「ふるさと歳時記」 【4月】

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 ▼この章のもくじ
 ・卯月(うづき) ・清明 ・花見 ・山行き
 ・ナシの花 ・卯月八日 ・灌仏会 ・花祭り
 ・(9)甘茶 ・(10)てんとう花 ・(11)おぼろ月 ・(12)苗代
 ・(13)水口祭り
 ・(14)穀雨 ・(15)ワラビ採り

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▼卯月(うづき)

 卯月(うづき)は旧暦(明治のはじめまで使っていた月の動きを
もとにしたこよみ)の4月のことですが、太陽暦の4月をも「うづ
き」といって通用させています。いまのこよみの太陽暦の5月ごろ
にあたります。

 日本で最初に普通語で書いた国語辞書「大言海」(大槻文彦著・1
932年〜37年刊)という本には、月々12ヶ月の呼び名(むつき・き
さらぎ・やよいなど)は、すべて稲が生長していく様子をあらわし
ているものだとしています。「うづき」は稲の種(モミ)を植える
月、植月(うつぎ)」の意味だといっています。

 また、同じように「うづき」は、ナエウエヅキ(苗植え月)が転
化したとする辞書「広辞苑」もあります。

 『古事記』に、神功皇后がアユを釣ったときが「4月上旬」だと
あり、これを本居宣長が「ウヅキノハジメノコロ」と読ませていま
す。この時代には「卯月」の字は使っていなかったといい、いまの
ように書くようになったのは後の世のことだという。

 いま「うづき」というと、『奥義抄』(藤原清輔)や『和訓栞』(谷
川士清)、「類聚名物考」などの本では、卯の花(うのはな)の咲く
月というのが一般的になっています。卯の花は初夏に白い小さな花
をビッシリと咲かせるウツギの花。歌にもうたわれている、♪う〜
のはなのにおうかきねに〜……の「卯の花」です。

 しかし、卯の花がいくらきれいでも、1年12ヶ月のなかで、たっ
たひとつ月の名になるほどのものではありません。こんなことから
「うづき」に咲くから卯の花というので、卯の花が咲くから卯月と
いうのではないと、新井白石が『東雅』という本の中でいっていま
す。

 また、厳密には卯の花の咲く時期は、卯月より少し遅れ気味で、
万葉学者を困らせているという。しかしこれは中国と日本の季節の
遅れが原因であろうとされています。

 いずれにしても田んぼの耕起や整地からはじまる農作業に農家は
忙しくなります。(01)

 

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▼ 清 明

 カレンダーやこよみの4月5日ころのところに清明(せいめい)
という字が書かれています。これは二十四節気のひとつで、春先の
いきいきした清らかなようすをいった「清浄明潔(せいじょうめい
けつ)」という語を略したものだといわれています。

 二十四節気は1年を24に分けてそれぞれの季節にふさわしい名
前をつけたもの。昔の暦では季節と無関係な月日が決められていた
ため、実際の季節とずれたりするのをおぎなうために考え出された
のだそうです。

 清明は、地球から太陽を見た時の太陽の軌道(黄道)が15度の
時をいっています。二十四節気をさらに3つに分け、1年を72等
分して季節にあった名前をつけた七十二候では、清明は第十三候か
ら第十五候に当たります。

 第十三候は太陽暦の4月5日から9日ごろをいい「玄鳥(つばめ)
来る」ころ、第十四候は10日から14日ころで「雁(かり)北に行
く」ころ、第十五候は15日から19日ころで「虹始めてあらわる」
ころだとしています。(02)

 

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▼ 花 見

 農業国であった日本では、農作業をはじめる時期に先立ち、身を
清めるため祓(はら)えの行事がいろいろな形で行われました。

 花見もそのひとつの行事だったのだそうです。花見とはもともと
決まった日にむらをあげて行う神聖な行事。

 かつては花見の日には家の中に残っていてはいけないシキタリが
あったのだそうです。これは各地で行われる磯遊びや山行きと同じ
で、水辺や山野に出かけて身を清めます。

 一般に関東では卯月(4月)8日を花見の日としたそうです。山
の上にある有名な神社が、4月8日を春のお祭りの日とするところ
が多いのは、この日に一般の人たちが花見や山遊びの祓えの行事を
行った証拠なのだそうです。

