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山旅伝説伝承【ひとり画展】(08) 【とよだ 時】


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山旅【画っ展】981号「秩父・父不見山」

・【短略説明】
父不見山とは「平将門の子がまだ見ぬ父を慕って嘆いた」とか、弘
法大師空海が山の南ろくに東国の高野山をつくろうとしましたが、
「その寺の僧侶が子どもを捨てて逃げ、後を追いかけた子供が父を
見失った場所が父不見山」だったという説もあります。また弘法大
師に関連して別の伝説もあります。
・埼玉県小鹿野町と群馬県神流町にまたがる。

▼山旅【画っ展】981号「秩父・父不見山」

・【説明本文】
 西上州・埼玉県小鹿野町と群馬県神流(かんな)町の境に父不見
山という変わった名前の山があります。「ててみずやま」とも「て
てみえずやま」呼ぶそうです。山頂は2峰に分かれ、東の低い方の
峰が父不見山(1047m・ザル平ノ頭とも)、高い方の西峰は長久保
ノ頭(大塚山とも)といい、こちらには三角点(1065.8m)があり
ます(『日本山名事典』)。

 三角点のない狭い父不見山の山頂北寄りには、なぜか「三角天(マ
マ)」と彫られた丸いだるま石が置いてあります。また『新日本山
岳誌』では三角点のある西峰を長久保ノ頭、ザル平の頭、三沢山と
もいうとあり、ちょっとこんがらがります。

 地形図には、長久保ノ頭の位置には三角点と標高のみで山名の記
載はありません。そもそも父不見山は、この山域一帯の草刈り場の
総称で、南麓秩父側では寺平山とも呼んでいたという。かつては秩
父側近在の村人が元旦に、寺平の摩利支天へ登って五穀豊穣を祈っ
たところだという。

 山や自然を主題とした詩人尾崎喜八は「神流川紀行」の「父不見
御荷鉾も見えず神奈川星ばかりなる万場の泊り」という一首を残し
ました。それが有名になり、おかげで父不見山も有名になったのだ
という。

 ちなみに「神流川紀行」は尾崎喜八の『雲と草原』のなかの一文
で、その文学碑が父不見山の北方、群馬県の御荷鉾山の西御荷鉾山
(藤岡市と神流町(かんなまち)にまたがる)南麓直下御荷鉾スー
パー林道わきに建っています。山頂が樹林の中で展望がきかず、あ
まり人気がなかったこの山も2000年(平成12)の火事で、皮肉に
も見晴らしがきいて面白みのある山になりました。

 しかし近ごろはまた、植林が成長して展望がきかなくなってきた
という。いま山頂からの展望は南側は樹林のため展望はききません
が、北側は御荷鉾山から赤久縄山に連なる山々、東南には武甲山な
ど奥武蔵の山々が眺められます。

 この山の名は、「平将門が戦死し、その子がまだ見ぬ父を慕って
嘆いた」とか、弘法大師空海が父不見山の南ろく、埼玉県側小鹿野
町の長久保地区の北奧の「寺平」というところに、東国の高野山を
つくろうとしましたが、「その寺の僧侶が子どもを捨てて逃げ、後
を追いかけた子供が父を見失った場所が父不見山」だったという説
もあります。

 また弘法大師に関連してこんな別の伝説もあります。その昔、弘
法大師空海が「寺平」に訪れ、「ここは場所も広いし、谷もたくさ
んある。ここに和歌山県の高野山と同じ聖地を造り、同じような寺
を建立しよう」と、高野山にある地名をここにもつけました。

 大日さまのある所を桔梗指(ききょうざす)、また大教僧(だい
きょうそう)、花坂(はなざか)、腰越(こしごえ)、鍾撞堂(つり
がねどう)などなどという地名をつけました。そして七堂伽藍(が
らん)を建て、高野山から75人の僧侶を呼び、真言の教えのもと
でお寺を守っていました。

