎなどを供えます。

 田の神は、作神、農神、作り神とも呼ばれ、田の神を見送る行事
は、「田の神送り」のほか地方によって「神刈り上げ」、「刈り上げ
節供」、「ノウガミアゲ」などとも呼ばれます。

 この行事は、神々が旧暦10月の神無月に出雲へ出かける前に稲刈
りをして、新米を神へ捧げるお弁当にする行事だという。しかし、
昔は稲の収穫も遅く、まして近世では農民は少しでも多く収穫でき
る晩生の稲を好んで栽培したため、地方によって農作物のでき方が
違い、神無月前までに収穫できないところも出てきます。そのため、
それぞれ地方によって行事の日が違ってしまいました。

 関東、中部、九州地方では、神無月前の旧暦9月9日、19日、29
日の「ミクニチ」を祭日にしています。しかし、北の方ではミクニ
チを収穫祭にするには早すぎて、10月に入ってからになってしまう
ところもありました(東北の一部ではミクニチのひとつ29日を祭日
として稲を取り入れてしまう習わしにしてしまっている地方もある
とか)。

 こんなことから、神無月の八百よろずの神が出雲への旅に立つと
いう信仰の原型は、この田の神送りから発達したという説もありま
す。

 このお祭りには、臼の上に箕のをのせて、そこにもちとダイコン
を神に供えます。また、田の神の使いのカエルがそのもちを背負っ
て神といっしょに山へ帰るのだという言い伝えもあります。

 秋まつりは、もともとは田の神を山に送る行事でしたが、いつか
ただの収穫祭のように考えられ、トオカンヤ、イノコ、オクンチな
どの行事に変化していったのだということです。

 なお、同じ田の神を祭るのに、農家の主人が裃をつけ、二股ダイ
コンを田の神にみたて、家に迎え風呂に入れてもてなす、富山県の
「アエノコト」という行事もあります。(07)

 

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▼サノボリ

 昔から言い伝えられてきた農村の信仰に「田の神去来野の伝承」
というのがあります。春になり、稲作の準備作業がはじまると、山
の上あるいは天から、山の神が降臨し田の神となり、農作業の進み
ぐあいを見守り秋に収穫が終了すると、ふたたび山上または天に帰
るというのです。

 その時、田の神送り、ノウガミアゲ、サノボリといわれる感謝の
収穫祭をし、神が帰って(登って)行くのを見送るという。

 神が降りてくるいわれる初春には「サオリ」という行事をします。
サは田の神のことで神が降りてくる意味だという。

 田植えに関係のある月のサツキ、また早苗、早乙女、五月雨など
の「サ」はみな稲をつかさどる神の意味だとする説もあるほどです。
 そして田植えが終了した時点でもサノボリ(サナブリ)というお
祝いをする所もあります。

 稲収穫後の収穫祭のサノボリ、ノウガミアゲなどの祭りには「く
んち」、「トウカンヤ」、「イノコ」、「カカシアゲ」などいろいろな行
事が行われます。いずれも田の神さまに感謝をする祭りで、神棚や
床の間、土間、納戸などに、稲束、ダイコン、餅などを供えます。

 北九州地方の農村では、収穫が終わると、田んぼに刈り残してお
いた稲株数株を農家の主人が刈り取って、束にして家に持ち帰り土
間に臼を置いて祭壇をつくります。その上に稲束と赤飯などを供え
て田の神を祭るという。昔の人は、田んぼから最後に刈り取った稲
束の中には田の神さまが宿っていると考えたようです。

ちなみに農作業始めに行われるサオリやサノボリ(サナブリ)に
は、田んぼや家のところに木の葉を敷き3把の苗、餅や昆布、酒な
どを供え、赤飯をたいて田の神を祭ります。

 また、ボタモチやかきまぜずしをつくり、サオトメをもてなす地
方もあります。千葉や埼玉では荒神さまに苗を3束、またくだもの
を供えたります。農具に苗を供え、お神酒をかけたりもします。

 北陸、中国地方では「シロミテ」といって、シロは植え田、ミテ
は完了の意味だとか。サナブリには個々で行う「家サナブリ」と、
村全体の終了を祝う「村サナブリ」があります。(08)

 

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▼農神あげ

 秋、稲の収穫が終わると「農神上げ」の行事を行う地方がありま
す。農神とは「田の神」のことで農業をつかさどる神だといいます。
昔から「神去来」という伝承があります。

 春、農作業がはじまる前に、山の上から山の神が里に下りてきて
田の神になり、田畑の農耕を見守り、稲の生長を助けるという。そ
して秋の農作物の収穫を見とどけてからのち、農地からあがり山の
神になり、再び山に帰るという伝承です。田の神が下りてきたとき
祝う「サオリ」という行事もあります。

 農神は、作神、作り神などとも呼ばれ、文字どおり農業を守護す
る神さま。1年間の農作物を守護くれた神に対し感謝し、ねぎらう
のが「農神上げ」の行事なのだそうです。一種の収穫祝いです。

 この収穫祝いの行事は、地方地方で田の神送りとか神刈り上げ(新
潟県)、また刈り上げ節供ともいいます。この日にもちや赤飯、だ
んご、甘酒、おはぎを供えるところもあります。

 祭りの期日は農作業の進み方で、地方により違い、北の秋田・新
潟県のように旧暦9月のミクニチと一緒になるところもあります。

 農神上げなど農の神に感謝をする行事は、八百万の神々が出雲へ
出かける旧暦10月(神無月)を前にして、稲を刈り新米を神へ捧げ
ます。

 昔は稲の収穫も遅く、地域によって稲の収穫期が違い、神無月の
前までに間に合わない地方も出てきます。したがって、それぞれ地
方にあう日にちに行われるようになりました。