 関西では3月3日の桃の節供またはその翌日の4日に行われたと
いう。とくに4日をシガの悪日などといいました。シガは4日のこ
とで、またこの日、大勢山に登るため鹿が驚くので「鹿の悪日」な
どともいったそうです。

 青森県では4月8日をシガヨウカといい、弁当を持って薬師如来
におまいりに行くという。岩手県では花見八日(ようか)とよび、
ここでもなぜか悪日だといい、山に花見に出かけます。この場合悪
日というのは物忌(い)みをする日のことだという。千葉県海上郡
のように旧暦の4月の中旬のなかでよい日を選び「花見正月」とい
うお祝いをします。かつては早苗のとりはじめをしたそうです。

 このように身を清めるためにむら人こぞってご馳走を持って山に
登り、陽気のよい日1日を過ごす行事が、次第に個人個人が集まっ
て都合のよい日に花を見るのが目的で出かけるようになってきま
す。

 福島県会津の伊佐須美神社の花祝祭りは、境内の中の名木の下で
行われるが5月初旬とするだけで日にちは決まっていないという。
これは個人が自由な日に行うようになってきた過程のひとつなのだ
という。

 このように神聖な行事もいつしか花よりだんご、いまの花見のよ
うに飲めや歌えのドンチャン騒ぎになってしまったということで
す。(03)

 

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▼山行き

 毎日が暖かくなり野山の草木が萌えはじめると、なんとなく気分
もウキウキし、弁当や飲み物を持ち、近くの山に登って草花の花を
見ながら食事をします。これは昔からあったという「山行き・山遊
び」という行事のなごりなのだそうです。

 所によって「山いさみ」とか「山見」、「山磯遊び」などといい、
旧暦の3月3日または4月8日と日を決めて行う、村をあげての行
事だったそうです。

 ムカシは田植えの始まろうとするころ、若者たちは野山にこもり
物忌(い)みをし、それにより男は田の神とし、娘たちは巫女(み
こ)として資格が得られると考えました。

 また、山から取ってきた花を仏壇に供えたり、屋外に高い竿を立
て、その先端にいろいろの花(藤、ツツジ、シャクナゲ、ウツギ、
ヤマブキ、シキミなど季節の花)の束を結び付けて立てたりします。

 それを夏花(げばな・和歌山県)とか高花(兵庫県)立花(大阪)、
天道花(中国・四国地方)などといいます。

 この日をソーリという所もあります。ソーリはサオリのなまった
もので、サ(神)が降りてくる日意味。田の神が降隠する日なのだ
といいます。屋外の花は、この日降臨する神さまに供えます。

 徳島県剣山山麓地方では、4月8日を「山いさみ」といい、海の
見えるような高い山に登るそうです。4月8日の山行きの日には田
畑の仕事をしてはならないという所も多くあります。「卯月八日に
種まかず」ということわざも長野県などにあるそうです。いわき市
では、この日を神の日だといって田に入らないう。

 この田の神を迎えて祭りを行うその忌(いみ)の日がサオリなの
だそうです。今まで山高く、または空のあなたにおられた神が里に
降りてきて田を守ってくれるという信仰で、高山のに登るのは、神
をお迎えする意味だともいいます。稲作に着手しょうとするいまの
時期、神と祖霊を祭ります。(04)

 

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▼ナシの花

 お花見が終わり、ヤエザクラがほころび始めるころ、ナシ畑がナ
シの花で真っ白に染まります。生け垣に囲まれて見えづらいのが残
念です。

 ナシの花は径3センチから4センチで、5個から10個ほどの花が、
短枝の先に散房花序状(下の花の柄が長く、上の花の柄が短く、花
が平にならんでいる状態)についています。花弁は5枚で、丸く波
のようなシワが寄っています。雌しべは5本で、それぞれ元のほう
まで分かれています。雄しべは20本もあり、やく(花粉を作るとこ
ろ)は紫色をしています。

 日本のナシは、中国の野生種のヤマナシから作り出されたものだ
という説や、日本原産のヤマナシを改良したものだという説があり
ます。ちなみにナシの果実は、花托(花を付けている柄の先)が発
達した、偽果なのだそうです。

