(1)地球空洞説とは
●1-1.地球の中はがらんどう
私たちは学校で地球は地核という岩の下にマントルという地核より
も重い岩があって、真ん中に核(ドロドロに溶けている金属)があ
ると勉強しました。ところが、実は地球は中味がつまっているので
はなく、がらんどうだという説があります。これが「地球空洞説」
です。
がらんどうの中心には「発光核」があって淡い光を放ち、いろいろ
な植物が生えている陸地の内部を世界を照らしています。私たちの
足元はるか下にに別の世界があり、外側の世界と同じ空気が通じて
いるというから驚きです。
この説は、ハレー彗星の発見者・イギリスのハレーもとなえ、その
後いろいろ否定されても、専門家の間でいまでも根強く残っていま
す。……………………………………………………………
●1-2.南極と北極の穴があいている
内側世界と外側の世界は南極と北極でつながっています。この両極
に大きな穴があいているというのです。北極の穴は人工衛星の「E
SSA−7」がバッチリ宇宙撮影しています。
1968年11月23日、「ESSA−7」が撮影した写真にはこんな穴
がバッチリ(北極、南極ともこの付近はいつも厚い霧におおわれて
おり、撮影出きるのはごくまれだという)。
この穴からジェット機で内側世界へ行けるというのです。北極の穴
は「北極点」といわれる付近からウランゲル島方面へ80度付近ま
での北極未探検地(北緯84度、西経170度)。
南極の穴は、南極大陸の中にあります。それは地図にある南極点
といわれている所ではありません。南極点から西へ50度方面北緯
80度以内の南極大陸の地図にもある「到達不能地域」という所な
のだそうです(南緯82度、統計75度付近)。
ここがどうして到達不能地域かというと、ここへ近づくと磁気羅
針儀(マグネシウムコンパス)や惰力誘導システム(メナーシャル
・ガイダンス)も機能を発揮せず、ここに到達することは出来ませ
ん。
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●1-3.地球空洞説の歴史
地球ががらんどうだという説は古くからあり、あちこちの伝説や
神話、聖書などにも出てきます。以下、この説をとなえた人や出来
事などを並べてみました。
▼世界各地の神話や聖書に、地底内の楽園の物語が出ている。
▼プラトン(427〜347B.C)は、地球空洞論者で自分の本の中に
「大きな地底の流れ」とか「地球の内部にある広いトンネルと狭い
トンネル」、また「地球のへそ・その中心の座にいるのは神である。
この神は全人類に対する宗教の説明者である」などと、地球空洞を
意味することをたくさん書いている。
▼1692年:イギリスの天文学者・エドマンド・ハーレー(ハーレ
ー彗星の発見者)が、イギリス学士院で「地球空洞説」を発表。地
球は、それぞれ水星、火星、金星に匹敵する3個の天体が重なり合
って出来ているという説。
▼レオンハルト・オイラー(1707〜1783年・スイス高等数学のオ
イラーの公式の発見者)は、1このたいようをもった「地球空洞説」
をとなえる。
▼1721年:コットン・マザー(ニューイングランドの牧師で政治
的人物)は、自分が書いた本『クリスチャン・フィロソファ−』の
中で地球内部の様子を書いている。
◆1700年代:ジョン・レズリー(イギリス・放射線研究者)は、
地球内部に2個の太陽があるという説をとなえる。
▼1800年代:ジョン・クリーブス・シムズ(アメリカ・陸軍軍人)
が、地球には5個の同中心球体が入れ子になっているとの説を発表。
ロシア皇帝がこの説の熱心な支持者だった。また、アメリカ2代大
統領・ジョン・クインシ・アダムズもこの話を聞き、極地探検を命
じたが選挙に落選(1800年)計画は惜しくも流れてしまった。
▼ブルワー・リットン(1803〜1873・イギリス)は、『来るべき民
族』という本を書き、地底文明を細かく描写。
▼1920年代:アダム・シボーン船長(アメリカ匿名)が、『シムゾ