 また神無月に八百万の神々が、出雲へでかけるという信仰の原型
そのものが、この農神を送るという行事から発達したのだという学
者もいるそうです。(09)

 

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▼豆名月

 陰暦8月の15日は十五夜で、季節の芋を供えて月見をするので芋
名月といいます。これに対し、陰暦9月13日の十三夜は豆や栗を供
えるので豆名月、芋名月なのだそうです。

 十三夜の月見の最初は、平安時代前期だというから古い。延喜19
年(919)に清涼殿で月見の宴が催されたという。

 8月の十五夜の月見をすれば、9月の十三夜も必ず月見をするも
のだといわれ、どちらか一方を見ない「片月見」は、昔は災いがく
るなどと、東京地方ではいったとか。

 月見の供え物は、どの畑のものをとってもいいといわれてきまし
た。この盗みはもと、こんややってくる神に盗まれた……つまり、
神が自分たちの作物を受けとってくれたと理解し、喜ぶのだといい
ます。

 この月見を「月待」ともいいます。以前は、大勢が集まって、飲
み食いを共にして月の出を待ちました。マチとは祭りの意味で十三
夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜などに多く、二
十三夜塔を 建てたりしました。(10)

 

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▼芋煮会

 秋の季候のよい日、河原に家族や知人があつまってのいも煮会。
みんなで石をあつめてかまどをつくり、河原に散らばっているたき
ぎを燃やし、持参した大きな鍋をかける野外料理。

 それぞれが思い思いに腰をかけ料理をほおばっています。真ん中
に一升びんがならび、笑い声が山々にこだまします。秋のひとつの
風物詩です。

 いも煮会はもともと山形県の郷土料理だったという。「いもっこ
汁」ともいい、だし汁に、サトイモ、コンニャクを入れて煮て、牛
肉の薄切りとネギを加え、しょうゆ、酒、さとうで味つけをします。
米沢地方ではキノコ、豆腐などを入れ、味噌味にすることが多いと
いう。

 そのいも煮会の起源については、いろいろな説があります。かつ
て、最上川の船頭たちが、川を上り下りする合間に河原で食べてい
た料理がはじまりだとするもの、また山形城主が開いていた、夜宴
の会の料理のなごりだともいわれています。

 そのほか農作物の収穫も終わった旧暦の10月1日は、田の神の祭
の日。春からずっと稲作の出来具合を見まもってきた田の神が、山
にもどるに際して神棚に、新米でついた餅と新いものサトイモを供
えます。

 その供えものを下げて料理し、収穫の無事を感謝して神とともに
料理を食べる風習があった。この料理がいまいも煮会として残って
いるのだという説もあります。(11)

 

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▼ 霜 降

 二十四節気に霜降(そうこう)というのがあります。毎年10月23
日ごろにあたり、立春から始まって二十四節気の18番め。

 霜降とは文字の通り、秋もそろそろおわり「霜がおりる」ころと
いう意味。太陽の黄経が210度に達した時をいいます。

 二十四節気をさらに三つに区切って、1年を72に割った72候では
弟52〜54にあたります。弟52候は「霜はじめて降りる」で、弟53候
は「小雨時に施す」のだそうで、弟54候は「キリやツタの葉が黄ば
む」と名づけています。

 季節とのずれができる旧暦では、それぞれにふさわしい名をつけ
て、農作業の目安にしていたのだそうです。(12)

 

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▼秋祭り

 稲の取り入れも終わり、ことしも豊作だったことを感謝して田の
神(稲の神)をまつるのが秋祭りです。観光としての秋祭りもあり
ますが、それは別にしてむらの秋祭りは、鎮守さまの参道に旗を立
て、境内で笛や太鼓でにぎやかに祝います。

 秋祭りの行われる時期は、もともとは稲の収穫後というのが本来
だったようです。日本に稲作が入ってきたころの品種は早稲だった
とする説もあり、大昔の収穫祭はもっと早い時期ではないかともい
われています。

 さらに1872年(明治5)、長年使っていた旧暦(太陰暦)を太陽
暦に改めたとき年中行事などを旧暦で行うか、新暦で行うかで大混
乱。また栽培技術の発達で稲の収穫が早くなり秋祭りの日取りもバ
ラバラになっていきました。

 そんなことで現在は必ずしも収穫直後ではなく、いまでは9月か
ら11月といろいろ行われるようになっています。しかし、その意味
は変わりません。

 田の神は春、稲作作業開始に先立ち、山の上あるいは天から降り
てきて農作業、稲の成長を見守ってくれてきました。村人は新米で
作った新酒やとりたての作物を供え、村中の人で飲食しました。

 神への供え物をさげて、みんなで食べるということは神さまと一
緒に食べることになり、神をもてなす意味があるのだそうです。

 「秋」というのは「飽き食い祭り」からきた言葉だという説もあ
り、神前で飲食することが祭りの主眼だといいます。つまり「食い
祭り」なわけです。

 秋祭りにはむらのなかをおみこしをかついで廻ります。おみこし
をもみながら村中を廻る意味は、神さまの力を自分たちの村内にば
らまき、悪霊を追い払い、外から疫病が入ってこないようにし、ま
た来年もかわらず豊作になるように願います。

 秋祭りは、いろいろな形で行われます。旧暦9月9日のオクンチ
祭り10月ごろの刈り上げ祭り、ノウガミアゲ、田の神送り、サノボ
リ、旧暦10月10日ころのトオカンヤ、イノコ、カカシアゲなども秋
祭りのひとつだそうです。(13)

 

(10月終わり)

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