 日本でナシが全国的に普及するのは、明治時代に作出された長十
郎と二十世紀の功績が大きい。鳥取県の県花に制定されています。(05)

 

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▼卯月八日

 「卯月八日は花よりだんご」もと陰暦4月8日の行事だが新暦に
なってからは4月または5月の8日に行う所があります。

 この日はお釈迦さまの誕生を祝う仏教的な意味が強いですが、初
めはそんな外来の文化とは無関係だったとも。

東北には山見の行事があって、岩手県北上市では国見山に登り、
宮城県石巻市せは上品山で弁当を食べ、酒をくむ(ノウガケ=野が
け)。山形県や福島県にもタカヤマ(高い山)という行事があるそ
うです。

 また各地で薬師さまにおまいりする風習もあり、豊作を祈り裁縫
がじょうずになるよう飾り鞠を供えます。

 きょうオヨウカは「一人っ子売っても子のない時は片袖売っても
白いモチをつけ」(福島県)ともいわれ、群馬県安中市、碓氷郡あ
たりでは「お釈迦さまのハナクソモチ」をつくるならわしがありま
す。

 関西方面では高花とか天道花とかいって竿の先にシャクナゲ、ベ
ニツツジなどをむすび、庭先に立てる。高く立てれば生まれる子は
男だとか、鼻の高い子が生まれるといいます。(和歌山県)。

 静岡県や和歌山県ではこの日、半紙に墨で「ちはやぶる卯月八日
は吉日よ、神さげ虫を成敗ぞする」と書いて便所に貼れば不潔な虫
はたちどころに死滅するそうな。

 潅仏会を花まつりというのはもと浄土宗が使ったのを各宗が採
用、子どもにふさわしいので一般的になったのだということです。(06)

 

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▼灌仏会

・(7)灌仏会・灌仏会
 4月8日は、花まつり、灌仏会(かんぶつえ)です。灌仏の灌は
注ぐことだそうで、仏さまに甘茶を注ぎます。この日はお釈迦さま
の誕生日といわれ、それを祝って花御堂(はなみどう)の中に誕生
仏を安置し、竹の柄杓(ひしゃく)で頭から甘茶を注ぎます。

 これは釈迦が「天井天下唯我独尊」と宣言して生まれた時、九つ
の竜が天から清浄の水を吐き注いで、産湯を使わせたという伝説か
らきているものだそうです。

 インドでは灌仏会は日を決めなく、いつでも行っていたとかで、
とくに4月8日としたのは、この行事が中国に伝わってからといい
ます。日本では、606年推古天皇14年4月8日が初めてだと『日本
書紀』には書かれています。なお、お釈迦さまの誕生日は2月8日
という説もあるそうです。(07)

 

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▼花祭り

 4月8日の花まつりというとお釈迦さまの生誕をお祝いする日で
す。いろいろな花で飾った小堂のお釈迦さまに頭から甘茶をそそぐ
あの灌仏会(かんぶつえ)です。

 この灌仏がこの日行われるようになったのは仏教が中国に伝わっ
てからだということです。本家本元のインドでは日にちを決めず、
いつでもよかったわけですね。日本では推古天皇14年(606)4月
8日に「元興寺において斎を設け、これより歳ごとに設く」という
意味のことを「日本書紀」(巻第二十二・推古天皇14年夏4月の条)
にあり、これが最初ではないかという人もいます。

 そのムカシ、お釈迦さまが生まれた時のこと、一天にわかにかき
くもり現れ出し、九頭の龍、口から清い水を吐きそそぎ産湯をつか
わせたという。この伝説から灌浴には甘茶をかけるが、正式には五
香水とか五色水という五種の香水を用いるのがほんとだとか。甘茶
を使いだしたのは江戸時代になってからだそうです。

 この甘茶を、どういうわけか寄生虫やムカデなど害虫を防ぐとい
われのんだり庭にまいたりします。熊本県では頭から足の先まで甘
茶をぬりたくり無病息災を祈ります。

 花まつりにはオシャカッコゴリ(山形県)やハナクサモチ(長野
県)を作って食べる所や、兵庫県のように高い竿の先に花をむすん
で庭に立てる高花や天道花をお釈迦さまに供えたりして、農家は仕
事を休む。

