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【新・丹沢山ものがたり】(09)
【とよだ 時】

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▼西丹沢・明神峠とふたつの明神山

【略文】
西丹沢に明神山がふたつあります。鉄砲木ノ頭(明神山)と、明神
峠のとなりの明神山。江戸時代、いまの山中湖村の名主が相模側と
の検地の時、甲斐国の土地拡張を計画。いまの鉄砲木ノ頭から奥宮
をこの峠に移転した名残の名前だという。
・神奈川県山北町と、静岡県小山町との境。

▼西丹沢・明神峠とふたつの明神山


【本文】

 富士山と山中湖を一度に眺めることができる西丹沢鉄砲木ノ頭(1

291m)。ここにまつってある山中明神(山中諏訪神社)から明神山

ともいうそうです。



 それとは別に三国山から東にのびる「旧相駿国境」の尾根上にも、

もうひとつ同じ名前の明神山があります。そのすぐ西に明神峠があ

ります。

 ここは南側は静岡県小山町で、北側は神奈川県山北町の境。静岡

県側御殿場方面から登ってくる道は明神峠でふたつに分かれ、峠を

越える道は神奈川県側、水ノ木橋から世附川、丹沢湖方面へのびる

林道になっています(ふだんはゲートが閉まっており一般車は通行

不可)。



 この林道は太平洋戦争中、木材の搬出路として造成されたところ

という。かつては丹沢のアルペンロードとして利用されたことがあ

ったそうですが、車の事故が多かったという。



 もうひとつの道は本道で、山中湖・小山線という舗装された県道

です。この付近は明神峠自然環境保全地域になっています。峠は南

側の展望がよく、箱根の連山、眼下に富士スピードウエイの車が走

るのが米粒のように見えます。



 この峠の「明神」は、三国山の北にある鉄砲木ノ頭の別名、明神

山に関係があるらしい。ずっと北にある大室山から三国山至る西丹

沢主稜(旧甲相国境)、また三国山から東へ湯船山、不老山へと向

かう尾根「旧相駿国境」の稜線は、相州、甲州、駿州国、それぞれ

の山の資源をめぐって平安時代から抗争がつづいたところ。



 江戸時代後半の天保12年(1841)、甲斐国と相模国小田原城主(第

8代藩主)の大久保加賀守忠愨(おおくぼただなお)は、この稜線

の検地(土地調査)をすることになりました。



 その時、甲斐国都留郡平野村(山中湖村)の名主の長田勝之進は、

境界の目安になっていた明神山(鉄砲木ノ頭)山頂にある、山中諏

訪神社(明神)の奥宮の祠を、神奈川県山北町の(いまの)明神峠

に移してしまいました。



 少しでも甲斐国の土地を増やそうと思ったらしい。それからとい

うもの、いまの峠を明神峠というようになったという。その後、神

社や氏子の有志が、もともと「奥宮の建っていたのは明神山山頂で

ある」ことを改めて認識。



 いまのように明神山山頂に「諏訪神社奥宮」と確定して再建した

のだそうです。このことは山頂にある山中諏訪神社祠に埋め込んで

ある「奥宮再建誌」の文章にもあります。それには次のように刻ん

であります。



 「諏訪神社奥宮再建誌 古文書に曰く、往昔明神山頂に小祠を祀

る、是現在の中野村山中字御所鎮座の諏訪神社奥宮ならん、即ち天

保十二丑年(※1841)十月、当時甲斐国都留郡平野村名主長田勝

之進は、相模国小田原城主大久保加賀守と検地の際、甲斐国の為土

地拡張を企画し、現存の明神山頂より現在の鎮座地神奈川県足柄上

郡三保村二之沢台地を明神峠と称し、此の地へ奥宮を変遷せり、偶

神社関係者及山中区有志諸彦(げん)之を伝え聞き、参詣の砌(み

ぎり)鎮座地たる真相を認め、この度役員会の議を経て諏訪神社奥

宮旧跡に前宮を再建し、奥宮同様に由縁(ゆえん)を永く後世に伝

えんと欲す、仰ぎ願わくば諏訪明神地の神域に降臨し給い、普く(あ

まねく)氏子崇敬■の幸福安全を守護し給はらん事を。昭和三十六

年(1961)■月吉日 中野村山中 諏訪神社宮司 中村宇八謹誌、

以下氏子氏名列記」。



 このように領地を拡張するために、山の上にある祠を動かそうと

する行為は、北丹沢の大室山でもありました。江戸時代後期、当時

大室山山頂には、甲斐の国の道志側村がまつった「大牟連(おおむ

れ)山大権現」の石碑があったという。



 幕府の検地の時、甲斐側は領土を少しでも広くしたいため、もっ

と境界が相模側にあるようにみせたいところです。しかしこの石碑

が山頂のあるので、ここが境界だと幕府に思われるのは困ります。

そこで神官が石碑をこっそり担ぎおろしたという。



 ところが、幕府は逆に何もない尾根上を境界とみなし、相模側が

主張するいまのような大室山から鐘撞山への国境線が引かれてしま

ったということです。1847年(弘化4)のことだそうです(「道志

七里」)。



 さて、話を元に戻します。最近明神峠のあたりに、山中諏訪神社

奥宮と銘のある祠があるというのを耳にしました。台座は平成18

年(2006)と刻んであるらしい。いまでもまつる人がいるのでしょ

うか。明神峠の東、湯船山との間にも明神山がありますが、ここの

山名は長田勝之進の事件以後につけたのでしょうか。



 ある年の2月、雪の中、不老山から入りましたが思ったより雪が

深く、こんなところでラッセルというありさま。どうしても堪らず、

白クラノ頭付近にテントを張りもぐり込みました。



 翌日はうって変わってどしゃ降りの雨。生暖かくブナの木に伝わ

る雨水がものすごい勢いでほとばしっています。「これ春一番では

ないか?」。明神峠の鉄塔がうなっています。



 天気は荒れ放題。あれだけ積もっていた雪が見る見る消えていき

ます。これでは山中湖へ抜けるのは無理だな。峠のあずまやで計画

を断念。御殿場駅を目指して富士スピードウエイ方面のバス停に向

かって退散したのでありました。



▼明神峠【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と、静岡県小山町(合併なし)との境。JR御殿
場御殿場駅からバス、明神峠入り口下車、さらに歩いて1時間半で
明神峠。
【位置】
・明神峠:北緯35度23分58.55秒、東経138度56分25.44秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「駿河小山(甲府)」



▼【参考文献】
・『かながわの峠』植木知司(神奈川合同出版)1999年(平成11)
・『新日本山岳誌」日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『道志七里』伊藤堅吉著(山梨県道志村役場)1953(昭和28)年
・【山中明神・奥宮前宮資料】



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