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▼岳みち・里みち・田んぼみち
本文のページ(08) 絵と文【とよだ時】
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山のはなし
▼南ア赤石岳「椹島と南朝宗良親王」
【簡略説明文】
赤石岳といえば大正時代、大倉喜八郎という
人が88歳の高齢で、特注文の山カゴに乗り
人夫200人を従え、椹島から大名登山したこ
とが有名です。また南北朝時代、北朝に攻め
立てられ、形勢が悪くなった南朝方の宗良親
王が、遠江国伊谷城を棄てて従者と赤石岳の
ふもとの大河原地区に隠棲したという伝承も
あります。
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(長文です。拾い読みしてください)
【説明本文】
赤石岳(3120m)は、南アルプス(赤石
山脈)のほぼ中央にあり、山脈名にもなって
いる山。標高は日本で第7位、南アルプスの
なかでは第4位を誇ります。
【▼山名・由来】
赤石の名は南面の静岡県側を遡る赤石沢に
由来しているとされています。赤石沢は谷底
に赤紅色のラジオラリアチャートがあり、そ
の赤い石からきているという。そういえば赤
石岳付近では赤い色の石をよく目にします。
【▼山名・呼称】
山名の赤石岳とは静岡県の呼び名で、長野
県側では静岡県との境にあるため、駿河岳と
呼び、また釜沢岳や、大河原ノ岳の名もあっ
たといいます。大河原ノ岳は、西麓信州側の
大河原集落からの名前だそうです。
【▼伝説・宗良親王】
この山にある伝説です。南北朝時代、北朝
に攻め立てられ、形勢が悪くなった南朝の後
醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王は、北
条時行、諏訪頼継、高坂高宗などを従え、遠
江国(とおとうみのくに)(いまの静岡県西
部地域、大井川の西側)伊谷城を棄てて信濃
の国に入り、赤石岳のふもとの大河原地区に
留まりました。
親王は南朝勢力挽回のために東奔西走する
かたわら、しばしば赤石岳山頂に登って、足
利市調伏を祈願したというのです。同親王の
「家集」(個人の和歌を集めた書)「李花集・
りかしゅう」の詞書(ことばがき)には、「興
国5年、信濃国大川原(ママ)と申す山のおく
に籠もり居侍りしに」とあり(「信史5」)、
宗良親王が当地に入ったのは、この南朝の興
国5(1344)年・北朝では康永3年か、その
前年とされているそうです。
また同書には「大河原と申し侍りし山の奧
をも又立ちいで侍りしに」とあり、正平2年
前後、親王は南朝の御所がある和歌山県吉野
に上ろうとして、大河原地区を出発しました
が、翌年、美濃から駿府を経て大河原に戻っ
たといいます。さらに同親王は文中3(1374)
年12月、いったん吉野に帰りますが、約30
年間にわたって当地や周辺の大草地区を根拠
に駿河、武蔵、上野、越後、美濃、尾張など
を転戦し、南朝挽回を画策しました。
この宗良親王がいつどこで没したかははっ
きりしません。ただそれに関連した文書を探
した人もおります。その一つに、長野県飯田
市の文永寺の住職宗詢(そうじゅん)が、戦
国時代の天文19年(1550)に、宗良親王の
和歌を書き写したものの詞書があるそうで
す。それには、「大草と申(もうす)山の奥
のさとの奥に、大河原と申(す)所にて、む
なしくならせ給(う)とそ、あハれなる事共
なり」と記されており、場所としては、ここ
が親王の終焉の地だろうとされています。ま
た年代については、『続史愚抄』(ぞくしぐし
ょう)(江戸中期の公卿柳原紀光が父光綱の
志を継ぎ編修した歴史書)には、1385(元中
2)年だとしています。
南アルプス西ろくの長野県大鹿村釜沢から
釜沢から小河内川を上ると「御所平」という
所があります。ここが親王隠棲の御所だとさ
れ、いまその供養塔である宝篋印塔(ほうき
ょういんとう)(※墓塔・供養塔)が残って
います。先の宗良親王の家集『李花集』の詞
書に、「信濃国大川原と申し侍りける深山の
中に、心うつくしう庵一二ばかりしてすみ侍
りける…うんぬん」とあるのは、ここの御所
近くのことだとされています。
またこの場所の近くに的場(まとば)とい
う地名があり、鉄鏃(やじり)も出土してお
り、これも親王が住んでいた証(あかし)な
のだといいます。さらに地元の大河原城主香
坂高宗が、北朝方の迫害からこの親王を擁護
していたらしく、例の『李花集』の詞書(こ
とばがき)に、城主高宗の忠節にふれた一文
も残っています。
【▼山頂・大聖寺平】
一方、赤石岳北側・西麓の大河原方面から
稜線に登ったところに「大聖寺平」という平
坦地があります。大河原方面へ下る分岐があ
り、指導標とケルンが建っています。ここは
大河原にいた宗良親王に関係ある地名「大小
寺平」が「大聖寺平」に変化したものだそう
です。
【▼歴史・登頂】
さて、赤石岳には江戸時代から山岳宗教登
山が行われていたらしい。明治12(1879)
年はじめてお上の測量班が赤石岳に登頂し、
測量標を建てました。つづいて10年後の
1889年(明治22)にも、新設されたばかり
の部署「陸軍参謀本部陸地測量部」が、一等
三角点設置のために登っています。それより