 なお、お釈迦さまの誕生日には4月8日と2月8日の二つの説が
あります。(08)

 

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▼ 甘 茶

 4月といえば花まつり。4月8日の灌仏会には、お釈迦さまの立
像に甘茶をそそぎます。

 そのルーツは中国らしく、中国6世紀の年中行事の本『荊楚(け
いそ)歳時記』に、お釈迦さまがインドのルンビニ園で生まれた時、
八大竜王が喜び産湯に天から甘茶水を降らせたと伝えています。

 初めは甘茶ではなく、室町時代には単に湯や、香湯をかけていま
したが、甘茶の香りと味が好まれ、江戸時代になって代用されるよ
うになったのだそうです。

 材料はその名も植物のアマチャ。ユキノシタ科の落葉低木で、葉
を乾燥して煎じたもの。ちなみに甘味成分はD・フィロズルチンと
イソフィロズルチンという結晶性物質なのだそうです。(09)

 

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▼てんとう花

 旧暦4月8日の「花祭り」と同じ日に、高い竿の先にいろいろな
花を結びつけ、庭先に立てる風習があります。てんとう花(天道花)
という行事だそうです。

 近畿から西に多く、地方によりいろいろな呼び方をしています。
兵庫県南部では高花といい、お釈迦さまにあげるのだとしています。
翌日これを降ろして雨のかからないところにしまっておき、火にく
べて落雷除けにするという。

 大阪の和泉地方では立花と呼んでいます。八日花というのは奈良
県高市郡。竿にわらじを吊すと脚気のまじないになるといいます。
京都府や大阪府下でも八日花というところもあります。和歌山県有
田郡では竿を高く立てると男の子が産まれるなどとしています。

 竿につける花は土地によって違いますが、フジ、ツツジ、シヤク
ナゲ、ウツギ、ヤマブキ、シキミなどで、竿も高ければ高いほどよ
いとされます。これは山の上から山の神が農神になって降りてくる
「神去来の信仰」のをお迎えする行事だといいます。

 花の塔、花の撓(とう)、花の頭、花の当と書いた祭りもたくさ
んあるそうです。とくに名古屋市熱田神宮の「花の撓」は有名で、
いまでは豊年祭りとして5月8日に行われているようです。農人形
を境内の東西に飾り、東の人形を米作、西の人形を綿作と蚕の出来
具合とし、参詣人はその人形の形で豊凶を占うのだという。

 津島市の津島神社では、いまでは5月15日から1週間、「花の撓」
の神事があり、人形や農機具などの模型が飾られます。「花の撓」
を正月の年占いの神事として行っているのが岐阜県の伊奈波神社。
旧の正月の晦日に境内に農耕、養蚕の様子をあらわした農人形を飾
り五穀豊穣、養蚕守護の祈願祭を行います。

 卯月八日は、いまでは花まつりの日になっていますが、本当は農
作業に着手するに当たり、魂(たま)まつりを行う日。以前はこの
日、村中で山や、野原、磯辺に出かけて食べたり飲んだりしました。

 その時、いろいろな花を取って来て、竿の先に束ねて結びつけ庭
に高く立て、降臨する神に供えたものがはじまりだといわれていま
す。みんなで春の1日、外に出て飲み食いする習慣。いま行われて
いるお花見はこの習慣が残ったものだそうです。(10)

 

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▼おぼろ月

 サクラの花見のころは、なぜかぼんやりした、はっきりしない薄
ぐもりの日が続きます。昼間は暖かくて晴れていますが、空はぬけ
るような青空ではなく、もやとも雲ともつかぬ薄い春霞がただよっ
て白っぽい。よくいう花曇りです。

 これは移動性の高気圧が日本の南方を通ってきたとき、中国大陸
の南の暖かく湿った空気が、日本の上空にくる間にさらに暖められ、
水蒸気が補給されておこる現象だとか。

 夜になればおぼろ月夜になり、名所は夜桜見物でにぎわいます。
おぼろ月夜とは、空に薄い中層雲が月の光を散乱して、ぼんやりと
した状態。春にはつきものの天候です。「花の雲、鐘は上野か浅草
か」とか歌などにもよまれます。(11)

 

