『伝説と神話の百名山』

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■001利尻山 「ドンとドンとドンと波のり越えて」

 北海道利尻島の利尻山(りしり・標高1721m)は、『日本百名
山』(深田久弥著)の一番目に書かれている山。利尻郡利尻町と利
尻富士町との境にあります。日本最北の山で、利尻岳とも書かれ、
島そのものがひとつの山になっています。美しい姿から利尻富士
とも呼ばれています。

 ここには不思議なことに熊やマムシなどのヘビ類がいないとい
う。深田久弥は『日本百名山』の中で、かつて利尻島南東方向対
岸の北海道天塩(てしお)町で山火事があった時、火事現場から
逃れてきたのか熊が泳いで渡ってきて、すみついたことがあった
という。しかし、いつの間にかいなくなっていた。たぶんまた古
巣へ泳ぎ帰ったのだろう、というようなことを書いています。

 山名はアイヌ語の「リ・シリ」の音訳「高い島山」という意味
で、となりの低い島山「礼文」に対するもの。この山は、島の中
央に山頂を突き上げ、北峰(1719m)、本峰、南峰(1721
m)の三つのピークを持っています。でも北峰から先は崩落が激
しく登山禁止になっています。


 北峰に利尻郡利尻富士町鴛泊(おしどまり)地区にある利尻山
神社の奥社の祠があります。利尻山北ろくには鴛泊ポン山(44
4m)、南麓に鬼脇(おにわき)ポン山(410m)、仙法志(せ
んほうし)ポン山(320m)などという一風変わった名前の小
さな寄生火山もあります。また北に直径250mの姫沼、南麓の
沼浦(ぬまうら)には直径400mのオタドマリ沼、三日月沼が
あり、山の風景に趣をそえて利尻富士観望の地となっています。

 この山は古くから高くそびえた美しい姿で、航海や漁場の目印
にされ、海の安全を願う人々から崇められたという。しかし姿に
似合わずこの山の気象は厳しく、天気が晴れて山の姿があらわす
のは、一年のうち100日もないということです。また利尻山に
吹き込む風は「北海の荒法師」とも呼ばれるほど烈しいという。

 ここ利尻島には長くアイヌの人たちが住んでいました。ここに
初めて和人が入ってきたのは1706年(宝永3)。能登の人、村山
伝兵衛が松前藩からソウヤ場所の漁場請負人を命じられて、住み
はじめたのが開発の先駆けだそうです。その後1787年(天明7)
8月にはフランスの探検家、ラ・ペルーズという人が、サハリン
島から南下した時、宗谷海峡でこの山を見て、館長のラングルに
ちなんでラングル峰と名づけたという。


 登山の古い記録としては、江戸時代後期の1789年(寛政10)、
武藤勘蔵の『蝦夷日記』のバッカイベツからソウヤへの7月7日
の見聞記があり、それによると、最上徳内(もがみとくない・江
戸時代中後期の探検家であり江戸幕府普請役)が記されていてこ
れが最初らしい。江戸時代後期の1808年(文化5)になり、
ロシア武装船の来襲のときには、幕府から出兵を命じられた会津
藩士が水腫病にかかり、大勢死亡していった事件もあったといい
ます。

 山頂北峰にある神社の里宮、鴛泊の利尻山神社は、1824年
(文政7)に建立した神社だという。そののち、山頂に奥社の小
祠をまつりました。ついでながら祭神は、オオヤマツミノカミ、
オオワタツミノカミ、トヨウケヒメノカミを合祀(ごうし)して
います。

 オオヤマツミは、『古事記』では大山津見(おおやまつみ)と表
記され、『伊予国風土記』逸文(いつぶん)という文書では、大山
積(おおやまつみ)と書き、大山をつかさどる山神だそうです。
また『日本書紀』では、大山祇(積)と表記し、イザナギ(男神)
・イザナミ(女神)の子。大山をつかさどる山神だそうです。


 またオオワタツミは、『古事記』では大綿津見神(おおわたつみ
のかみ)、『日本書紀』は少童命(わたつみのみこと)、海神(わた
つみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)などと表記。海の三
神の一神で、綿(わた)は海(わた)で、津見は司ることなのだ
そうです。

 さらにトヨウケヒメは、『古事記』では豊宇気毘売神(とようけ
ひめのかみ)、『日本書紀』では豊受気媛神(とようかひめのかみ)、
豊受大神(とようけのたいじん)などと書き、イネの精霊の神格
化したもののようです。つまりこの祠には、山と海と食べ物の神
さまをまつったのでしょう。

