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【新・丹沢山ものがたり】(10)
【とよだ 時】

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▼丹沢主稜と丹沢主脈

【略文】
丹沢を歩く時、ガイドブックに「主脈」、「主稜」の文字がならんで
いて混乱します。いま丹沢の主脈といえば、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ
岳、姫次、焼山とつづく尾根。丹沢主稜は、蛭ヶ岳から先、檜洞丸、
犬越路、大室山、城ヶ尾峠を経て菰釣山、そして高指山、鉄砲木ノ
頭、三国山方面をいうようです。

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▼丹沢主稜と丹沢主脈


【本文】

 丹沢を歩く時、ガイドブックなどに「主脈」、「主稜」の文字がな

らび、時には「東丹沢主脈」、「西丹沢主稜」の文字も目に入ってき

て混乱させられます。いま丹沢の主脈といえば、塔ノ岳、丹沢山、

蛭ヶ岳、姫次、焼山とつづく尾根をいっています。



 これは大昔、日向修験が、大山−札掛から入峰、表尾根を歩き、

塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、姫次、青根へ下り、日向山へ帰院したコ

ースに似ています。スポーツ登山が盛んになってからもこのコース

は、多くの人たちから親しまれたコースだったという。



 この尾根をはじめて縦走したのは大正の中ごろ。その当時このコ

ースを歩いていたのは、神奈川県横浜市周辺の人たちが多かったら

しい。そのため「伊勢崎町通り」とか、「本町通り」と呼んでいた

というからその「親しみ度」が分かります。



 当時の丹沢は、ここ以外は丹沢表尾根はおろか、ほかのコースも

あまり知られていなかったという。昭和のはじめごろまでは「丹沢

に行く」といえば、この主脈縦走をいったものだったそうです。



 いま主脈縦走するには、塔ノ岳から焼山をめざすのがふつうです

が、昭和15年(1940)ごろは逆のコースをたどったという。前日

に、宮ヶ瀬湖のすぐ北西にある相模原市津久井町鳥屋集落に入り、

宿屋に泊まります。そして翌朝早く出発、焼山から姫次、蛭ヶ岳、

丹沢山の順序で、塔ノ岳に向かって縦走したのだそうです。



 一方、いま「主稜」と呼んでいる蛭ヶ岳で分かれて、檜洞丸方面

へ、縦走するようになったのは、昭和30年(1955)ころ。この年

になり国民体育大会神奈川大会が行われます。山岳競技はもちろん

丹沢山塊が舞台です。



 その時、新たにこのコースが開かれました。そこで丹沢の背骨で

あるこの山稜を、何と名づけるかで問題になりました。主脈とした

いところですが、すでに塔ノ岳、姫次、焼山のコースにつけてしま

ってあります。



 主脈とは、『大辞林』(三省堂)には「鉱脈・山脈などの中心にな

るすじ」、『広辞苑』(岩波書店)にも「山脈・鉱脈などの中心とな

るすじ」とあります。



 とすれば、蛭ヶ岳から先、臼ヶ岳、檜洞丸、大笄・小笄、犬越路、

大群山、城ヶ尾峠を経て菰釣山、大棚ノ頭、高指山、三国山。ある

いはさらにそこから東方の湯船山、不老山に至る長大な尾根こそ、

その丹沢主脈にふさわしい山稜と思われます。



 このような考えは相当以前からあったらしく、「山と溪谷」(143

号)昭和26年(1951)発行に、「従来丹沢主脈と称されている山稜

は、塔ヶ岳・丹沢山・蛭ヶ岳・焼山に至るいわゆる丹沢本町通りを

呼称していたのであるが、実際の主脈は地形的に考慮しても、三国

山稜から畦ヶ丸・大群山(室)・檜洞丸・蛭ヶ岳・丹沢山・塔ヶ岳

が正しいのではないか(天野誠吉氏)」と、掲載されています。考

えはどなたも同じようです。



 それはともかく、昭和30年(1955)の国体で、この山稜の名を

何とつけるか、ああでもない、こうでもないと悩んだ末、浮かんで

きたのが「主稜」の文字。ハタと膝をたたいてめでたくその名前に

決まったとのことです。



 ただ「丹沢主脈」と「丹沢主稜」ではいかにも紛らわしい。そこ

で羽賀正太郎氏は、「……この意味から私は、丹沢主脈を東丹沢主

脈と名づけ、犬越路から先、山伏峠までの間を西丹沢主稜の名をつ

けておく。



 これは全く便宜的な考えによるものであるが、位置をあらわすに

は分かりやすいと思う」と提案しています。なるほど分かりやすい

ですね。



 当時この稜線には道もなく、昭和15年(1940)代に、川崎山岳

会のパーティが、猛烈なヤブこぎをしながら、トレースした記録が

あります。それによれば、いまの標準タイム2時間50分の蛭ヶ岳

−犬越路間を、10時間30分かけて歩いています。



 このタイムから、いかに過酷な行程であったか、その苦労が分か

ろうというもの。なお、大室山−三国山間の稜線は、山梨県(甲斐

国)と神奈川県(相模国)の境なので、「甲相国境尾根」ともいう

そうです。



▼丹沢主脈と丹沢主稜【データ】
蛭ヶ岳【データ】
【所在地】
・神奈川県山北町と相模原市(旧津久井郡津久井町)との境。
【位置】
・標高点:北緯35度29分10.76秒、東経139度08分20.05秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」



▼【参考文献】
・『広辞苑』新村出(岩波書店)昭和44(1969)年
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ出版)2005年(平成17)
・『尊仏2号』栗原祥・山田邦昭ほか(さがみの会)1989年(平成
元)
・『大辞林』(三省堂)1988年(昭和63)松村明編
・『丹沢』(アルパインガイド37)羽賀正太郎(山と渓谷社)1980
年(昭和55)



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