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▼ 苗 代

 農業機械が一般に普及する以前は、当然田植えも手作業です。早
苗は、個々の農家が苗代を作ることからはじまり、自分で苗を育て
ました。大昔、直蒔きだった稲作栽培が、奈良時代から田植え作業
に変わり、平安時代になると一般化します。以来田植えはずーっと
続いてきた農作業です。

 かつて早苗は、親方の農家の持ち田に子方が共同でまきつけたり、
また分家は本家から苗を分けてもらうのがふつうでした。

 苗代の苗の出来不出来は、その年の稲の作柄を左右します。当然、
苗代づくりも神聖な作業になり、いろいろな儀式がともなってきま
す。

 それは、苗代田を整地して餅をついて供えたり、種もみを播いた
時に祝う「苗代占め」や、田んぼの水取り口である水口に、土を盛
って季節の花か木の枝をさし、焼き米を供える「水口祭り」などが
あります。「田の神の腰掛け」などといって、田んぼのまん中に木
の枝をたてるところもあります。木の枝はご弊と同じものだといい
ます。

 「水口祭り」で焼き米を供えるのは、神がかった鳥とされるカラ
スに、この焼き米をついばませ、苗代に播いたもみを荒らしてくれ
るなと願うもの。これを「カラスの口にあげ」などといっています。
焼き米は種もみの残りで作ったそうです。

 ちなみに昔は、高い山々の雪のとけかかっていろいろな形に見え
る雪形に、村人たちは名前をつけて農作業の目安にしました。昔は
暦の文字を読める人も少なく、また当時の暦は、いまの暦(太陽暦)
に比べると11日あまり短いく、閏月など入れて調節しましたが、正
確な季節がわからなかったという。

そのため、山にあらわれる雪形で判断するのが手っ取り早く、分
かりやすかったようです。雪形には残雪で形が白くできるものと、
雪が解けて山に黒い形ができるものとあり、有名な北アルプスの白
馬岳の雪形は、岩肌が黒くあらわれる「黒馬」で、ふもとではこれ
を代馬(しろうま)と呼び、この形が出ると苗代の準備をしたとい
う。

雪形にはこのほか、富士山の鳥の形、北アルプス・小蓮華山、乗鞍
岳、爺ヶ岳の「種まき爺さん」など、全国にあります。(12)

 

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▼水口祭り

 農作業が機械化されたいまは、すっかりすたれてしまいましたが、
かつては農作業に関するいろいろな行事がありました。

 いよいよ水田の作業がはじまり、農家は目がまわるほど忙しくな
ります。農作業は、まず苗代(なわしろ)づくりからはじめます。
苗代に種籾(たねもみ)をまいたあと、あぜに外から田んぼに水を
引くための口をつくります。その水引き口をまつる行事が「水口(み
なくち)まつり」です。

 季節の花や木の枝を立て、種籾の残りを焼き米にして田の神さま
に供えます。水口祭りは一年の農作を祈る行事。古くから行われた
らしく千年年以上も前に書かれた平安時代の『延喜式』という本に
も水口神社という名が載っているそうです。

 水口に花のついた枝を立てるのは田の神が降りてくる時の依代
(よりしろ)なのだそうです。焼き米を供えるのは、鳥についばん
でもらうかわりに、まいた籾を荒らさないよう願ったのだという。
これをトリノクチ(鳥の口)にあげるというそうです。

 焼き米は軽く臼でついてつくりますが、静岡県ではこの音をまわ
りに聞こえないようにするならわしがあるそうです。臼の音が聞こ
えると、馬が重労働の前ぶれだと気づき、泣くからだそうです。岡
山県苫田郡では水口に焼き米をまくのは主人の役目。残った焼き米
は自分の口いっぱいにふくんで帰り、墓にまく家もあります。

 水口まつりを、タネマキショウガツ(種まき正月)、タネマキイ
ワイ(種まき祝い)と呼ぶ地方(千葉県)とか、ノーシロイワイ(大
分県)などと呼んだり、水口にさす木の技を「タナンボウ」、「田の
紳の腰かけ」(長野県)、「ナエミダケ」(福島県)とか「ナエジルシ」
(東北地方の各地)など地方によって呼び方はさまざまです。