 山頂の三角点(点の名称「利尻絶頂」)は、1912年(大正元)
5月に陸地測量部の技師井口貫一によって選点されたものという。
さらに1871年(明治4)日本政府の招きで開拓使顧問として
来日した、アメリカの農政家、ケプロンが書いた「ケプロン報文」
(来曼北海道記事)には「バツカイ(稚内市の地名)近傍ノ海浜
通リ数英里ノ間、殆ド円錐状ニシテ、四側平等ナル利尻山ノ美景
ヲ眺望シツヽ経過セリ」と利尻山を見ながら航海していたことが
記されています。


 利尻山の登山道を開いたのは修験者天野磯次郎という人物。1
890年(明治23)ころ、鴛泊(おしどまり)からの登山道をつ
くったのが最初だという。明治後期になると、植物学者牧野富太
郎も植物採集のためこの山を訪れています。

 また「♪山は白銀、朝日を浴びて・・・」の詩でおなじみの『ス
キーの歌』の作詞家、時雨音羽がこの利尻出身。彼は利尻山につ
いて「山は世界に山ほどあれど海の銘山これひとつ」と詠んでい
ます。島の沓形岬公園には彼の「ドンとドンとドンと波のり越え
て一挺二挺三挺八挺櫓で飛ばしゃ・・・」という『出船の港』の
歌碑もあります。

 利尻山は、古くは利後(りいしり)山と呼ばれたという。この
山について民俗学者、吉田東伍は、「(現代文で書くと)島の中央
に屹立する休火山にして、洋名をランタンという。壮麗なる円錐
形をなして裾を四方に延ばし、遠くこれを望めば、さながら富岳
のようである。よって北見富士の名称がある。山ろくはおおむね
樹林をもって覆われ、四合目以上は全く火山質の石礫(せきれき)
をもって覆われている」というような紀行文を残しています(『日
本山岳ルーツ大辞典』)。


 ここは高山植物でも名高いところでもあります。緯度が高いた
めに本州では標高2000mあたりに生息する高山植物が、利尻島で
は平地に平気な顔をして?生えています。ここの固有種のリシリ
ヒナゲシ、ボタンキンバイ、リシリオウギ、リシリトウウチソウ
など、利尻の名を冠した種も多く、南斜面に群生するチシマザク
ラは、1968年(昭和43)道天然記念物に指定されました。

 また三合目、姫沼分岐近くにわき出る寒露泉は1985年(昭
和60)の「日本名水百選」(環境庁)のなかで一番北の名水になっ
ています。この名水は、サケのふ化事業にも利用されています。
深田久弥選定「日本百名山」第1番選定。岩崎元郎選定「新日本
百名山」第2番選定。田中澄江選定「花の百名山」(1981年)
第12番選定。田中澄江選定「新・花の百名山」(1995年)第11
番選定。


▼利尻岳【データ】
【所在地】
・北海道利尻郡利尻町と利尻富士町との境。JR宗谷本線稚内下
車、稚内港から船で2時間で鴛泊(おしどまり)からタクシーで利
尻北麓野営場、さらに歩いて6時間で利尻岳(利尻山)北峰。2
等三角点亡失(1718.7m・2011年10月31日)と利尻山神社奥宮
がある。そこから230mほど南の南峰に写真測量による標高点(17
21m)がある。

【名山】
・「日本百名山」(深田久弥選定):第1番選定(日本二百名山、日
本三百名山にも含まれる)
・「新日本百名山」(岩崎元郎選定):第2番選定
・「花の百名山」(田中澄江選定・1981年):第12番選定
・「新・花の百名山」(田中澄江選定・1995年):第11 番選定

【位置】
・【利尻岳北峰2等三角点(亡失)1718.7m】北緯45度10分49.64
秒、東経141度14分28.83秒
・【利尻岳南峰標高点1721m】北緯45度10分42.57秒、東経141
度14分31.67秒

【地図】
・2万5千分1地形図名:鴛泊

▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典1・北海道(上)』(角川書店)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞社)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本百名山』(新潮文庫)深田久弥(新潮社)1979年(昭和54)
・『日本歴史地名大系1・北海道の地名』高倉新一郎ほか(平凡社)
2003年(平成15)年

 

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