早く明治12年(1879)の測量班の登頂以後、
ドイツ人の地質学者エドモンド・ナウマン、
地質調査の中島謙造、有名なイギリスの宣教
師ウェストン、植物研究の河野齢蔵、それに
小島烏水らが続きます。
【▼山岳宗教】
明治19年(1886)になると、信州河野村
堀越(いまの豊岡村)の敬神講の堀本丈吉や、
また同年に甲州の名取直衛(江)が赤石岳に
登り、山頂で祈祷したということです。新田
次郎の小説、「孤高の人」で有名な登山家・
加藤文太郎著の「南アルプスをゆく」のなか
には、小赤石岳の南、剣ヶ峰に「蚕玉大神(こ
だまたいじん)」を祀ってあるとも書いてあ
り、古くから信仰登山が行われていたようで
す。。(★注:西ろくの飯田市など伊那谷には
蚕玉神をまつる祠や神社が多い)。
【▼伝説・大倉喜八郎】
赤石岳について話のタネになるのが大倉喜
八郎の大名登山です。1926年(大正15)夏、88
歳の高齢をおして、特別注文の山カゴに乗り、
人夫200人を従えて椹島から赤石山頂に登っ
たというから、ケタがはずれています。大倉
喜八郎といえば、大倉財閥を一代で築いた政
商。当時、このあたりの山林はすべて大蔵喜
八郎のもの。荒川小屋はこの時初めて建てら
れたのだそうです。
江戸時代後期の1837年(天保8年)、新潟
県新発田で産声をあげた喜八郎は18歳の時、
江戸に出て鰹節店に丁稚奉公。3年後上野に
乾物屋を開き独立、その後鉄砲店を開業しま
す。おりしも日本は幕末、明治維新の大動乱。
官軍から幕軍からも注文が殺到します。商売
とあらばあっちもこっちもありません。喜八
郎は両軍に鉄砲を売りまくり大儲けしまし
た。
その後、大蔵組商会という会社を設立、貿
易商と用達事業に乗り出し財閥の基礎を築き
ます。そして大倉商事、大倉鉱業、大倉土木
の三社を中核とする組織機構をつくりあげま
した。事業として大成功を成し遂げた喜一郎。
一時は奴豆腐が食べたいとパーティー会場に
豆腐屋を呼んでつくらせたり、びんビールを
持参させたり、当時で4億円の経費を使うと
いう豪傑ぶりだったといいます。
しかし、事業内容を中国大陸への進出に比
重をかけ過ぎ、第二次大戦の敗戦でそのすべ
てを失い衰退してしまいました。しかし彼の
業績は、いまの東京経済大学(大倉高等商業
学校)や、東京・虎ノ門の大倉集古館、東海
パルプ、大成建設、サッポロビールなど、大
倉喜八郎が興したものとして残っています。
いま南アルプスのほとんどの山小屋は東海パ
ルプ子会社の関連の施設です。
【▼山行記】
ある年の8月、千枚岳から二軒小屋への途
中で足を痛めてしまいました。そしてトボト
ボと歩いて、やっとたどり着いた登山口椹島
(さわらじま)ロッジ。畑薙(はたなぎ)第
一ダムまでのバスの便に乗るには明日の午後
まで待たねばなりません。構内をブラブラし
ていると、隅の方にここの創業者大倉喜八郎
の記念碑がありました。喜八郎は狂歌をよく
つくり「鶴彦」の号まであったといいます。
記念碑には「赤石のやまのうてなに万歳を
唱ふる老も有難の世や」(大正一五年八月七
日 赤石岳絶頂を極む 九十翁大倉鶴彦)と
刻まれています。エッ、90歳?数え年とし
ても89歳。あと20年後、自分はここへ来れ
るかなァ。そのわきをこれから登る者や下り
てきた登山者たちが次々に通り過ぎていきま
した。
▼椹島ロッジ【データ】(
★【所在地】
・静岡県静岡市。JR東海道線静岡駅からバ
ス、畑薙第一ダムから東海パルプリムジンバ
スに乗り換え、椹島ロッジ下車。写真測量に
よる標高点(1123m)と椹島ロッジと井川
神社がある。地形図上には地名(椹島)と建
物の記号、それに神社鳥居記号のみ記載。
★【位置】国土地理院「電子国土ポータルWe
bシステム」から検索
・椹島ロッジ:北緯35度25分53.68秒 東
経138度12分25.85秒
・椹島標高点:北緯35度25分51.45秒、東経1
38度12分25.9秒
★【地図】
・2万5千分の1地形図「赤石岳(甲府)」
▼【参考文献】
・『アルパインガイド30・南アルプス』白籏
史郎(山と渓谷社)昭和54年(1979)
・『アルプスの伝説」山田野利天著(株)ナ
ガザワ
・『角川日本地名大辞典20・長野県」市川健
夫ほか編(角川書店)1990年(平成2)
・『角川日本地名大辞典22・静岡県」小和田
哲男ほか編(角川書店)1982年(昭和57)
・『信州山岳百科2」(信濃毎日新聞社)1983
年(昭和58)
・『信州の伝説』(日本の伝説3)浅川欽一他
(角川書店)1976年(昭和51)
・『新日本山岳誌』日本山岳会(ナカニシヤ
出版)2005年(平成17)
・『日本山岳ルーツ大辞典』村石利夫(竹書
房)1997年(平成9)
・『日本三百名山』毎日新聞社編(毎日新聞
社)1997年(平成9)
・『日本山名事典」徳久球雄ほか(三省堂)2004
年(平成4)
・『日本歴史地名大系20・長野県の地名』(平
凡社)1979年(昭和54)
・『日本山岳風土記2・中央・南アルプス」
(宝文館)1960年(昭和35)
・『名山の民俗史』高橋千劔破(河出書房新
社)2009年(平成21)
・『山の伝説』青木純二著(丁未(ていび)
出版社)1930年(昭和5)
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