 小正月にその年の農作物の豊凶を占う「粥かき棒」を立てて供え
る地方もあるそうです。

 時代は移り、田植え機に合う苗を買い苗代など不要になったいま、
こんな行事はすたれる一方です。(13)

 

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▼(14)穀雨

 4月の20、21日ころは日は「二十四節気」のひとつ「穀雨」です。
文字の通り農業には大切な節目になっています。旧暦3月、辰の月
の中気で太陽の黄経が30度にあたります。

 二十四節気は「立春」からはじまるので「清明」についで、穀雨
はその6番目になります。「百穀春雨」といわれるように、春雨が
けむるがごとく降る日が多くなり、雨が田畑をうるおして種蒔きの
好期をもたらすとされています。春の季節の最後の節気です。(「暦
の百科事典」新人物往来社)

 江戸時代の「年浪草」という本に「月令広義曰、穀雨は三月の中。
清明の後十五日、斗、辰を指すを穀雨となす。いうこころは、雨百
穀を生ず。清浄明潔なり」とあり、天明8(1788)年の「暦便覧」
にも「春雨降りて百穀を生化すればなり」としています(「暦の百
科事典」)。

また「孝経緯」では「清明後十五日、斗指辰為穀雨、言雨生百穀」
とも記してあります。「穀雨三月中、…甘雨降生万物、故云穀雨、
…鳴鳩飛且翼相撃、是時農急也…」と「暦林問答集」にも出てきま
す。

 この二十四節気を考え出したことで季節と関係がなかった昔の暦
でも、農作業の目安がわかるようになったのだそうです。

 穀雨の次の「立夏」までの期間を、さらに3つに分けた「七十二
候」があります。二十四節気や七十二候は、もともと中国で考え出
したもの。

 日本とは多少ずれができるため改良を加えましたが、そのひとつ
「宝暦暦」では初候を「葭始生(よしはじめてしょうず)」次候を
「霜止出苗(しもやんでなへいづ)」末候を「牡丹華(ぼたんはな
さく)」ころとしています。

 しかし現代ではこれをさらに北日本、中部日本、西日本に分けて
それぞれに季節にふさわしい言葉をつけています。北日本では初候
を「終雪、結氷終」、次候を「桃開花、柳発芽」、末候は「ツバメ渡
来」とし、中部日本では初候を「ヤマツツジ開花」次候を「ボタン
開花」末候は「フジ開花」、さらに西日本では初候「フジ開花始め」、
次候「カラマツ発芽」、末候「海棠開花」のころなのだそうです(「暦
の百科事典」)。

 いずれにしてもこのころは農家にとっては大切な農作業の季節で
あったわけです。(14)

 

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▼(15)ワラビとり

 花見が終わり、チョウが舞い出すころ、陽の当たる暖かい野山に
ワラビが出はじめます。家族でワラビ採りをする姿も春の風物詩で
す。ワラビは、大昔からいろいろな形で利用され、あえ物、浸し物、
サラダ、煮物などいろいろに調理され、食卓にのってきました。

 中国では周や秦の時代の昔から食用にされていたという。日本で
も8世紀奈良の大仏建立の時、建造に携わった人夫たちに雑菜とし
てワラビを5296把購入したと「続修東大寺正倉院文集」に記録され
ているからただの古さではありません。

 平安時代の施行細則を集大成した古代法典・「延喜式」にもワラ
ビの塩漬けの記録があり、「源氏物語」にも「君にとてあまたの春
をつかみしかば常を忘れぬ初わらびなり」と「早蕨の巻」に歌われ
ています。

 また、かつては大きくなったワラビの茎は昔は畳の代わりに使わ
れ、家や山小屋などで敷物にしたという。ワラビなった「わらび縄」
は、雨にことのほか強く、垣根をしばるのに重宝したとも聞きます。

 夏にとっておいたワラビの根は、でんぷんの原料(ワラビ粉)に
なり、ワラビ餅に加工されます。干したワラビはヤケドや血止めな
どにも利用されます。

 ワラビには発ガン物質(配糖体プタキロシド)が含まれているい
いますが、これはあく抜きの時消えるため心配はないそうです。

(イノモトソウ科のシダ類・図鑑によってはワラビ科、ウラボシ科、
イノモトソウ科などとバラバラに記載されています)。(15)

 

(4月終わり)

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