 そんなある日、大きな台風がやってきて裏山が崩れ、せっかくの
寺が埋まってしまいました。僧侶たちが懸命に再建しようとしまし
たが復興はできませんでした。僧侶たちは相談した末、仕方なく高
野山に帰ることになりました。台風の被害の後かたづけが終わった
ころはすっかり冬になっていました。

 高野山に戻るには上州から甲州への山々越える難所が待っていま
す。僧侶たちが上州の峠にさしかかった時一寸先が見えないような
大雪に見舞われました。吹雪の中で道に迷った僧侶たちは、山中で
とうとう凍死してしまいました。吹雪がおさまり、長久保の村人が
行ってみると、僧侶たちは雪に埋まって冷たくなっていました。

 村人たちは悲しみ、川原から75個の石選び、山道を担ぎ上げ、
峠に墓を造り丁重に葬りました。いまでもその「おそう峠」(※群
馬県神流町持倉のおそう峠(和尚峠)。いまの杖植(つえたて)峠?)
には人の頭くらいの大きさの石がならんでいるそうです(『秩父の
伝説』)。さらにこの寺平地区には大仏が埋っているといわれていま
す。周囲には熊穴等の鍾乳洞も散在しています。

 蛇足ながら平将門は、平安時代の935年(承平5)年に承平天慶
の乱を起こし、一時は関東全体を統治しながら、平貞盛、藤原秀郷
ら連合軍に討たれました。関東地方、とくに秩父一帯には将門伝説
が多く伝わっています。

 さらにまたこの山の北ろく、群馬県神流町を流れる神流川を挟ん
ですぐ北、地図には記載されていませんが、桐ノ城山の南方の石尊
山(954m)の先、891m峰を若御子山(南峰)、その北の双耳峰を
若御子山(北峰)というのだそうです。父不見山の名はこの若御子
山の伝説にも関係しています。

 「戦国時代、桐ノ城山の城に住む城主が家来らを引き連れ、都に
戦さに出かけました。しかしなかなか帰ってきません。心配した身
重の妻は、桐ノ城の南の山まで下り、南の方を眺めながら帰りを待
っていました。ある日、いつものようにその山で帰りを待っている
と、玉のような男の子が生まれました。それからはその場所を「若
御子山」と呼ぶようになったという。

 さらにその妻子が、父親の帰ってくるはずの南の方の高い山を眺
めて、いまだ「ててみえず」といったので「父不見山」と呼ぶよう
になった」というのが神流町側の伝説です。またまたこんな説もあ
ります。

 その昔、この山域一帯は草刈り場でした。そこへ草刈りに出かけ
た親子連れが、どうしたはずみか父を見失ってしまったという。子
供たちはあわてて「父見えず」と叫びながら家に帰ってきたことか
らこの名がついたと地元の人から聞いたとの話もあります。


▼父不見山【データ】
【所在地】
・埼玉県秩父郡小鹿野町と群馬県多野郡神流町(かんなまち)にま
たがる。西武秩父駅からバス小鹿野車庫行き。小鹿野町バス停から
タクシー、杉ノ峠入り口から徒歩1時間で父不見山。標高点1047m
がある。狭い頂上の北側に「ダルマ石形の三角天」(?)と彫った
丸い石があるが、三角点はない。さらに30分で西峰の長久保ノ頭。
二等三角点1065.7mがある。
【位置】
・父不見山標高点1047m:北緯36度05分38.6秒、東経138度54
分58.93秒
・長久保ノ頭1065.7m:北緯36度05分29.71秒、東経138度54分
44.39秒
【地図】
・2万5千分1地形図名:万場


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典11・埼玉県』小野文雄ほか編(角川書店)
1980年(昭和55)
・「神流川紀行」:尾崎喜八詩文集(第5)『雲と草原』(創文社)1959
年(昭和34)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『秩父の伝説』秩父の伝説編集委員会(発行:秩父市教育委員会、
発売:幹書房)2007年(平成19)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)


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 明日憂えん。(城山三郎)