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山旅伝説伝承【ひとり画展】03 【とよだ 時】


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▼山旅【画っ展】973号「八ヶ岳硫黄岳・夏沢峠と本沢温泉

・【短略説明】
硫黄岳の山名は硫黄を産出したことに由来。北側鞍部にある夏沢峠
は、江戸時代に諏訪の村人がこを越えて佐久に下り、秩父の三峰神
社へ参拝するために利用した峠。また岩壁下の本沢温泉は冬の半年
間、留守番を残して下山。春行ってみると、寂しさに耐えかね、留
守番が無事でいたためしがなかったという。
・長野県茅野市と南牧村の境

▼山旅【画っ展】973号「八ヶ岳硫黄岳・夏沢峠と本沢温泉

・【説明本文】
 八ヶ岳は、山梨県と長野県にまたがる連山。一番南端の編笠山か
ら北端の蓼科山まで25キロにおよぶという。編笠山、権現岳、キ
レット、赤岳までが山梨、長野の県境で、赤岳から北方、蓼科山へ
は長野県に入ります。その連山のほぼ中央、夏沢峠を境にして南を
南八ヶ岳(ただ八ヶ岳とも)で、北を北八ヶ岳と呼んでいるようで
す。

 南八ヶ岳は赤岳を中心とした阿弥陀岳、横岳、硫黄岳へと、それ
ぞれ荒々しい岩肌をみせる山々です。それに対して北八ヶ岳は、優
しく静かな味わいをただよわせています。さて今回の本題である硫
黄岳は火口から硫黄を産出したことによる山名だという。

 しかし、佐久地方ではかつて農作業に使った、箕(み)をかぶせ
たような山容から箕冠岳(みかぶりだけ)と呼んだ時代もあったそ
うです。ちなみにいま硫黄岳北西方、根石岳南にも箕冠山がありま
す。

 硫黄岳の頂上は広くガスにまかれると迷いやすいため、山上から
ルートに沿って、道標として大きなケルンが立ててあります。山上
には標高点があり、佐久側に寄ったところに三等三角点もあります。
高山植物のムシトリスミレや、ウルップソウ、チングルマなどが豊
富で、日当たりのよい砂礫地には、地表を敷き詰めたようにコマク
サが咲いてくれます。

 この山頂の北東側は、古い爆裂火口が大きな絶壁をつくっていて
300mもの高さになって切れ落ち、爆裂のものすごさを残していま
す。平安時代の888年(仁和4)の爆裂は、硫黄岳、天狗岳、稲子
岳などの東半分の大崩壊をつくり、大泥流(大月川泥流)となって
千曲川へ下り、せき止められた千曲川は大きな湖をつくったという。

 このこのことがいまのJR小海線一帯の小海、海ノ口、海尻など
の地名に由来しているという。また、この堆積物が大小多数の流れ
山をつくり、松原湖沼群、みどり池、かっぱ池などができたといい
ます。

 硫黄岳山頂から西へ下ると、赤岩の頭付近で道は二俣に分かれ、
右にオーレン小屋、左に赤岳鉱泉へと至ります。そのまま尾根を進
むと「峰ノ松目」のピークに出ます。頂上はあまり広くなく、針葉
樹林に覆われていて、眺望はききません。

 峰ノ松目とは変わった名前ですが、別称を「峰ノ待女」といい、
かつて山岳信仰が盛んな時は、修行場の赤岳に向かう尾根ルートと
して多くの人々に登られたところという。その昔、八ヶ岳も女人禁
制の山でした。

 信者たちが、お山に登る時、一緒に来た女性が登ることができた
のはこの峰までだったという。女性はここで男性の帰りを待つとい
うので「峰ノ待女」と呼ばれました。それがいつしか「峰ノ松目」
に転化したという。

 登るルートは登山口である茅野市泉野口から峰ノ松目を通り、硫
黄岳、横岳経由で赤岳を目指すコースでした。また硫黄岳北側鞍部
にある夏沢峠は、数百年前に開かれたものといわれ、佐久地方と、
諏訪地方の交易の峠だったそうです。江戸時代には、諏訪の人たち
はこの峠を越えて佐久に下り、千曲川をさかのぼって、さらに十文
字峠から埼玉県秩父の三峰神社へ参拝したといいます。

 明治初年(1868)年に諏訪、佐久の間の交易のため、峠の道を改
修しましたが、1935年(昭和10)に小海線が開通。その後は利用
者が激減、いまはもっぱら登山者が利用する峠になってしまいまし
た。

 また岩壁下の谷底、標高2150mには本沢温泉があります。硫黄
岳の噴火口付近に湧きだしている温泉で硫化水素泉。泉温57度C、
神経痛、リューマチなどに効能があるといわれます。ここも江戸時
代に発見され、明治の中頃から湯治場として佐久、諏訪の人々が利
用していました。

 その本沢温泉のお話しです。山に秋が来て雪が降るころになると、
温泉宿の人々はみんなふもとの本家に帰ります。しかし山中の一軒
家を空にしておくわけにもいかず、11月から翌年の3月までの半
年間、留守番としてひとり残るのが通例だったという。

 その半年間、深山の一軒家は、来る日も来る日も雪、雪、雪…。
夜、闇の底に谷川の音がさわさわと空気も凍ったように動かない。
昼とて林や森が巨人のようにつづくのみの寂しさ…。春が来て温泉
宿に行ってみると、留守番の者が無事でいたためしがないという。

 毎年のように、ある者は首をつり自殺、ある男は傷を負い冷たく
なっている。またある者は、暖炉の火で半身を焼いた無惨な姿にな
っていたという。それは猟にきたものの仕業か。悪魔のしたことか。
長い間の寂しさが人を狂気に追い込むのか、分からないという。い
ずれにしても昔はテレビはおろか、ラジオもケイタイもありません。
当時はいろいろなことがあったのですね。

……………

▼硫黄岳【データ】
・【所在地】
・長野県茅野市と南牧村(みなみまきむら)にまたがる。JR中央
本線茅野駅からバス、美濃戸停留所下車、さらに歩いて6時間30分
で硫黄岳。三等三角点(2741.90m)と、写真測量による標高点(2
760m)がある。
・【位置】
・三角点:北緯36度00分.9651秒、東経138度22分16.3456秒。
・標高点:北緯35度59分55.63秒、東経138度22分11.85秒。
【地図】
・2万5千分の1地形図:八ヶ岳西部。


▼【参考文献】
・『角川日本地名大辞典20・長野県』市川健夫ほか編(角川書店)
1990年(平成2)
・『コンサイス日本山名辞典』徳久珠雄編(三省堂)1979年(昭和54)
・『信州山岳百科2』(信濃毎日新聞社)1983年(昭和58)
・『信州峠百科』井出孫六ほか監修(郷土出版社)1995年(平成7)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書房)1997年(平成9)
・『日本山名事典』徳久球雄ほか(三省堂)2004年(平成16)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平凡社)1979年(昭和54)
・『山の伝説・日本アルプス編』青木純二(丁未出版)1930年(昭
和5)



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・酒を飲むのは時間の無駄、飲まないのは人生の無駄。
・立って半畳、寝て一畳、酒は呑んでも二合半。