ニア・ある発見航海』という本をニューヨークから刊行。その中で
地球内部は2個の太陽と2個の月があると発表。
▼ジェームズ・マクブライト(アメリカ)は、ジョン・クリーブス
・シンメス大尉(1812年の米英戦争で武名をはせた)の遊説を筆
記して「シンメスの同中心球体説」を出版。
▼1830年代:エドガー・アランポーがシンメスの話をもとにして
「ハンス・プファルの無比の冒険−ゴードン・ピムの物語」という、
地球空洞説に材をとった短編小説を執筆。
▼1864年:ジョール・ベルヌは、小説『地底旅行』を発表。
▼1868年:W・F・ライオンズ教授が『空洞地球』を出版。
▼1878年:シンメスの息子アメリクス・ベスプシウス・シンメス
は、ライオンズ教授の本に父親の名が抜けているのに腹を立て『シ
ンメスの同中心円球体説−地球が空洞であり内部は居住可能で、両
極に広大な口があることの論証』を出版。
▼1906年:ウイリアム・リード(アメリカ)が『両極の幻想』を
出版。地球の空洞説を説く。
▼1908年:ウイリス・ジョージ・エマーソン(アメリカ)は、ノ
ルウエー人の漁師オラフ・ヤンセンの地球内部への進入体験記
『煙の神・スモーキーゴッド』を出版。
▼1913年:マーシャル・B・ガードナー(アメリカ)は、20年の
年月を費やし、『地球内部への旅・両極は実際に発見されたか』を
自費出版。
▼1920年:マーシャル・B・ガードナー、第二版をさし絵や図を
たくさん入れて出版。
▼1922年:フェルナンド・オッセンドフスキー(ロシアの探検家)
は、『獣・人間・神』という本を著し、その中で地底トンネルのこ
とを書いている。
▼1926年:アメリカのリチャード・E・バード少尉は北極上空を
越えて?飛行した。
▼1930年:ニコライ・レーリッチ(ロシア人考古学者)は、ニュ
ーヨークで地底王国を描いた『シャンバラ』という本を著す。
▼?年:シオドア・フィッチ(アメリカ)は、ガードナーの研究を
土台にして『地球内部・われらが楽園』を著す。
▼?年:ドネリーは、その著書『アトランティス・大洪水前の世界』
の中で地底世界のことに触れている。
▼?年:ウィリアム・F・ウォーレンは『楽園の発見・人類の揺籃』
の中で、人類の発祥地は北極にある「熱帯性気候の大陸」だとのべ
る。
▼1944年:リチャード・S・シェイバーが「アイメジング・スト
リーズ」に、地底人「デロとテロ」の小説を4年にわたり連載。1951
年には『ライフ』誌にも掲載。
▼1957年:O・C・ユグナンは、ブラジルのエンリケ・ホセ・デ
・スーサ博士の提唱したものをもとにして『地底世界から空へ・空
飛ぶ円盤』を発刊。同じころ:スーサ博士の教え子のパウロ・フス
チノ・ストラウス中佐がこの説をリオデジャネイロで講演し続けて
いる。
▼1959年:レイ・パーマー(アメリカ・『空飛ぶ円盤』誌の主筆)
は、同誌に「空飛ぶ円盤の地底発進説」を発表。
▼1959年:F・アマデオ・ジアニーニ(アメリカ)は、『極のかな
たの世界』で地球空洞説を説いている。その中で「1929年12月12
日以降、合衆国海軍極地探検隊は極の向こうに「未確認の地域」が
存在すると断定した」と書いてある。
▼1960年:グレイ・バーカー(アメリカ)が、『ソーセリアン・ブ
レチン』誌に、「空飛ぶ円盤の地底発進説」を説く。
▼1961年:イギリスに「地球空洞協会」が設立される。
▼1967年:1月6日:人工衛星「ESSA−3」が北極と南極の
穴を初めて撮影。
▼1968年:11月23日:人工衛星「ESSA−7」数枚にわたり
北極の穴を鮮明に撮影。大騒ぎになる。
▼1969年:レイモンド・バーナード(文学修士・哲学者)が『地
球空洞説』を出版。
▼1972年:リック・ノーマンが『地底文明説』を著す。
▼1974年:ブリンズリー・ルポア・トレンチが『地球内部からの
円盤』を刊行。
(つづく)
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